彼方から 第三部 第九話 改め 最終話
「これだこれだ! やっぱりこいつだ!!」
地面に投げ出されても、ノリコは小動物から手を離さなかった。
苦しそうな鳴き声を上げられても構わず、更に力を籠めて、小動物を掴み続けた。
ここで、手を離してしまったら、きっとまたテレポーテーションをされてしまう。
今度は警戒されて、邪魔出来ないようにされてしまう。
「こ……この――」
タザシーナの手が頭に伸びてくる。
「お放しっ!!」
そのまま髪の毛を無造作に掴まれ、力任せに引っ張られた。
ブチブチと、髪の毛が切れる音がする。
ごっそりと抜けてしまいそうなほど、頭皮が痛む。
それでも……
「やだっ!!!」
ノリコは決して手を離さず掴み続け、眼の前にあったタザシーナの腕に、思わず噛み付いていた。
「きゃあっ!」
その痛みに、彼女の手が緩む。
ノリコは小動物を手にしたまま、タザシーナの腕の中から直ぐ様逃れ、距離を取るように離れていた。
「小娘っ!!」
思わぬ反撃に苛立ち、言葉使いが荒くなってゆく。
噛まれた腕に残った歯型を見据え、小動物を掴み身構えているノリコを、睨みつけた。
何の『能力(ちから)』も持たない、戦う術など何一つ持たないただの娘……
そうとしか思えないノリコの、予期せぬ反撃……そして、外見に見合わぬ行動力。
ただ、大人しく護られているだけではない彼女に、言い知れぬ嫌悪が湧き上がってくる。
「あんたが【目覚め】でなかったら、殺してやるのにっ!!」
綺麗に彩られた唇から吐き出されたその言葉には、彼女のノリコに対する『嫌悪』が、如実に表れているかのようだった。
***
美しい顔を怒りで歪ませ、タザシーナの唇から放たれた言葉に……
……呼吸が止まる。
心臓に痛みが奔る……
まるで、鋭く尖った爪を持つ手で、握り潰されたかのように…………
『ムキになったわね』
『そう!! やっぱりそうだったのね!』
タザシーナの言葉が、何度も頭の中に蘇ってくる。
その彼女を見据える、イザークの焦ったような瞳も……
―― あたしが【目覚め】…… ――
『【目覚め】が現れたって言うじゃないか』
『花虫のいる樹海によ』
ガーヤに預けられる前、化物の群れに襲われた山で一緒に小屋に逃げ込んだ、麓の村人たちの言葉が頭を過る。
あの頃はまだ、やっと日常会話が出来るくらいまでしか言葉を覚えておらず、彼らの話の内容を、良くは理解できていなかった――出来ていなかったが……
今なら――今は……
『あなたが【天上鬼】!!』
勝ち誇ったかのようなタザシーナの笑み、その声音。
今まで見てきたことが、聞いてきた言葉が、話しが……彼女の言葉の正しさを、裏付けているように思えてならない。
―― イザークが【天上鬼】!? ――
イザークの、変容した姿が浮かぶ。
……だから、なのだろうか……
彼が――イザークが【天上鬼】と呼ばれる存在だから……
だから、あのような姿に変容してしまうの、だろうか……
……そしてそれは、もしかしたら――
いや、もしかしなくても……
思い至ってしまった『事柄』に、体が震える。
それが、疑いようのない『事実』であることに……
知りたくなかった、受け留められようはずもない『秘密』に、ノリコは体の震えを止められずにいた。
*************
「タザシーナ」
彼女の名を呼び、不意に現れた男の人に驚き、ノリコは体をビクつかせた。
良く見れば、この男性の肩にも、小動物が乗っている。
「お……おらのチモ、呼んだのはあんたか?」
――……誰?
なまりの強い言葉遣い。
ガタイは大きく、どことなく眠そうな印象を受ける風貌……
テレポーテーションを終え地に着けた足からは、どすん……と、少し重そうな音がしている。
「い……いきなりいなくなったんで、おら、追って来たど。あんたの身に、何か起こったんでな……ないかって、気になって」
少しどもったような口調は、彼の癖なのだろうか……
その風貌と体格から受ける印象は、『おっとり』と言う言葉が、合っているように思える。
とても、剣を手に戦闘を繰り広げるような、そんな印象は受けない。
タザシーナはその彼を見上げながら、
「…………いいところに来たわ」
薄っすらと微笑み、呟くと、
「そうよドロス」
彼の名を呼び、色香を漂わせながらゆっくりと立ち上がった。
淑やかに、胸元に白く細い指を当てながら、
「でもわたし……せっかくのチモ、あの娘に盗られちゃったの……」
甘く――まるで頼っているかのように、訴えている。
その上……
「ほら見て、いじめているわ! 捕まえてっ!!」
ノリコが未だにチモを掴んでいるのを良いことに、『何もかも』、彼女が悪いかのように言い放った。
「え?」
タザシーナの言い草に焦り、手の中で『キィキィ』と甲高い鳴き声を上げるチモを思わず見やる。
事情を知らない者が見れば、確かに、いじめているようにしか見えないかもしれない……
ドロスと呼ばれた男性の眼が、手の中で足をバタつかせて藻掻くチモに向けられる。
「う……」
心なしか、表情が険しくなったように思える。
太く、繋がった眉毛の下、小さな瞳が責めるような色を浮かべて、自分に向けられているような気がする……
「ち……ちが……」
思わず否定しようとしたが、言葉にならない。
身を護る為に取った行動なのに、どうしても、罪悪感が募ってくる。
「いじめたくて、掴んでるわけじゃない……放したらまた、連れて行かれるから……」
信じてもらえないかもしれない……
そう思いながら放つ言葉は、どうしても、言い訳がましくなってしまう。
訴える口調が、弱々しくなってしまう。
この二人は、どう見ても知り合い……多分、同じ仲間……
それに、このチモと言う名の動物をとても大事にしているように思える。
だとしたら……
その大事なチモを『掴んで』いる、初めて会った見も知らぬ娘の言葉に、耳を傾けてもらえるとは到底思えない。
案の定――――
「チモを放せ―――っ!!」
ドロスは大声でそう言い放つと、見る間に形相を変えてノリコに掴みかかって来た。
「きゃーっ!!」
怖かった。
思わず、叫んでいた。
どんな理由であれ、二人のどちらかにでも捕まったりしたら、どんな目に遭うか分からない。
とりあえず、今この場は、逃げるしか選択肢はないのだ。
「やだーっ! 寄らないで―――っ!!」
言われた通り、ノリコは力任せにチモを明後日の方向に放り投げていた。
「あ」
投げられ、小さな鳴き声を上げるチモ。
「チモッ!」
ドロスが、地面をコロコロと転がってゆくチモを追い駆けている間に、ノリコはその反対の方へ……細い木々が所狭しと乱立している林の方へと走り出していた。
「と……取り返したぞ、タザシーナ」
「バカッ!!」
放り投げられたチモを、両手で優しく包むように持ちながら見せてくるドロスを、タザシーナは呆れたように、思い切り怒鳴りつけていた。
作品名:彼方から 第三部 第九話 改め 最終話 作家名:自分らしく