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その両手をポケットにしまいたい。

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 泣き出した姫野あたるに爆笑しながら、時は穏やかに過ぎていった。

       10

 二千二十年八月二十日。この日、二日前に新たに開設された白石麻衣のユーチューブチャンネルにて、初の配信が行われた。
 携帯画面を覗き込む駅前木葉は、思わぬ緊張に黙りこくっていた。
 回線の状態は非常に悪かった。
「まいやん、今日が誕生日だもんな」磯野波平は夕に一瞥を送って言った。「特別配信ってやつか?」
「だろうな」風秋夕は携帯画面を見つめながら答える。「何万人観てんだろう。回線がいってるな……ケーキ作るのか」
「誕生ケーキ! でござるな!」姫野あたるは興奮して言う。「この少しの時間で二十四万人が視聴してるでござる!」
 配信は回線の不具合で中断された。
「ぷはあ!」駅前は深呼吸をする。「なーんて可愛らしいのかしら!こんな素敵な配信ってあります? まいやんが手作りケーキですよ?」
「ゲストが来るらしいけど、誰だろうね」稲見瓶は落ち着いた無表情で言う。「あ、配信が再開するかな……」
 白石麻衣が白い誕生ケーキを手作りしている画像が映し出されると、また五人は少しだけだんまりを決め込んだ。
 ゲストは乃木坂46一期生の高山一実と、同じく乃木坂46一期生の松村沙友理であった。
「平和な配信だな。可愛すぎる」夕は口元を引き上げて言った。「さゆりんは永遠の十三歳か。名言だよな」
「そうでござる!」あたるは嬉し気に言った。「設楽さんは永遠の十四歳でござるか!はっはは、小生も同じでござる! ランドセルと年齢は学校に置いてきたでござるよ!」
「まいやん髪ばっさり言ったな。決心が必要だったろうに」夕は誰にでもなく言う。
「まいやんの髪が肩までは、一生見れないと思ってたでござるゆえ」あたるは夕を一瞥して興奮気味に言う。「小生としては好むところゆえ」
「サムライかてめえは」磯野があたるに呆れて言った。「その口調なんなんだあ? お、まなったんに電話するってよ」
「まなったんも誕生日だもんな」夕が言う。「二十七歳。まいやんは八か」
「私は同い年になりましたね」駅前が重い口を開いた。「あ、まいやんさんとですね」
「この時点で登録者五十万人」稲見は淡々と言う。「さすがだね。誕生日のプレゼント交換を五十万人が見守ってる、というのが凄い事だよね」
「かずみんからはキーホルダーか」夕が言った。
「まちゅにもプレゼントを用意するあたり、性格の良さが出ていますね」駅前が微笑ましそうに言った。「可愛いプレゼントだわ。宝物になりそうざんす。ざ、ざんすってい言ったわ私どうしてなのっ!」
「落ち着けよ、駅前さん……」磯野が横目で言った。「怖えからさ、マジで。お! まっちゅんもプレゼント三つ用意してんぜ? つうこたぁ、一つは自分のかっ! がっはっは」
「お肉だ」夕が面白がって言った。「まちゅらしい誕生日プレゼントだし」
「女子会でござるな」あたるがうっとりとした眼で言った。「こういう時間を垣間見れるのは、ファンとしてというより、男としてドキドキするでござる」
「あら、女子でもドキドキしますよ」駅前が言った。「もう幾つか動画を撮っているんですね……。ここにいる誰か、聞いてます?」
「いや、初耳」夕は小さく笑った。「まいやんは口固いんだよな。もっと初期のまいやんなら、ぽろっと圧しに弱くて、つい、て事もあるんだろうけど」
「ここを利用してくれてる事だけで、充分なサプライズだ」稲見は冷静に言った。
「パーティー用の三角帽子、一人だけかぶったまんまなのが超絶可愛いんだが。まちゅ」夕は画面に笑みをこぼして言った。「有限なのが不満だな」
「時は等しく有限だよ」稲見が夕に言う。夕は頷いていた。「無限は、定義しか確認されてない。比喩とかね。例えば、可能性は無限大だとか、だね」
「有限だからこそ、大事にしなきゃいけないよな」夕は己に訴えかけるように呟いた。
 そして、誰もが息を吞んだ。
「えっ」と夕。
「え!」と磯野。
「えー!」とあたる。
「……」稲見は驚いた顔をする。
「十月、二十八日……」駅前が囁いた。「まいやんさんの、卒業ライブ……」
 それは白石麻衣からの、ユーチューブチャンネルを通しての、白石麻衣卒業ライブの決定発表だった。
 画面の中で、高山一実と松村沙友理が泣いている。卒業ライブを発表した本人である白石麻衣も涙を拭いていた。
「二ヶ月後、か……」夕が呟くように言った。
「とんでもない日になったね」稲見は四人を交互に見つめながら言った。
「誕生日に、ラストライブの発表かよ……」磯野は終わった配信画面を消して、四人の顔を見つめる。「お前らよぉ、気合入ってっか?」
「当たり前だー!」あたるは万歳のポーズで叫んだ。
「おお、ルフイ!」磯野はそれを見て喜ぶ。
「大切に、見届けよう」夕は四人の顔を見て言う。「まいやんの晴れ舞台だぞ。気持作って行こうぜ」
「夏も終わりの頃だね」稲見がもの寂し気に言った。「かなりんのラストスケジュールもその頃になる。乗り越える十月になりそうだ」
「先に進みましょう」駅前は眼玉をひん剥きながら虚空に言った。「いつでも、乗り越えてきたじゃないですか……。私は、それまで泣かないわ……」
「しょ、小生もでござるぅ!」あたるは泣きながら言った。「まいやんのライブの前にっ、来月っ、かなりんのテレビでのラストステージがあるでござる! 今から一か月後でござるよ!」
「まずはそれからか」夕ははるやまのスーツのポケットに携帯電話をしまってから、四人に言う。「かなりんのラストステージ、ここの地下六階、<映写室>に集まろう。みんな思い思いの装備で来いよ」
「生放送だね」稲見は携帯電話で情報を調べながら言った。「何の曲をやるのかわからないけど、かなりんも出るんだね?」
「確認済みでござる!」あたるは大きく頷いた。「おいでシャンプー以外に考えられないでござるよ、イナッチ殿」
「そこは強制しないでおいたんだ」稲見は少しだけ微笑んだ。「きっと思い思いの楽曲が頭に浮かぶだろうと思ってね」
「かなりん出るなら、卒業意識しての出演だろう」夕が言った。
「ほんじゃ、おいシャンだわな!」磯野はけけらと笑った。「ライブ同然に騒ごうぜ!」
「その後は、まいやんのステージだ」夕は皆を見回して言った。「まずは目の前を大切に、じっくり推して行こうぜ。今からスイッチ入れてけよ」
「おおよ!」
「OK」
「了解でござる!」
「わかりますた。ました! わかりましたって言いたかったんです私は!」
「落ち着けよ、駅前さん……」磯野は眼を合わせないように、小さく言った。「ガチでさ、怖えからさ……」

       11

 二千二十年九月三十日。今宵<リリィ・アース>に集結した乃木坂46ファン同盟の五人であるが、地下六階東側の壁面に存在する<映写室>にて、用意周到に画策されたように、それぞれがファングッズを身にまとい、『テレ東音楽祭2020秋!思わず歌いたくなる!最強ヒットソング100連発!4時間半生放送』が始まるのを息を呑んで待ち望んでいた。
 巨大スクリーンにて、乃木坂46が紹介されると、磯野波平が重たくのしかかっていた沈黙を打ち破った。