その両手をポケットにしまいたい。
「俺はみり愛ちゃんとタメだよ」夕はさわやかに微笑んで言った。「二十歳で、今年二十一」
「うっそー!」みり愛が驚きの表情で返す。絢音も未央奈も声を出して驚いていた。「タメかよ……、絶対年上だと思ってたんですけど……」
「ダーリンは?」未央奈があたるを見てきく。「何歳?」
「ケーキ美味しい」日奈子は感動して呟いた。「ねえこのケーキ誰か食べてみて」
「なぁちゃんとか、かなりんと同じ学年でござるよ」あたるはへらへらと答える。「二十六歳になったでござる。へへ、六月に」
「歳ってわからないものですね」絢音は瞳を大きく開けて感心した。
「あ、美味しい」怜奈もケーキに感動する。
「ほんとだ」蘭世もケーキを一口食べて言った。「美味しいねー。今日うち前髪変じゃない?」
「大丈夫」日奈子が親指を立てて蘭世に答えた。
「夕君、二十歳なのう?」未央奈がまた顕在的に整った顔を驚かせて言った。
「イナッチも二十歳だよ。今年二十一歳の」夕は驚かれる声々に頷きながら続ける。「波平も八月で二十一だ。意外だった?」
「意外ー!年下かい」未央奈が可笑しそうに言った。「えちょと待って、信じられないんだけど……」
一方では、稲見瓶が話題を提供していた。
「スイスのジュネーヴ郊外で、フランスとの国境地帯にまたがって位置する、世界最大規模の素粒子物理学の研究所があってね、それをセルンというんだけど」
「知ってる」怜奈が笑みを浮かべて小さく手を上げた。「ヒッグス粒子の」
「そう、質量はどのような仕組みで発生するのかを発見した、機関がそのセルンなんだけど、研究所の中庭にね、ヒンドゥー教の破壊神シヴァの像がある」
「え、どういうこと?」日奈子が顔を前に出してきいた。「あっちゃいけないの?」
「科学の研究所の中庭に、破壊神はね、少々おかしい」稲見は日奈子に頷いてから、見回すように、ゆっくりと続ける。「しかもね、セルンには悪魔崇拝の噂が絶えない。中庭で生贄の儀式をやっていた証拠動画まであってね、世界中が少しパニックになったんだ」
「ヤバくない?」純奈が恐る恐るで言ったが、その口元は笑っている。
「悪魔?」蘭世は顔をこわばらせて言う。「え本当にいるの?」
「信じる人は世界中にいるよ」稲見はまた説明を始める。「しかもね、セルンの会社マークが666、ナンバー・ザ・ビースト。つまり、悪魔の数字なんだ」
「きも」日奈子は引き気味に呟いた。
「更に言うとね、ケルヌンノス、という頭に二本の角がある、よく見た目で言われる悪魔のような容姿をした狩猟の神がいるんだけどね、ケルヌンノスのアルファベットの頭文字を並べると、セルン、になる」
「もう、あれじゃん、確実じゃん」純奈が言った。
「それって調べたりしたら、出てくるやつ?」蘭世が囁き声で言う。
稲見瓶は頷いた。「出てくる。関連した事で言うと、セルンの近くに開通した、これまた世界一の地底トンネルがあるんだけどね。開通式が、まるで悪魔の儀式みたいだったんだ。セレモニーにはドイツの首相や、オランダの大統領、イタリアの首相なんかもいたんだけどね、悪魔の姿でやりきったみたいだよ。そのセレモニーには十億円がかけられてる」
「どこの国?」日奈子が真顔できいた。
「スイス。アルプスにあるゴッタルドベーストンネル、ていうんだけど、総工費は約一兆五千万円。全長五十七キロもある。こんなに素晴らしい開通式を、悪魔儀式を催したみたいにやりきってしまうには、必ず理由が必要になるんだ」
「スイスやばくない?」純奈が少しにやけて言った。「平和主義じゃないの?」
「永世中立国(えいせいちゅうりつこく)だけどねえ」怜奈が純奈を一瞥して言った。「どんな戦争も、私は関係ありませーん、て関わらない国なんだけど……」
「スイスの、そのゴッタルドにはシュレネン渓谷っていう何百年も交通不可能だった道があってね、十二世紀末から十三世紀初めにかけて、やっと渓谷の上に橋がかけられたんだけど、その後この橋は魔の橋と呼ばれるようになるんだ」
「それって、事実なの?」日奈子が伺うように言った。
「セルンも、開通式の悪魔的セレモニーも、魔の橋……、魔橋と呼ばれてるのも事実」稲見はこくん、と頷き、また一人一人の眼を見つめながら話を続ける。「伝承はこう。このロイス川を渡るのが大変困難だった為、ある牧夫が悪魔に橋を架けるように願ったとか。すると悪魔が現れ、生贄と引き換えに橋を架けることを約束した。でも、橋の完成後に、牧夫が人間の身代わりとして、羊を差し出すと悪魔は怒り狂い、岩を掴んで橋を壊そうとした。しかし、とある老婆が岩に十字架を描くことで逃れることができたらしい。そんな伝説が残されてるんだ。また、悪魔が出てきたね」
「悪魔っているの?」蘭世が弱々しく言った。
「大丈夫、悪魔が存在するんなら、神も仏も存在するだろうからね」稲見は続ける。「悪魔と言えば、クランプスといって、スイスやドイツではクリスマス前のイベントに、かなりリアリティのある悪魔の格好をして、子供達を驚かす祭りがある。今現在も続いてるみたいなんだけど。こんな感じで、その地方には悪魔伝承が根強くみられる。セルンも、その地底トンネルでのセレモニーも、おそらく、悪魔の何らかの力を恐れてるんだと思うな。恐れる、という事は、信じている、という事になるからね。まあ、どちらにしても不気味だ」
「悪魔の力を誇示してる、ともとれるよね」怜奈が稲見に言った。
「本当に怖いのは、悪魔じゃなく、悪魔崇拝者だからね。つまり、思想だね。世界的な大虐殺も、一人のカリスマがやるんじゃなく、多くの支持者が全てやった事だからね。怖いのは、何らかの思想を世界的な場であらわしてみせた、実力者達だよ」
「悪魔崇拝者達ってこと?」純奈が言った。
「そういった形が残ってる存在。だから、かなり古くから継続してる支配者達なんだろうね。神と悪魔。それが色濃く表現された時代からの末裔だ」
「この時代に、ほんとにそんなのがあるの?」日奈子が可愛らしく顔をしかめて言った。
「いつの時代も、何かが大抵の全てを動かしてる」稲見はそう言って、指先で眼鏡の位置を修正した。「乃木坂も例外じゃないよ。乃木坂だって、実は秋元先生や会社社長や、今野さん達がそう動くように指示してる」
「怖ぁーい」蘭世が笑みを薄く浮かべて言った。「今日寝れるかな……」
「純奈が一緒に寝てあげようか?」純奈が凛々しく笑みを浮かべて言った。
「イケメン!」日奈子が眼を見開いて純奈に言う。「かっこい」
「今のはポイント制なら一万ポイントだな」夕が純奈を見ながら言った。それから天井を見上げて声を張り上げる。「イーサン!アイスココアおかわりだ!じゅんちゃんアイスココアで良かった?」
「アイスココア」純奈はにこやかに夕に返した。「なに、賞品?」
「賞品、ていうのもセコイね」夕はそう言ってから、皆を見回す。「あ、おかわりいる人いない?」
皆のリクエストを、風秋夕が代表して電脳執事のイーサンに伝えた。
「この前さ、テレビ電話したよね?」日奈子が話題を変えて、みり愛に言った。「夜中に」
「した」みり愛は思い出すようにして答える。
作品名:その両手をポケットにしまいたい。 作家名:タンポポ