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夢 ~シュレーディンガーの猫~

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 今日も一日、ほぼあの毎朝の涙の事で日を費やしてしまった。枝豆をつまみながら、もう慣れてきた煙草を深く肺胞に吸い込んでは、深く吐き出す。ニコチンやタールの苦みが中毒性のある癖を持っているのか、口の中が何だか苦い。
 今度は甘い抹茶菓子を口にした。

 美味しいね……。

 眞衣の身動きが止まる……。
 たった今、頭の中に流れた声は、誰のものだ。
 はっとなって、室内を見回すも、当然の事誰もいない。
 じゃあ、誰が一体。
 眞衣はまた、はっとなる。
 記憶か。
 しかし、記憶だとしても、その声は一体誰の記憶なのかが思い出せない。
 指先の間で短くなった煙草の灰がぽとりと床に落ちた。
 彼女は、美味しいねと言った……。
 まだ若い声。
 何だか、優しい声だった。
 眞衣の頬に、涙が零れ落ちた。
 眞衣はその涙に気付き、指先で素早くぬぐった。これだ、この涙だ……。今、私に何が起こったのだろうか。しかし、直観よりも確かな涙という実感がそれを証明した瞬間だった。
 何がどうしたのだ。急に声が聞こえて……。
「誰か、いるの?」
 その声はむなしく室内に響いた。
 頭が可笑しくなりそうだ。否、可笑しくなったのかも知れない。誰もいない事を熟知している部屋の中で、声を発して誰かの存在を確かめようとしている。
 狂っている。
「ねえ、何が美味しいの……ねえ」
 狂っている事など、どうでもよかった。今は、自分を泣かせ続けた真相がやっと片足を見せ始めたのだから。
 私を泣かせたのは、あなたね。誰なの。そこにいるの。それとも、私の記憶の中の声だったの。もしかして、幻聴なの……。
「ねえ、答えてよ……」
 眞衣は真っ白な頭にひらめきのような感覚を覚える。手にしたのは抹茶菓子だった。
「これ?これが、美味しいって言ったのよね……」
 その瞬間、眞衣の脳裏に数々の何かがよぎる――。きいんと耳が高鳴り、思わず瞼を瞑った。それらは何かの映像や音声であるが、早すぎて何も知覚できない。
 ただ、どうしようもなく胸の奥の方が燃えるように熱かった。
「熱っ」
 指先から、短くなった煙草が床へと落ちた。眞衣は肩で呼吸をする。煙草を拾い上げ、灰皿にもみ消し、心を静めるように落ち着きを取り戻そうとする。
 その眞衣の視線の先には、緑色の光沢が際立つ、抹茶菓子があった。



       2

 休日を利用して、眞衣は近所のデパートに訪れていた。昨夜の事は無論覚えている。抹茶菓子を口にした途端に、声が脳裏に走ったのだ。その時の感情も忘れはしない。そして、今朝も泣いていた……。
 眞衣は眼に入るあらゆる商品を一つ一つ確かめるように触っていく。昔何処かで聞いた事があった。サイコメトリー。超能力の一種で、物体を触る事でその物体に残された残留思念を読み取る能力の事だったと記憶している。自分にはサイコメトリーの能力があるのかも知れないと思ったのだ。
 そこで眞衣は、差し出した手を引っ込めた。残された思念を読み取るという事は、デパートの商品からではなく、ごく身近なものからでなくてはならないのではないだろうか。
 急いで帰宅した後は、自分がこの日、まだ一度も声を出していない事に気が付き、ただいま、と小さく囁いた。何か反応がある事を多少期待しての事だったが、やはり何も起こらなかった。
 とにかく、家にある身近なものから手当たり次第に触っていく。とりわけ、思念は液体に宿る事が多いとされている事も思い出し、水道の蛇口からの水や、湯を沸かして作った紅茶や、冷蔵庫の中にあった液体全てを試してみた。そうして時が経ち、やがて、その奇怪な行動が一時終了したのは、正午を過ぎた頃だった。
 自分はサイコメトラーではないだろう。やはり、そんな気がしてきた。これまでにそんな気配は一度たりともなかったし、突然に開花したのならば、きっかけが必要な気がする。当然、記憶にあるきっかけなどは皆無だった。
 昼食を取りながら、眞衣は先程デパートで購入しておいた白いルーズリーフに、ボールペンで気になった事を書き込んでいく事にしばし没頭した。
 気分転換でラジオを流してみる。ちょうど眞衣の好きなTEEの『片方の未来』が流れてきた。眞衣はしばしの間目を瞑り、聴き愛した名曲に耳を傾ける。

 この曲好き……。

 眞衣は瞑っていた目を見開く――。今また、確かに昨夜と同じ彼女の声が脳裏に聞こえた。
 直観が言う、触って感じ取るのではない。これは、記憶の断片だと……。
 すぐにルーズリーフにTEEの『片方の未来』と書き込んだ。

 ほおんと、…は字が上手だね……。

「えっ」
 思わず声を漏らしたその記憶の声の主は、眞衣自身のものだった。
 今、確か、名前を言ったように感じたが……。思い出せない。
 しかし、確かに記憶の片隅で、眞衣は誰かと会話している……。
 一体、誰と……。そこで眞衣は気が付く、自分がまた、涙を流している事に。
「えっ……、何っ」
 パニックに近い症状だった。頭の中が整理できなく、混沌としている。ただ今は、昨夜思い出した声と、たった今思い出した声を、続けて反芻するだけ繰り返し反芻している。
「えっ、えっ」
 なんとか声の主の名前を思い出そうとするが、その度に大きな頭痛を感じた。しかし今も尚止まらぬ涙が、名前を思い出せと強調して脳裏で叫んでいる。
 そうか……。

 このタピオカ美味しい……。

 わかってきた……。
 それが、一体、誰なのか。

 ねえ、トッポギ、食べたい……。

 何よりも確定的な確信がある。
 明確ではないが、決定的に思い出してくる。
 そうだ。

 編み物教えて……。

 そうだった……。私には、子供がいたじゃないか……。
どうして今まで忘れていたのか……。涙が止まらない。その声は、懐かしい、我が子のそれではないか。
 何よりも愛している、最愛の娘が、私にはいるじゃないか……。
 激しく躍動する頭痛のなか、眞衣はタンスの前まで大急ぎで走った。大雑把に引き出しを開けて、私物以外のものを探す。そう、娘のものを。
 しかし、いくら探してもタンスの中身は自分の私物だけしかなかった。身振りも気にせずにキッチンへと移動する。茶碗や箸など、記憶を探るように慎重に探し漁った。
 いびつに頭部が凹み出しそうな激しい頭痛。部屋のあらゆる場所を探し回ったが、娘のものは何一つとして出てこなかった。
 私には、あの子がいた――。愛する我が子。
 名前は……。
 名前、は……。

 お母さん……。

 でも、確かにあの子は存在した。なぜ、泣いていたのかがようやくわかった。
 あの子がいないからだ……。
 そうだ――。眞衣は思いつくままに、涼助へと携帯電話を繋げる。着信が鳴る間も、激しい頭痛が止む事はなかった。
「はい。眞衣か」
「涼助、さん、あの、私達にはっ」
「おいおい、落ち着けよ。一体どうしたんだ」
「お願いだから聞いて!」
「わかった、わかったよ」
「私達には、子供がいるでしょう?」
「え?」
「子供よ!娘がいるじゃない!」
「ちょっと待てよ、何の話だよ……」
「何って……。あの、私も今まで忘れてたの、娘の事を!」