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その両手をポケットにしまいたい。

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「まあまあ……」史緒里は様子を見ながら、いきり立つ二人の仲裁に入ってみる。「夕君もそんなに……ね、ほら、まだ私、なんにもされてないし」
「さっきっから見とれば、俺のお姫様達に何してくれとんのじゃ!」夕は磯野の胸倉を掴んで怒号する。磯野も夕の胸倉を掴み返した。「久保ちゃん、今退治するからね!」
「久保ちゃん、君の為に勝つぜ」磯野は夕を睨んだままで言った。
「だーめだめ、ほら、二人とも!」史緒里は焦った。
「やめるでござる!」
 ざわつく現場に、皆が見物に集まりかけていた。
「じゃあこの愛情はどうすんだよ!」磯野は真剣に言う。彼は真剣だった。「この溢れんばかりの愛情はどうすんだってきいてんだよっ!」
「痛っ、てめえ!」夕は頭をさする。
 げんこつを殴り返した磯野波平は、風秋夕を強く睨みつけたままフリーズする。
 風秋夕も、鋭い眼光で磯野波平を睨み返している。
「てめえを見てると、ある言葉が浮かんでくるぜ」夕は鋭い眼光で磯野に言う。「厚顔無恥。てめえにぴったりだよ」
「こーがん? ああ?」磯野は必死で夕に言い返そうとする。フル回転で磯野の脳が稼働する。「じゃ、じゃあてめえは二兎追う者は一兎も得ず、だ」
「自分だって箱推しじゃねえか!」
「俺は追ってねえし、乃木坂はウサギじゃねえぞ!」
「てめえが言ったんだろ狂ってんのかてめえは!」
 稲見瓶が周囲に集まっている何人かに説明する。「こうがんむち。意味はなんともずうずうしく、恥知らずなこと。にとおう者はいっともえずは、ウサギを二匹同時に捕まえようと欲にかられると、たった一匹のウサギさえ手に入れられない、という意味だね」
夕は顔をしかめて磯野に言う。「堪忍五両、負けて三両。知らねえのか?」
「知~らねえよんなもん!」磯野は夕に睨みを利かす。
 稲見瓶がまた、興味を持つ何人かに説明する「かんにんごりょう、まけてさんりょうは、我慢には大きな値打ちがあるということ。堪忍すれば五両の価値があるが、たとえ堪忍がやや足りなくても、三両の価値があるという意だね」
「ねえ~、やーめーなよ~」星野みなみが猫のようなか細い声で二人に言った。
「やめます」夕は瞬時に表情を柔らかなものにして、みなみに微笑む。「みなみちゃんがそう言ってくれるなら」
「やーめた」磯野も瞬間的にその顔を明るいものにしていた。「みなみちゃん、でも喧嘩ふっかけてきたのは夕なんだぜ?」
 星野みなみは、にこり――と天使のように笑みを浮かべた。
「俺が言ってもこの二人はきかないからね、助かった。みなみちゃん、貸し、一つだ」稲見はみなみに頷いてみせる。「俺が真ん中に入っても、火に油だからね。ああ……、意味は、つまり、もっと燃える、てことだよね」
「あれでござるな、この三人が集まると、視覚的になかなか見事でござるな」あたるは空気感を変えようと、集まった皆の前で赤面しながら発言する。「夕殿はあれでござる、なんとなく、吉沢亮さんに似てるでござる。んん、それか、横浜流星さんかもでござるな」
「あ、誉めた?」夕はあたるに言った。
「波平殿は、岡田健史さんに似てるでござる」
「そうかあ?」磯野はまんざらでもないように、あたるに言う。「中学聖日記のか」
「イナッチ殿は、あれでござるな」あたるは稲見を見ながら言う。稲見は視線を合わせていない。「笑わない、新田真剣祐さんでござるな」
 周囲から「似てる」という声が多数上がると、風秋夕と磯野波平はにやにやと不敵に笑みを浮かべ、互いに肩を組んでどこかへと歩いて行った。稲見瓶は赤面を隠すように、やはり一人ですたすたと何処かへと歩いて行った。
「あの、BTS?さん?」駅前が周囲のメンバーに尋ねるように言う。「あのメンバーの中にいるんですけど。うん、彼と、イナッチは少し似てますね」
「BTS?」
「知らなーい」
「韓国のアイドルさんです」駅前は説明した。
「あー、化粧したら、どうなんだろ」美月は口元を押さえて駅前を一瞥する。「でも真剣祐さんの方が似てるかな」
 姫野あたるは、その人の目前で、息をのんだ。
 少し、呼吸が早くなる。
「あ、あのう……。まいやん」
「ん?」
 振り返った時に、白石麻衣の前髪が少し揺れた。
「卒業の意思は、変わらぬでござるか」あたるは精一杯で言う。
「んふ。うーん……、長くいすぎたくらい」麻衣は笑顔で答えた。「卒業、ていう形は、なんかしらの形にするから、待っててね」
「はい」あたるは俯き、歯を食いしばる。「でござる……」
「まいやんはまいやんよ」磯野があたるに身を寄せながら言った。その隣には頷いている夕の姿もあった。「思い出が消えっちまうわけでもねえしよ。なあ、まいやん」
「そ」麻衣はしばらく「そ」の表情でいた。
「まいやんが卒業か……」夕は口元を僅かに引き上げて苦そうに言う。「確かに、眼ぇ反らしたくなるよな。でもさダーリン、ロールプレイング・ゲームじゃあ、魔王を倒した後の勇者は見られないだろ? でもまいやんの場合は、乃木坂卒業した後もちゃんと見られるんだぜ?強くないか?」
「強いでござる」あたるは寂し気に頷いた。
「乃木坂には新しい戦力もいるしね!」麻衣は近くにいた遠藤さくらの肩をくい、と引き寄せて言う。「心配なしですよ、もう」
 遠藤さくらは恐縮しながら、なんとかで笑顔をキープしていた。
「まいやんのいう事、そのまんま信じられるでござるか?」あたるは夕を見て言った。
「誰がのびちゃんのいう事を疑うもんですか」夕は真顔で言った。
「おおう、のび太のばあちゃんの名台詞」磯野は少し驚いたように言った。「なんだよダーリン、お前まいやんの言った事って、何が信じらんねえのよ?」
「そうだよー」麻衣は口をとがらせてあたるを見つめた。
「まいやんの穴を埋める事は、誰にもできないでござる」あたるは麻衣を赤面で一瞥してから、夕、磯野にと顔を向ける。「まいやんと同じ事は、誰にもできないでござるよ。まいやんへの好きは、まいやんにしかないでござる」
「さくちゃんだって偉大だよねえ~」夕はにこやかにさくらに言う。「だって超絶可愛いぜ、さくちゃんは。べっつに、まいやんと同じ事なんて望んでねえよ。写真集歴代一位なんて、それこそまいやんしかできないさ。そうじゃないんだよ。まいやんが安心して、卒業を選択したのはさ」
 頷く白石麻衣以外は、誰もが風秋夕の顔を一直線に見つめていた。遠藤さくらも黙って見つめている。
「俺らじゃん、ようは」夕は言った。「さくちゃん達新しい乃木坂と元からの乃木坂は、既にこれまでを超えるだけの材料を落としてくれてるよ。じゃあ、後は俺ら次第じゃん」
「そう」麻衣はにっこりと微笑んで、頷いた。「預けるよ、乃木坂を。よろしくね」
「俺らが盛り上がっていきゃいいんだよ」夕は皆の顔を一瞥しながら言った。「俺また絶対さくちゃんセンターやると思うよ。だってすっげえ可愛いもん。ね~?」
 遠藤さくらは短く首を横に振る。
「俺らがついてんぜ、さくちゃん!」磯野は力強くさくらに言い放つ。
「ありがとうございます」さくらはゆっくりと、小声で微笑んだ。
「まいやんが作ってきた乃木坂は消えないんだから、な」夕はあたるの背中を叩いた。
「くっ……、好きでござる、まいやん」