その両手をポケットにしまいたい。
「ほら、あっちにかっきーもいますよ」美月は金魚すくいの輪から脱した遥香を小さく指差した。「確か、もう少しだと思いましたよ、誕生日……」
「うんうん、かっきーも四日後に誕生日だね」夕は嬉しそうにそう言って、綿あめを隣にいたあたるに手渡す。「やる……。美月ちゃん、よかったら一緒に踊らない?」
「えー、いいです」美月は苦笑して答えた。あたるは横で「いらないでござる!」と憤慨している。それを横目で笑いながら、また美月が言う。「それより夕君、知ってました?あたしたちタメなんですよ。同い年」
「知ってるよ、もちろんですとも」夕はにこやかに言葉を返す。「美月ちゃんとおソロなんて、ああ、もうなんて素敵な日なんだ、今日は」
「そればっか、なんか変じゃないですか、今日の夕君」美月は笑みも程ほどに夕を見つめる。
「実は……」夕は苦笑した。「波平に麻雀で負けちゃって、今日一日キザにしてろ、て罰ゲームやってる」
「やっぱなー。そうなんだ、あはは」
「波平めー……。んん、でもそう悪くもないかな、なーんて」夕は美月にウィンクする。
山下美月は笑顔のままでそれを回避していた。「本質がナンパタイプですもんね」
「タメ語にしない?」夕はまろやかな表情で美月に言う。「タメだぜ?」
「そうか……」美月はそれから目線を夕の顔まで上げ、微笑んだ。「そうだよね!」
遠くの方からメンバー達の悲鳴が聞こえた。眼をやると、何人かのメンバーが逃げまどっている。その中心に磯野波平がいた。
「あんの野郎……、節度ってのがねえのか……」夕はそちら側を睨みつける。
「元気だよねー」美月も遠目でそう呟いた。
「小生が行ってくるでござる」
そう言って騒動の方に向かったのは姫野あたるだった。あたるは風秋夕と同様、はるやまのスーツ姿であった。他の乃木坂46ファン同盟三名も同様にはるやまのスーツ姿である。
「なーにをしてるでござるか!」あたるは大声で音頭を遮るようにして叫んだ。「波平殿!やーめーるーでーござる!」
磯野波平は乃木坂46のメンバー達をふざけて追いかけまわしていた。今は与田祐希(よだゆうき)を追いかけていた。
「与田ちゃーん、いーま行くぞー!」
「いいからっ、いい!いい!来ないでいい!」祐希は必死な思いでゆっくりと逃げ回る。
「やめるでござるよ波平殿!」
「俺よかかっこ悪りぃ奴は黙ってろ! へへっよっだちゃーん!」
「じゃあ黙ってないよ。やめろ」
稲見瓶だった。彼は片手にコーラの入った紙コップを持っていた。
「俺よかかっこ悪りぃ奴ぁ黙ってろって言ったろ」足を止めて磯野は稲見に眼をくれて言う。「聞こえなかったかあ?」
「聞こえたよ。判断して、声をかけたけど」稲見は無表情で磯野に言う。「何か問題でも?」
「俺よかかっこいいってか?」磯野は鼻を鳴らして不敵に笑う。「眼ぇ悪りぃなあ……。ああ、だから眼鏡かけてんのか」
「好きの表現の仕方が悪い」稲見は淡々という。「行儀よくしよう。じゃなきゃ、駅前さんにチクるけど」
「え、駅前さんはやめとけ」磯野は肩を落として言う。「冗談通じねえからな……。たくわあったよ、ただの愛情表現じゃねえかっち、いっちいちうっせえの」
「ありがとうございます」弱った祐希が息を切らしながら稲見に言った。
「ほらね。与田ちゃんがありがとうと言うくらいに、お前は怖いんだよ」
「そりゃねえぜ与田ちゃーん」
「だって……、走ってくるから……」
「与田ちゃん」
風秋夕が満面の笑みで桜色の浴衣に身を包んだ与田祐希に近寄ってきた。
「映画の情報入ってるよん。ぐらんぶる」
「え、あ、ありがとうございます」祐希は恐縮して返す。「公開、もうすぐなんで、ぜひ観て下さい」
「与田ちゃんけっこう目立って出てるんだってね」夕は嬉しそうに祐希に微笑んだ。「映画の中の君にも一目惚れしてくるよ。一度と言わず、何度も」
「ありがとうございます」照れ笑いで祐希は答えた。
「与田ちゃん、見てるだけで可愛いからね」美月が言った。
「一緒に回ろうぜ、与田ちゃん!」磯野が祐希を誘う。「お祭り、行きたかったんだろ?な」
「御あいにく様」夕が横目で強めの口調で磯野に言う。「与田ちゃんと美月ちゃんは、今日俺がエスコートするんだ。番犬はその辺うろついてろ」
「キャインキャイン!てか!」
「美月ちゃん、与田ちゃん、あっち行ってみよう」
「う、うん」
「はーい」
風秋夕は山下美月と与田祐希を連れて屋台の並ぶ店店をじっくりと楽しみながら闊歩していった。
磯野波平は気を取り直して、目の前を通りすがった賀喜遥香に視線を止めた。
「かあっきー」磯野は笑顔で遥香に言う。「紫の浴衣、似合ってんなー」
「あー、ありがとうございます」遥香ははにかんで答えた。「スーツ、似合ってますよ」
「かっきー……、それって、告白じゃあ」
「ないです」遥香はくすりと笑う。「波平君には告白しないから」
「え! 俺にはしない、てこたぁ、だ、誰かにしちゃうのー?」磯野はこの世の終わりの様な素振りで遥香を凝視して言った。
「しーないです!」遥香は小さく頬を膨らませた。
「アイシーで俺よぉ、かっきーと結婚してえと思ったんだよ」磯野はにたにたと微笑む。
「しーないから」遥香は磯野を短く睨みつける。「思ってくれてありがとうございます!」
「こっちこそありがとうごぜえますもうすぐかっきーハッピーバースデーって事で」磯野は悲鳴を上げる遥香を片手で肩に背負いこんだ。「いただきます!」
「ちょっとー!」抵抗する遥香。「波平君っ、やめて、おろしてっ」
「うちの賀喜がお世話になってます」
うろたえる賀喜遥香を肩に抱えた磯野波平の背後から、そう声をかけてきたのは、乃木坂46四期生の田村真佑だった。真佑の背中側には、磯野波平を恐ろしそうに覗く早川聖来と北川悠理の姿があった。
「おほ! まゆたん」磯野はそっと、遥香を立たせながら反応する。「まゆたんも紫か、いいな似合ってんなあ」
「大丈夫?」聖来は遥香を心配そうに覗き込む。「かっきー」
「はー……、大丈夫」遥香は疲れ切った様に聖来に答えた。
「怖い人なの?」悠理は恐る恐る、磯野を一瞥しながら遥香にきいた。「大丈夫?」
「こういう人だから」遥香は息を整えて、悠理に言う。「ふざけてばっかの人だから。あでも、怖がらなくても大丈夫。変な人、ただ」
「あ、悠理ちゃん、聖来ちゃん、こちら、波平君」真佑は片手で二人に磯野を紹介する。「夕君達の友達で、乃木坂にはぜ~ったいに、手を出さない優しい人」
二人はきょとん、と磯野波平を見つめる。早川聖来だけは微笑みを浮かべていた。北川悠理は真剣な表情である。
「いてえとこつかれちったなあ」磯野は苦笑する。「んじゃ今日んとこは大人しくすっか。早川ちゃん、北川ちゃん、初めまして、ハンサム・ザ・波平・磯野です。よろしく」
「あ、よろしくお願いします」と聖来。
「よろしく…お願いします」と悠理。
「怖い人じゃないからね?」遥香は苦笑しながら弁明した。「いや……、悪気、がない人かな……」
「おもろいひとやんな」聖来は満面の笑みで言った。
「おもろい……」磯野は嬉しくなって、聖来を片手で肩に抱える。「いただきます!」
「きゃ!」
「ちょっと」と遥香。
作品名:その両手をポケットにしまいたい。 作家名:タンポポ