その両手をポケットにしまいたい。
「生駒ちゃん確かに、レアやな」沙友理も納得の表情で言う。「なぁちゃんたまにここで会うけどなあ、生駒ちゃん、確かに珍しいなあ……。どこ、どこおんのやろ」
「今野さんも来てるけど」夕は会場の奥を指差して言った。「これ超絶美味い、てさっき報告された。フェットチーネね」
「誰が来てないの?」麻衣が辺りをきょろきょろとしながら言った。
「二期生は、まとまって一緒に来るみたいだよ」夕が優雅に答える。「今日じゃないみたいだね。後は、俺もちゃんとカウントしてない。一方的に招待しただけだから。でもまいやんも貴重だよね、最近来てくれてなかったじゃん」
「うん、久々だね」麻衣は大きな笑みを浮かべる。「ひっろいの、変わってない。夕君達も変わってないし」
「誉め言葉に受け取ります、お姫様」夕はにこり、と微笑んで言った。「ぶらつこうよ」
「そだね」と麻衣。
「行こ行こ。わーお店、いっぱいあるねー」と真夏。
「何から食べよーかなー。えへへ」と沙友理。
駅前木葉は高鳴る胸の鼓動を抑えつつ、隣をゆっくりと歩く生駒里奈に話しかける。
「生駒ちゃんが言ってたお店のって、ここですか?」
「ああ! そうそう、ここだ」里奈は眼を見開いて屋台を指差した。「フローズンヴィンテージ・コナ・モカ! よく行くお店のやつ、アイランドヴィンテージコーヒーのやつ~! え何でここに出店してんの~!」
「生駒ちゃんの好みを夕君なら把握してると思います」駅前は顎をしゃくれさせて里奈に微笑んだ。「夕君なりのサプライズでしょうね。彼はこういう事に命かけてますから」
「頼もう頼もう~」里奈は商品の並んだショーケースをまじまじと物色する。「あ~あったあった! いつも食べるやつ、アサイーボウル!」
「良かったですね。すみません、アサイーボウルを一つ下さい」
「いや、今食べない」里奈は苦笑する。「フローズンヴィンテージ・コナ・モカ一つ下さい、すいません」
「ああ、私も同じのを一つ下さいますか。お、お揃いですね……ふ」駅前は歓喜の変顔で里奈に微笑みかけたが、間一髪、里奈は見ていなかった。
「生駒ちゃん」
生駒里奈が振り返ると、そこには稲見瓶の姿があった。
「おーイナッチ~、久しぶり」里奈は稲見に微笑んだ。「ども」
「やっと来たね」稲見は可笑しそうに、小さく微笑んだ。「生駒ちゃんを一期生達が探してたよ。若と玲香ちゃんだね、二人も久しぶりに来てる」
「わ~、懐かしい」里奈は喜びをその表情に宿した。「ぽんこつキャプテンと、つっぱり……つっぱりじゃないや、い、イケメン」
「見つけたね、この店。夕が発注したんだよ」稲見が屋台を一瞥して、里奈に言った。「好きなんだってね」
「うん、今は違うの頼んだんだけど、アサイーボウルは、何か最初に、差し入れで頂いて、世の中にこんな、オシャレでうめーもんがあるんだってなって」里奈は喋りながら納得の頷きをした。
「孫悟空だね」
「すげー! すげーってなって、うめーぞーってなって」里奈は面白がって言った。「これを機に、何か、オートミールとかも好きになって……。それでぇ、色々家で作ったりとかもしてる」
「生駒ちゃんは、今は趣味が部屋の掃除なんですって」駅前が稲見に言った。稲見が登場した事で彼女は一度精神をリラックスさせる事に成功したらしい。「新しくした水道の浄水器が楽しくってしょうがないって言うんですよ、ふふ。変わってらっしゃるでしょう?」
「楽しい」里奈はご機嫌で頷いた。「あの、浄水器買ったのよ、あのつけるやつ。たらもう楽しくて楽しくて。今めっちゃ、くっちゃそれが楽しいのよ。でえお皿洗ってえ、あ~あっはあ気持ちいぃ、て水を切って、拭くのが、うん」
「世の中には楽しい事が溢れてるよね」稲見は納得の顔で言った。「その楽しみは誰かによって、何が楽しいかが変わる。俺も駅前さんも、乃木坂が楽しい事を生駒ちゃん達に教えてもらったからね。楽しむ事はいい」
生駒里奈はすっかり完成していたフローズンヴィンテージ・コナ・モカを店から受け取る。駅前木葉も受け取った。
「舞台の、かがみの孤城の方は、どう?」稲見は通常の無表情に戻っていた。「ポスターは意外と怖いけど、内容は違うみたいだね」
「心の成長がテーマ、かな」里奈は食べながら稲見と駅前に説明する。「この稽古も、私達演者、一回もマスクを取らずに人の顔を見ずにやったりとか、そういう感じで挑んでいて、物語もそうなんだけど、今の、コロナ化の中の、演劇はどういうものなのかっていうものを考えて、あのう、やってるんで、安全対策もしっかり」
「万全ですね」駅前は嬉しそうに言った。少しだが、しゃくれている。
「でも、ここにも普段来てなかったし、稽古以外の時は、どう過ごしてるの?」稲見は里奈に疑問を投げかける。「生駒ちゃんは、謎だ」
「でもまず気付いたら、十二時は過ぎてて……」里奈は食べながら、思い出すかのような表情で二人に言う。「わっ、お昼だー、と思って。でお腹空くじゃない? まず一回そのお腹空いたのを無視して、ユーチューブとかずっと観てて、で二時ぐらいになって……あ、ちょと、おトイレ行きたいな~ていうのもちょっと我慢するんですよ。で究極に我慢してあーもう無理ぃーてなったらぁ、立ち上がってそこから活動開始してまあ四時ぐらいになっててぇ……、でぇこれから、は、動く為に頑張るぞ、いったんまず座ろうって言ってまたベッドに横になって、六時ぐらいになりましてぇ、でえそこからぁ、ご飯を食べます」
「え、今のところ、ずっとベッドの上ですけど」駅前は表情を驚かせる。
「はい」里奈は小さく笑った。「でえ、夜十時ぐらいに寝ます」
「今、ファンとして、ものすごく貴重な話を聞いてしまったような」稲見は抑揚無く言った。
「なんっかなんっかわかんないけど、ずうっとそういう、ぬ、事してるね」
「ソファで過ごす時間が無い人って、いるんだね」稲見は驚愕に近しい感情だったが、彼は無表情である。
「あ、ソファ無くしました」里奈は淡々と答える。「ソファを無くして、もうテーブルとイスにしてえ、で横になるのはもうベッドにいる時だけ」
「でも、最大のリラックス空間かもね」稲見が言う。「ソファ好きの夕には考えられないだろうけど」
久保史緒里は笑んだまま睨みをきかせる。視線の先にはハンサムを装ってそちら側を見つめる磯野波平の姿があった。
久保史緒里はまだ動かない。磯野波平の微笑みを一身に受けながら、動けずにいた。久保史緒里は乃木坂三期生である。
「何か、なんかしようとしてます?」史緒里は強気の眼で磯野に訴えかける。「何もしないで下さい」
「じゃあ結婚して下さい」と真顔で磯野。
「嫌です!」強気のまま史緒里は突き放す。
「痛てえ!」磯野は思わずあほずらになった。
磯野波平の頭に強烈なげんこつを落としたのは、風秋夕だった。
「てーめえは反則プロレスラーか! この世のもんはてめえの為にあると思ってんだろう! 馬鹿者!」夕は頭を抱えて痛がる磯野に憤怒する。「尾崎豊かてめえは! 盗んだバイクで走り出したら捕まるんだよっ!」
「殴るこたぁねえじゃねえか!」
「殴るっきゃねえだろ!」
「何でだよ!」
「てんめいが、あんまりにも馬鹿者だからだ!」
作品名:その両手をポケットにしまいたい。 作家名:タンポポ