その両手をポケットにしまいたい。
「なーんか、あっという間だよな、かなりん」磯野は巨大スクリーンを眺めたままで誰にでもなく話し始める。「写真集はぜってえ買いだよな。まあ、その前に今日のラストテレビステージか……」
「オンライン、ミート&グリートを抜かせば、実質上、かなりんの生の姿を応援できるのは、今夜だけでござる……」あたるが続いて言った。
稲見瓶も反応を示す。「十月十三日に写真集が発売。十月の二十三日に沈金を卒業。後は十月の二十五日のミーグリが最後だね」
「せつないな……」夕は溜息を吞み込んで言った。「そろそろ紹介されそうだな……。みんなわかってるな?」
「わあってる。ったりめえだ大丈夫」磯野は鼻息を荒くして言った。
それぞれが息を呑む中、<映写室>の巨大スクリーンに、中田花奈、白石麻衣、秋元真夏の三人が映し出された。
画面の左上には乃木坂46を映したワイプと、LIVEの文字が表示されている。
番組は中田花奈が『おいでシャンプー』において今夜限りのセンターを務める事を説明している。
風秋夕は短く深呼吸をした。稲見瓶は、スクリーンを大きく見つめる。磯野波平は小さく咳払いをした。姫野あたるは、鼻をすする。駅前木葉は、すっと、胸を張った。
五人が、サイリュウムカラーを白と黒に合わせる。
「はーい続いては乃木坂46の皆さんです、よろしくお願いしまーす」
「よろしくお願いしまーす」
「いやー中田さん、今夜センターを。ねえ? どんなお気持ちですか?」
「そうですね何か、このご時世ってなかなか、ファンの方に恩返しするイベントとか難しいかなと思っていたところだったのでぇ、こういう形でぇ、あのファンの方にこう、恩返しできたのかなできるのかなと、思うと、凄く嬉しく思います」
「ま白石さんもね、一期から一緒に頑張ってきましたけども、感慨深いんじゃないですか?」
「そうですねー、なんかー……頑張ろうね、って感じ」
「頑張ろうね」
「いいなー、仲間に入りたいなぁそういうの。白石さんもね、もうすぐ卒業という事ですけれどもね」
「はいそうですね。私も残りの時間をもうメンバーと一緒に楽しく、過ごせたらいいなと思っています」
「そうですね」
「な・か・だ! みたいのやらないんすか?」
「えと、ナカダカナシカっていうのが、あります」
「はい、では、乃木坂46の皆さん歌のスタンバイをよろしくお願いします」
「お願いしまーす」
『おいでシャンプー』(2012)乃木坂46 作詞秋元康 作曲小田切大
おいでシャンプー 夏の日差しと
風に運ばれ 届くまで 待ってる
白い半袖のシャツがきらり
水のないプール 君はデッキブラシで 掃除してた
僕はホースの先を細めて
霧のその中に 虹を見せるよなんて ふざけてた
誰より君のこと 一番近くに 感じたいんだ いつも…
おいでシャンプー 振り向いた時
スローモーションで 揺れる髪
おいでシャンプー 君の予告が
甘く切なく 届いたよ 僕に
五人は声を合わせる――。
「ダメダメダメー!」
「ナカダカナシカ! ナカダカナシカ! 俺のナーカーダーカナシカ!」
「ナカダカナシカ! ナカダカナシカ!」
「今まで本当にありがとうございました~!」花奈は画面越しにそう叫び、微笑んだ。
おいでシャンプー 振り向いた時
スローモーションで 揺れる髪
おいでシャンプー 君の予告が
甘く切なく 届いたよ 僕に
これが恋なら夢で会いたい(おいでシャンプー)
楽曲が終わりを迎えると、泣き顔で「ありがとうございました」と囁く中田花奈がいた。
風秋夕は大きく深呼吸をした。
稲見瓶は微笑んだままで、スクリーンを見つめている。
磯野波平は涙を拭って、笑った。
姫野あたるは片腕で顔を覆い隠して泣き叫ぶ。
駅前木葉は笑顔で、静かに頬の涙をタオルで拭いた。
12
夏はもう、とっくに終わってしまっていたな。風秋夕がふとそう思った瞬間に、ポケットの携帯電話が電子音を発した。
<リリィ・アース>の地下には一切の窓がない。だが、風秋夕はそれを閉鎖的に捉えた事はなかった。個人的にその空間の事を、特別な秘密を覆い隠すベールだと思っているからである。
LINEは磯野波平からであった。内容は「遅刻すんぞ、早く来い」との事である。
風秋夕は高い天井を見上げる。高さは十八メートルにもなるだろうか。ここ地下二階は地下階層で最も天井の高い造りになっていた。
何に触れる事もなく、胸の鼓動を感じる事が出来た。
中央の星形に五台並んだエレベーターの一台に乗り込み、地下六階の東側の壁面にある<映写室>へと移動した。
もう、乃木坂46ファン同盟の他四人は、既に先に到着していた。
それぞれが白石麻衣のグッズに身を包んでいる。
<映写室>の巨大な扉を締め切った時--、瞬時にして、空気感が変わった。
巨大スクリーンには、何やらの説明ページが表示されていた。
二千二十年十月二十八日午後十八時半より、予定に反し、システムエラーによって、楽天TVの白石麻衣卒業コンサートのページにアクセスができなくなっていた。
誰も、何も喋らなかった。
五人共が、客席を立ち上がり、今か今かとその瞬間を信じていた。
二十時頃になり、ようやく白石麻衣の卒業コンサートが開催される――。五人の吐息は少し荒々しくなっていた。
おおよそ六十三万人のユーザーが、このコンサートを胸熱くして見守っている。
ブイティアールが流れ始めた。
風秋夕はそれを、強く見つめ上げる……。
テレビ画面を見つめる、まだ幼い少女がいる。
この瞬間がずっと続けばいいのに――。
海岸を歩く、三人の少女の姿が映し出される。
『あ、そういえば、まいやんのニュース見た?まいやん卒業するね』
『うん……。びっくりしたよね』
『もっといて欲しかったなー』
『私も』
再び、家の中でテレビを見つめる少女に映り替わる。
この瞬間はずっと続かないから――。
少女は手紙を書き始める。
白石麻衣さんへ。私は乃木坂46の白石麻衣さんのファンの八才の女の子です。
ライブには行けないし、もう会えないので、お手紙を書きました。
いつか、白石麻衣さんのような女性になりたいです。
オーヴァーチャーが鳴り響き始める……。
風秋夕の心臓の鼓動が、更に早く力強く脈打ち始める……。
五人は沈黙を保ったままで、それらを見つめる。
あらゆる場面の白石麻衣を映し出す画面――。
少女は手紙をポストに出すと、帰宅する。
『ただいまー』
『おかえりー。あんたー、何か勝手に注文した?』
『え?』
『なんか荷物届いてるよ』
『荷物ー?』
居間に駆け寄ると、そこには乃木坂46から届いた段ボールがある。
中を開けてみると。
『あー‼』
この時間はずっと続かないけど――。
中には、白石麻衣の人形があった。
人形と同じ衣装を着た白石麻衣が画面に現れる。
白石麻衣卒業ライブの始まりであった……。
物凄い迫力のサウンド――。
作品名:その両手をポケットにしまいたい。 作家名:タンポポ