彼方から 第三部 第九話 改め 最終話
その後、一時もしない内に、館は激しい爆発と共に崩れ去っていった。
原因は――一つしか考えられない。
何も知らなければ……『イザーク』という男の、為人を全く知らなければ、きっと、傍にいることも出来ぬほど恐ろしく、怖い存在にしか思えないだろう。
だが、知っている。
分かっている……彼が、どんな男であるのか……
無益な戦いを、より強い力を、求め止まないような男ではないことを……
「――あ」
枝葉を掻き分ける音に気付き、バーナダムはそちらに眼を向けた。
駆け寄ろうとして、足を止める。
寄り添い、互いに慈しむように眼を合わせ、共に歩いてくる『二人』の姿が、眼に入る。
今の二人の視界に、自分は映っていないことも、分かる――
「…………」
イザークの服を持つ手に、思わず、力が籠る。
バーナダムは二人の姿を見詰めたまま、奥歯を噛み締めると、
「――おい!」
と、態と大きく、声を掛けていた。
「……バーナダム――」
驚いたように眼を見開いているイザーク。
バーナダムは、戸惑いながら林から出てくる二人に歩み寄ると、
「ほら、服、調達して来てやったぞ。さっさと着替えろよ」
そう言いながらムッとした顔で、イザークの胸に服を押し付けていた。
「……す、済まない……」
少し躊躇いがちに、それでも、服を受け取るイザーク。
どうしたものかと、ノリコと視線を交わしている。
ノリコも、困ったような迷ったような、戸惑ったような……何とも言えない複雑な表情を見せている。
そんな二人の表情を見ているバーナダムの方が、何故だか冷静だった。
「バーナダム……おれ達は――」
「話しなら後にしろよ」
伏し目がちに、何かを言い掛けるイザークの言葉を、遮る。
ハッとして眼を見てくるイザークを、バーナダムは真剣な眼差しで見返し、
「今はいいよ」
そう言いながら、イザークが持ったままの服を指差すと、
「とにかく、まず着替えろ、そんなかっこじゃ、どこにも行けないだろうが」
人目を避けられそうな木陰へと、視線を移した。
移した視線に誘われるように、イザークとノリコも、思わず同じ方を見る。
少し照れ臭そうに互いに見合い、
「分かった……少し待っていてくれ」
イザークはノリコに微笑んだ後、バーナダムを見やり、木陰へと歩いて行く。
木陰に入る前に立ち止まり、振り向くイザークに、ノリコは笑みを見せながら手を振る。
その仕草に、安心したかのような笑みを浮かべるイザーク。
やっと木陰へと入ってゆくその背を見やり、バーナダムは一つ、溜め息を吐いていた。
少し距離を取り、イザークの着替えを待つ二人……
風が、木々の枝をざわめかせながら、二人の間を拭き流れてゆく。
「あいつ……あんたにちゃんと言ったんだな」
「……え?」
イザークが入って行った木陰の方を見詰めたまま、バーナダムはまるで独り言のように呟く。
怪訝そうに訊き返してくるノリコを見ることなく、
「――自分の、本当の気持ち……ってやつをさ」
バーナダムはそう、言葉を続けていた。
「本当の――気持ち……」
彼の言葉を繰り返しながら、蘇ってくるイザークの言葉と口づけの感触に、ノリコは頬を朱に染めながら少し俯き……
「……うん」
と、幸せそうな笑みを浮かべ、頷いていた。
盗み見るように、横目で見やったノリコの横顔がとても綺麗で――
自分など、入る隙間などないと分かっていても、悔しい思いが募ってくる。
イザークから奪いたいと……そう思えてしまう諦めの悪い自分が、少し嫌になる。
彼女の笑顔が見られて、幸せそうな様が見られて、嬉しいとも思っているのに……
もう一度、奥歯を噛み締め、拳を握り、
「…………良かったな」
バーナダムは空を見上げながら、半分無理矢理に、そう口にしていた。
「…………」
そう言った切り、空を見上げたままの、バーナダムの横顔を見やるノリコ。
「――うん……有難う」
彼の気持ちを知っているから――彼も、優しいのを知っているから……そう言ってくれるその言葉が、その気持ちが、少し切なく思える。
それ以上、何も言うことなど出来なくて、ノリコはただ、感謝の想いと共にバーナダムに微笑みを向けていた。
***
「ピッタリだったな、やっぱおれってセンスいいのかもな」
着替えを終え、木陰から出て来たイザークを見て、自画自賛するバーナダム。
その隣で、ノリコが小さく手を叩きながら、満面の笑みで迎えてくれている。
「済まない、助かった……」
ノリコに、これ以上はないと言うくらい優しい笑みを向けた後、イザークはバーナダムに礼を言っていた。
つい、溜め息が出てしまう。
本当に……本当の本当に『両想い』となれた二人を見て――
自然と寄り添って行く二人を見やりながら、
「それで? これからどうするつもりなんだ?」
バーナダムは少し真剣な面持ちで、問うていた。
「…………」
イザークの表情が暗くなる。
ノリコも、彼の表情を見て、共に眉を潜めてゆく。
「あんたのことだ、考えてないわけじゃないんだろ?」
「……ああ」
少し、ほんの少しだけ不安気なノリコを見やり、
「おれ達は、皆と離れようと思う」
イザークはバーナダムにそう、返していた。
「そうか――そう言うだろうとは思ったよ」
言葉と共に息を吐き、大した驚きも見せずに頷くバーナダム。
「だけど荷物ぐらいは持って行けよ? まさか、着の身着のままで行こうなんて思っちゃいないよな?」
そう言いながらイザークの眼を見据え、腕を組みながら、有無を言わさぬ口調で言っていた。
「それは……だが――」
イザークの脳裏に、広間での出来事が蘇る。
切り落とされた腕を、【天上鬼】の力を呼び覚まして、元の通りに治してしまった様を、ガーヤたちは見ている。
彼らに会えば当然の如く、訊ねられるだろう……
そして、恐らくノリコのことも……
まだ少し、『知られる』ことに対する恐れがある。
事実を知った時のノリコの動揺した様が、脳裏に浮かんでくる……
秘密を明かした時、事実を知った時――彼らがああならないとは言い切れない。
それに……これは、精神的なものだろうが、これまでずっと誰にも言わず隠し通してきた事柄を、そう簡単に口にすることは……
それなりの心の準備と、勇気が必要でもあった。
瞳を伏せてゆくイザーク……
『何を』懸念しているのか、手に取るように分かる。
恐らく、連中を追う途中で見たあの姿――
自分が屋敷を出て行った後、広間で何があったのかは知らないが、あの異形の姿を、きっとガーヤたちも眼にしているのだろう。
会えば当然のように訊ねられる。
そうなれば、自分の『正体』だけではなく、ノリコのことも言わなければならなくなることを、きっと恐れているのだろう。
――ノリコもきっと……
――島の娘なんかじゃないんだろうな……
そう思える。
じゃあ、『何者』なのか……?
イザークが【天上鬼】であるのなら――ならば、ノリコは……?
証拠など何もないが、考えは自然と、そうなっていくだろう。
作品名:彼方から 第三部 第九話 改め 最終話 作家名:自分らしく