彼方から 第三部 第九話 改め 最終話
あの時感じた、体の芯が熱くなるような感覚を、彼女への湧き上がる想いを、忘れてなど――いない……
どれだけ願ったことだろうか……
彼女が普通の女の子だったらと……
【目覚め】でなかったら、自分が【天上鬼】でなかったらと……
心が二つに裂けてしまいそうなほどに、自身を苛み、苦しんだあの『想い』は、どこへ行ったと言うのか……
あれほど…………あれほど『離したくない』と――ノリコを……
…………いつまで、こうしているつもりなのか。
……いつまで己の心を偽るつもりなのか。
あんな『理屈』をいつまで、並べているつもりなのか……
いつまで……
いつまで『他』に、答えを求めるつもりでいるのか……
イザークは自身に問うていた。
……今、そしてこれから先……
己は一体……『どうしたい』のか、と……
きつく閉じていた瞼を、開く。
その瞳に、戸惑いや迷いの色は、もう無い。
心の定まりのままに、強い光を宿した双眸を林の奥へと向け、イザークはノリコの元へと、走り出した。
*************
ノリコの気配を追う。
慣れ、親しんだ、その気配を……
コナの林……
細い木々の立ち並ぶその隙間を、縫うように――飛ぶように、駆け抜けてゆく。
やがて、林を抜け……
開けた場所が――セレナグゼナの街へと水を送る為の水路が、視界に入った。
その水路へと走り向かう、ノリコの姿も……
イザークはその背を追い、一気に距離を詰めた。
ダンッ――――!!
水路の壁に手をつき、ノリコの行く手を阻む。
眼前を遮るイザークの腕……
ノリコはその腕の中から逃れようと、直ぐに振り返り、方向を変えた……
ダンッ――――!!
「行くなっ!」
もう一度、もう片方の手で、ノリコの行く手を遮る。
「どこにも行かないでくれ!!」
心の声音と共に……
行く手を遮られ、身を竦め――潤んだ瞳で見上げてくるノリコに……
「これは義務感で言ってるんじゃない!!!」
偽りのない、素直な言葉と共に――
イザークはその唇を、ノリコへと――重ねていた……
「――あんたが好きだ……」
隠し、抑え込んでいた『本当の』気持ちを、解き放つ。
「うそじゃない」
重ねて伝える。
口づけをされた驚きに、何も言えずにいる彼女の瞳を、真っ直ぐに見詰めて……
己の心を――その気持ちを……
飾ることなく、偽ることなく、言葉にして伝えることが、どれほど『勇気』の要ることなのか……
震え、怖気づきそうになる『心』を奮い立たせながら、イザークは己の『想い』を、綴った。
「確かに、ノリコと出会ってから、おれの運命は【天上鬼】へと流れている」
ノリコが抱えている苦しみを想いながら……
「だが、ゼーナが言っていた……決まってしまった未来などないと――」
己の苦しみを、想い……
「未来は、自分で作っていくものだと――」
微かな『希望』を、見い出しながら……
「変えられるかもしれない……何をどうすればいいのか、まだ、分からないが……」
それがたとえ、手探りのものであったとしても――
細く、直ぐに切れてしまいそうなほど、弱々しい『光の糸』であったとしても――
「今のおれは……」
『現今(いま)』を見詰め、
「ただ、おまえを守りたい」
ただ、言葉を繋げてゆく。
「あんたに何かあったら、きっとおれは耐えられん」
ノリコへと、己の心を伝える為に――
「化物になった方がまだ、ましだ」
己の想いを――伝える為に……
「そばにいてくれ……ノリコ」
望みを……
「おれと一緒にいてくれ」
願いを……
「――頼む……」
請い、求め、膝を着いてゆく――
イザークは彼女の『応え』を待った。
ノリコの『想い』に、応えることの出来なかった己を顧み、これまでの行為に『懼れ(おそれ)』を抱きながら……
***
温もりが、唇から伝わってくる。
視界が全て彼で閉ざされ、しなやかに流れる髪が、肌に触れる……
口づけをされた驚きに、ノリコは瞼を閉じるのも忘れ、間近に映るイザークの顔に見入っていた。
「――あんたが好きだ……うそじゃない」
水路の壁に両の手を着いたまま、そっと離れた彼の唇から零れた言葉に、潤んだ瞳が大きく見開かれる。
その台詞も口づけも、夢ではないのかと疑いたくなる。
ノリコは思わず、両手の指先で自身の唇に、触れていた。
まだ、微かに残る口づけの感触を、確かめるかのように……
彼の言葉が、耳朶を捉える。
偽りのない想いが、心に、沁み入ってくる。
「変えられるかもしれない……何をどうすればいいのか、まだ、分からないが……」
戸惑いながらも希望を求め、
「今のおれは……ただ、おまえを守りたい」
『現今(いま)』、この時を見詰める、
「そばにいてくれ……ノリコ、おれと一緒にいてくれ」
飾らない、純真な彼の願いが――
「――頼む……」
温めてくれる……
満たしてくれる……
『真実』に傷つき、苛み痛めた、心を……
――……イザーク……
彼への『想い』が、溢れる。
応えてくれた――受け入れて貰えたことが、震えるほど嬉しくて……
また、涙が零れ落ちてくる。
膝を着き、項垂れた様に『応え』を待つイザークに、そっと、手を伸ばしてゆく。
優しく、その背に触れながら、ノリコは包み込んでいた。
その『想い』と共に……彼を――
「うん……」
小さいけれど……確かな『応え』を、口にする。
「あたし、そばにいる……」
口にした『想い』は、更に強く、明確なものへとなってゆく。
「何があっても、何が起こっても――」
共に膝を着き、彼の首を抱き、自身に誓う。
「――絶対に、そばにいる」
それは、『決意』――
何の力もない、自分……
でも、だからこそ、思う。
この命を懸けて、守りたいと……
この身よりも、この心よりも――
何よりも大切に想う、男性(ひと)だからこそ……
***
「あれ……どこ行っちまったんだ?」
息を弾ませ、イザークの替えの服を街で調達して来たバーナダム。
崩れ落ちた占者の館があった丘の麓。
二人が待っているはずの階段の前まで来て、彼らの姿が見当たらず、バーナダムは辺りを見回しながら途方に暮れていた。
「とりあえずここで待つか……それとも、捜しに行った方が……」
少し悩み、バーナダムは空を見上げていた。
風が、心地よく吹き流れている。
丘の上にはまだ、白い土煙が濛々と立ち昇り、上空で棚引いている。
最初に眼にしたあの豪奢な館の姿はもう、想像する事すら敵わぬほど、跡形もない。
――イザークが一人で、ぶっ壊しちまったんだよなァ……
――やっぱ……
――人間じゃねぇよ……な……
占者の館に着いた時にはもう、激しい爆発が何度も起きていて、とても中に入っていけるような状態ではなかった。
館の上空に集まった、あの、黒い霞のような『モノ』。
作品名:彼方から 第三部 第九話 改め 最終話 作家名:自分らしく