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自分らしく
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彼方から 第三部 第九話 改め 最終話

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 暫く……きつく瞼を閉じた後、意を固めたように、イザークはノリコの瞳を真っ直ぐに見詰めながら、話し始めた。
「おれはいずれ、【天上鬼】という化物になると言われて育った」
 彼の言葉に、途切れていた涙が一筋、頬を伝ってゆく。
「樹海へ入ったのは、このおれをそんなものに変えるという【目覚め】が、そこに現れると占者が占ったからだ。誰よりも早くそこへ行って、『消す』つもり、だったんだ…………」

 ――やっぱり…………

 腑に、落ちる……
 
 本当は『違う』方法を、選ぼうとしていたのだ……
 本当は――――

「あんたみたいな女の子だとは、思っていなかったから!」 
 
 なのに、金の寝床に現れたのは、見も知らぬ服を着て、聞いたこともない言葉を操る、ただの『女の子』……
 だから、出来なかった。

「しかし、あんたは何も知らない、何の責任もないんだ!」
 そう、『何も分からず』、『何も知らなかった』。
 でもだからと言って、『責任がない』からと……そんなこと、言えはしない。
 そんなこと、思えやしない……
 自分ではなく『他人』を、『弱い者』を――慮ってくれる。
 『何も知らない』『女の子』を、自分の運命を変える為だけに……
 自分の為にという理由だけで『消す』ことなく、いてくれた人に――
 
 ――……やっぱり!

「あたし、離れる……」
 彼の言葉を拒み、ノリコは激しく、首を横に振っていた。
 その優しさが……心苦しくてならない。
 何もかも、一人で抱えて何も言わずに、責めもせずに……
 自分を化物に変えてしまうかもしれないのに、それなのに……

 真実を知った今も、自分がイザークを化物に変えてしまう――そんな力を、影響を、与えているのだとは到底思えない。
 けれど、二度もイザークの変容を目の当たりした……
 あれが、『普通』の出来事ではないことぐらい、いくらなんでも理解できる。
 離れなければいけない。
 そう思う。
 これ以上、一緒に居てはいけない……彼と、イザークと……
 
 あの場で、『金の寝床』で……【目覚め】を『消す』ことなく、ずっと護ってくれたイザークを――
 これ以上辛く苦しい目に、遭わさぬように……
 
          ***

「ノリコ、良く聞け」
 『離れる』と、大粒の涙を振り撒きながら、首を振るノリコ……
 イザークは彼女の肩を掴み、その顔を覗き込み――瞳を見据え、口を開いた。
「おれ達の正体はバレた……この先、どこの誰だか分からない、追手が掛かる」
 『自分たち』の身に、どれだけの危険が降り掛かろうとしているのか、
「だからもう、ガーヤ達とも離れなければならない。平和を好み、隠密裡に動かねばならない彼らにとって、おれ達の存在が、妨げになってしまう」
 どうしなければならないのか、その理由を、現状を、言い含めるように……
 イザークの言葉は、『間違って』いない。
 二人の立場が変わらない限り――何か根本的な解決法が見つからない限り、その通りのことが起こるだろう。
 誰が聞いても……今のノリコが聞いても、それは、解かる……
「何かが起こった時……並の人間ではどうしようもないことがあった時――あんたを守れるのはおれだけだ」
「う……」
 涙がまた、溢れてくる。
 彼の言う『どうしようもないこと』があった時、『足手纏い』になってしまうのは自分だ……
 自分さえいなければ、彼一人、逃げることも追手を追い払うことも、きっと、もっと、簡単にできる。
 『能力』を使い過ぎることも、きっとない……
 体が『変容』してしまうことも、きっと、なくなる――
「『余計なこと』は考えるな」
 ……無理な話だった。
 知ってしまった今、護ってもらわなくてはならないことが……事実を言っているに過ぎないその言葉が、『今の』ノリコにとってどれだけ辛くて苦しくて、痛い言葉なのか……
 『余計なこと』を考えずになど、いられるわけがないのだ……

 表面を撫でただけのような、『事実』と『理屈』を口にするイザーク。
 ノリコがどうしてこんなにも感情を昂らせ、『離れる』と、『一人でやってく』と言いだしたのか、その『理由』を分かっている『つもり』で……
 彼女からぶつけられた真っ直ぐな『想い』に、イザークは動揺を抑え、『理性』で言葉を並べていた。
 
「もういい……もういいよ、イザーク……」

 真っ赤になった瞳。
 震える声音は苦し気で――悲し気で……
「これ以上、あたしの犠牲にならないで…………」
 俯き、唇を引き結び、更に溢れ出ようとしている涙を堪えるように……けれどもハッキリと、彼女は口にしていた。
 ……『犠牲』と。
 そんなことを、思っていたのかと気付かされる。
 そんな風に、思わせていたのかと――
「ノリ……」
 そんなことなど、思っていない。
 そんなつもりで、これまでノリコを護ってきたわけではない……
 ……そんな、つもりで――
 だがその『想い』を、『心』を……ハッキリと口にし、伝えたことはない……
 今のノリコに、どんな言葉を使えば伝わるのか、思いつかない……
 戸惑い、どうしていいか分からない心が、イザークの言葉を詰まらせている。

「あたし、本当に一人でやってくから――もうイザークは必要ない!」
 
 必死に、力一杯腕を突っ撥ねて……全身で拒まれる。

「もう、そばにいなくていい!!」
 
 拒絶とも思える言葉に、全てが……凍り付く――
 彼女に――――有りっ丈の力で撥ね退けられる。

 コナの林の奥へと……
 泣きながら走り、小さくなってゆくノリコの背を、イザークは瞬きもせずに見送っていた。

     *************
 
 ノリコの姿はもう、林の木々に隠れ、見えなくなっている。
 それでも尚、彼女の言葉が受け入れられず……
 確かに聞いたはずの自身の耳が信じられず……
 イザークは暫くその場で、惚けたように立ち尽くしていた。

 つい、先刻のことだ――
 彼女が、この腕の中に……変容した姿の胸の中に、臆することなく飛び込んできてくれたのは。
 なのにどうして、今、この手の中に、彼女はいないのか……
 すぐ傍に、すぐ隣に――どうしてノリコは居てくれないのか……
 何故、どうして、こうなってしまったのか――
 一体どうすれば……

 『どうすれば良かったと言うんだ!』

 いつも頭の片隅ある想いが、また、頭を擡げてくる。
 あの頃のように……
 家を出たあの時のように、また、後悔をするのか……
 ノリコをガーヤに預けた後、ナーダの城の牢屋で眼を覚ましたあの時も――
 安否の分からぬ彼女を想い、悔やんだ……

 こうなる為に悔やんだのか?
 こうなる為に、彼女を護って来たのか? 
 こうなる為に――ノリコを取り戻しに、占者の館へと乗り込んだのか?……【天上鬼】の力を解き放つのも厭わずに…………

 ――…………違う

「そうじゃない…………」

 力の無い呟きが、己の耳朶を打つ。

「そうじゃない……」

 ――……違う!

 きつく、瞼を閉じる……
 皆で野営をしたあの夜――
 あの夜のノリコの言葉が、どれほど嬉しかったか……