その両手をポケットにしまいたい。
「波平君落ち着いて!」と真佑が叫ぶ。
悠理は恐ろしさに絶句していた。
「あの人誰?」
磯野波平達から少し離れた屋台の前にたむろしていた金川紗耶が言った。
柴田柚菜はそちら側を見つめる。「あー……、磯野、ていう人?じゃなかったっけ」
「あー、さっき与田さん達追っかけてた人じゃない?」掛橋沙耶香は遠目に磯野波平達を眺めながら言った。「捕まったらヤバいかな?」
「え怖い」筒井あやめは目線まで持ち上げた金魚袋から視線をそちら側に切り替えてから言った。「え捕まったら、ぶたれる?」
「そーれはないでしょ」清宮レイははにかんで言った。「そーれは本当にヤバい人じゃん。そういう人は出入りできないでしょ、ここは」
「あー今野さんも知ってる人なんだもんね」紗耶が言った。「そういうヤバい人ではないでしょ」
「でも悠理ちゃん持たれてるよ……」矢久保美緒は痛そうな顔で言った。「泣いちゃうんじゃない、悠理ちゃん……」
稲見瓶は壁際のソファ・スペースに腰かけ、一息つくように、齋藤飛鳥の方に振り返った。
「隣、座っててもいいかな?」
「ん?」飛鳥は気が付いたように稲見に答える。「ああ、はい。別に」
「また波平が騒いでる……」稲見は溜息を吐く。
「あの人、ぶっ飛んでるよね」飛鳥はそう言ってから、己の発言が可笑しくて小さく笑った。
「飛鳥さんが止めてくればいいんじゃない? ですか」桃子は飛鳥を見つめて言う。
「何で私が……」飛鳥は桃子を一瞥する。
「私止めてきましょうか?」美波は三人の顔を順番に見ながら言った。「波平君にこの前カードで勝ったから、何でも言う事聞きますよ、たぶん」
「お願いします」稲見はまた、溜息をついた。「梅ちゃん、今度、何かおごります」
「あー全然」美波はソファから立ち上がる。「じゃあ行ってきまーす」
「え怖くないの?」桃子は不思議そうに言う。
「こーわくないよー」美波は少しだけ笑って答える。「ただの筋肉じゃん、だって」
「だって、ボディビルダーみたいだよ?」桃子は眼を真ん丸にして言った。
「ボディビルダーみたいなんだ」伊藤理々杏は笑いながら強調するように言った。
「桃んご怖いんだ?」阪口珠美は微笑んで桃子に言う。
「桃んごって言わないで!」桃子は怒る。
「えでも、優しい人だったよ」ロボットが喋るように一定の音程でそう言ったのは、佐藤楓だった。「ちょっとしかまだ喋ったことないけど」
「てか何でみんな集まってくんの」飛鳥は不機嫌そうに苦笑して言う。「遊んで来なって、ほら」
「ちょと休憩」桃子は出掛けて行った美波の姿を見つめながら言った。「はー疲れちゃった」
「波平にからまれないのは、飛鳥ちゃんと、美月ちゃんと、梅ちゃんだけだね」稲見は飛鳥を見ながら言う。「映像研には手を出すな、だね」
「ほんとだ」桃子が嬉しそうに言った。
「波平っちは、あれなんなの? 昔っからああなの?」飛鳥はカップのアイスクリームを一口食べながら言った。「乃木坂にだけ?」
「恐れながら、乃木坂にだけだね」稲見は申し訳なさそうに言う。「普段はモテる方だと思うから、そういう普通な感じでいるんだろうと思う……、申し訳ない」
「でも、モテそう、波平君」珠美が波平の方を遠目に見つめながら言った。波平は梅澤美波に土下座しているところだった。「あっはは」
「謝ってる……」理々杏が苦笑しながら言った。「みなみん強ーい」
齋藤飛鳥は無表情でそれから眼を反らす。先程までの視線の先には、笑顔で手を振る風秋夕の姿があった。
9
「あ……、やっと眼が合ったのに」夕は悔しそうに呟く。「秒で反らされたか……」
「え?」美月は隣の夕の顔を見上げる。「何?」
「いやいや、あ」夕はその先を指差して明るめに言う。「葉月ちゃんじゃーん。はーづきちゃん!」
風秋夕達の存在に気付いた向井葉月が、そちらを振り返った。水色を主とした色彩の浴衣姿だった。
「あーあ、夕君」葉月はにこやかに夕に言う。「久しぶりじゃない?」
「久々! 誰と来たの?」夕はにこっと微笑んだ。「探してたでしょ、今」
「与田と、でんちゃん、と来たんだけど……」葉月は美月の存在にも気づいた。「おお」
「おおー」美月も笑みで返す。
「与田ちゃんはどっかになんか買いに行った。でんちゃんはー……、たぶん誰かと固まってたな、さっき見かけたよ。葉月ちゃんも一緒に回ろうよ」
「うん」葉月は夕に頷いてから、美月を見る。「来てたの? ラインシカトしたでしょ?」
「えーしてないしてない」
「与田ちゃん、どこ行っちゃったんだろ……」夕は辺りを見回す――。夕焼け色の空間には、『東京音頭』が大太鼓の音と共に流れていた。「がちで迷子になりそうだからなー……」
「焼肉三姉妹じゃん」美月は可笑しそうに葉月に言った。「え今日も、焼肉食べたの?」
「まだ食べてないけどー、食べる」葉月はへへっとはにかんだ。「ここの種類も豊富だし、けっこう美味しいから」
「夕君、ダメよ? 独り占めしちゃ」
「え?」夕は声の先に振り返る。
白石麻衣だった。白と黒を基調とした大人びた浴衣姿である。その隣にはピンクの花吹雪柄の浴衣を着た松村沙友理と、紫と青を基調とした花柄の浴衣を着た秋元真夏の姿があった。
「まいやーん!」夕は至福に満ちた表情と声を上げる。「まちゅ~! まなったーん!」
「遠くからカップルに見えたよ、美月ちゃんと夕君」真夏は微笑んで言う。「ダメだからね?」
「波平じゃあるまいし、そこんところは、心得てるよ」夕は真夏にウィンクする。「それとも、まなったんが恋の手解き、してくれるのかな?」
「だからダメだってば」真夏はそう言ってから、夕にウィンクを返した。「私も乃木坂だからね?」
「ええ勝負やんな、二人」沙友理はくすっと笑って言った。「あざといわ~」
「夕君」麻衣が強調的に言う。「手ぇ出しちゃ、ダメだからね」
「まいやん……」夕は麻衣に苦笑を見せる。「その見た目で、そういうふうに、可愛らしくお説教って……、口説かれてる?」
「くーどいてない口説いてない」麻衣は笑った。「百年早いわ」
「この歳の成長って早いぜ?」夕は口元を引き上げて言う。「いつまで、子供扱いできるかな」
「夕君っていくつなん?」沙友理がきいた。
「今年二十一だよ」
「若っ」沙友里はにっこりと笑う。「弟にしても若いわ~。えイナッチも波っちも二十一?」
「そう」夕は頷いた。「言っとくけどまちゅ、まいやん、まなったん。俺、みんなの事お姉さんって思ってないから。男女として同じフィールドに立ってると思ってるぜ。まあ、蟻が月に恋するようなもんだけどさ……」
「確かに」真夏は満面の笑みを浮かべる。「夕君じゃ油断できないかも」
「そういうところ……」夕はにこやかに溜息をついた。「男を魅了するよなーほんと、まなったんは」
「美月ちゃん達、行っちゃったね」麻衣が微笑みながら夕に言った。「ごめんね」
「大丈夫、まいやん達も楽しんで」夕は笑顔で返した。「生駒ちゃんもなぁちゃんも来てくれてるから、久しぶりに会うといいよ。乃木坂同士」
「生駒ちゃん来てるんだ」真夏が驚いた様子で言った。「生駒ちゃん珍しくない?」
作品名:その両手をポケットにしまいたい。 作家名:タンポポ