その両手をポケットにしまいたい。
電脳執事のイーサンの声がフロアに応答する。
イーサンには大声量で天井に話しかけなくともよいのである。音声認識のマイクは感度が抜群に優れているものが至る所に設置してあるし、コンピューターが『誰がイーサンに話しかけているのか』と、詳細に至るまでほぼ完璧に認識識別作業が処理可能である為、例え小声であってもイーサンを必要とする発音音声があるならば読み取り、応えてくれるのであった。
風秋夕達、乃木坂46ファン同盟の中には、これを知らない人物が多い。
「今、個人部屋以外に滞在している、乃木坂は何人いますか?」駅前は自然と天井を見上げる。これは共通の癖ともいえるだろう。
『七名様がご滞在でございます』
「誰が、どこにいますか?」
『地下六階の<無人・レストラン>一号店にて、高山一実様と西野七瀬様がお食事中でございます』
「かずみんとなぁちゃん、ああ、イーサンもうわかったわ。また教えてね」
電脳執事の『畏まりました』という声だけを残して、フロアにまた静けさが舞い戻った。
駅前木葉は近い角度にあったエレベーターに乗り込んで、迷いながらも、堪えられない興味心から、とりあえず地下六階のボタンを押した。
地下六階に到着すると、迷いながらも、フロア北側に左右ある巨大扉の、左側の方へと進んだ。案内表記には<無人・レストラン>一号店、二号店、三号店と記されていた。
巨大扉の奥に繋がる長い通路には、左手側に、三つ飲食を目的とした施設のような入り口があった。
その一つ目に入る。プレートには<無人・レストラン>と表記してあった。
自動ドアがスライドし、駅前木葉は店内を見渡すようにして中に進む。
「あー木葉ちゃーん!」
駅前木葉に気付いた高山一実(たかやまかずみ)が、第一声を上げた。西野七瀬(にしのななせ)も「こんばんはー」と笑顔で続いている。
「かずみんさん、なぁちゃんさん、こんばんはー。はあ!」駅前は、唐突に顔を驚(きょう)愕(がく)させて二人を見比べる。「お洋服、お揃いですかあ!」
優雅な雰囲気の中にも気楽さを感じる二人の服装は、どちらもがお揃いのニューエラのロングTシャツだった。高山一実がブラックで、西野七瀬がホワイトを着ている。
「揃えてみましたー」にこやかに一実が言った。「木葉ちゃん、も仕事終わったの?」
「はい」
「あー座って座って」一実は空いている席、ちょうど七瀬との真ん中にあたる席に、駅前を優しく誘導する。「ご飯もう食べた? まだ食べてない?」
「あ、ええ、これからで、まだ食べれていません」計り知れない緊張の中、駅前はしかめ面の微笑みで言った。「お二人は、何を召し上がられているんですか?」
「あ、私がカニカレー炒め」一実はテーブルの料理を丁寧に示しながら説明する。「タイカレー」
「私は…鶏の、グリーンカレー」七瀬も料理に視線を落としながら答えた。
「木葉ちゃん、何食べる?」一実が優し気にきく。「はい、メニュー」
「あ、ありがとうございます。じゃあ……、私はぁ……」駅前は眼玉を見開いて、メニューを見ながら微笑み返しているつもりで言う。「ダイエットしているので、空心菜の炒めで、はい」
「あー、大好き」一実は屈託なく微笑んだ。「空心菜美味いよなー」
「はい、私も好きなんです」
「でもさ、ここの注文した、料理って、どこからくるんだろ」七瀬がつぶらな瞳を瞬きさせながら、不思議そうに言った。
「あなんかね、あ聞いたな、なんかね、……この上の? 大地、ていうか地面にある、五、六軒の民家があ、なんか、ここ専用のレストランになってるみたいよ」一実が思い出すかのように、綺麗な顔から言葉を絞り出すかのようにして言った。「そこに沢山シェフがいてえ、なんかそっからくるみたいよ」
西野七瀬は声を漏らして納得している。駅前木葉も納得していた。
「あ木葉ちゃん、何飲む?」一実が駅前に言った。
「お二人は、ワイン、ですか?」駅前は二人のテーブルにある大きめのワイングラスを見て言った。
「ペアリング」一実は快く答える。「ペアリングワイン。けっこう飲みやすいよね?」
「うん、飲みやすぅい」七瀬は頷く。
「あ、なぁちゃんお酒飲んじゃってるから胃、胃薬もう飲めないんじゃない?」一実が唐突に表情を驚かせて言った。「胃ぃもたれてる?」
「あー……、大丈夫」七瀬は、そう答えてから、笑窪(えくぼ)を作って言う。「薬もう飲めないや。気を付けないと。いつも持ち歩いてる。でも、今日、肉食べてないから」
「あ、だじょぶか。良かった良かった」
「イーサン、私にもワインのペアリングを下さい。空心菜の」
電脳執事の声が店内に響き渡った。
「えぇ! そんな小声でも伝わるの?伝わるんだ?」一実は大袈裟に言った。「うちらもっと大声で叫んでたよねえ? イーサン!」
「イーサン!言うてた」七瀬も笑う。「イーサン!」
「今なぁちゃんさんがおっしゃったように、会話でイーサンの名前を出しても、何かを要求されていない、と判断してちゃんと反応しないんだそうです」
「えー、凄ぉい。そうやんな、今イーサンの名前出しても、反応せえへんもんな」七瀬は感心しながら言った。
「へーすごーい、えーそうなんだぁ、えー」一実に笑みが零れる。「それさ、その、その顔何なの?どしたの?急にどしたの?」
「はい?」駅前は眉を顰めて、顎をしゃくらせて答える。「何が……、あ、あーあ、はい。あのう、緊張と、興奮で、顔がこわばってるんですかね、たぶん」
西野七瀬は口元を手で隠してくすくすと笑う。高山一実も笑っていた。
「お二人と、ワインが飲めるなんて……、はあ。幸せやわあ、ほんまに」駅前はそこから表情と声色を急激に激しく変換した。「おっおおう、大阪かっ!関西弁がっ、つい口走ってる私!くそう!何でこーなるのっ!ごめんなさい」
「あははだいじゅぶだいじょぶ」一実は全てを許容するような笑みで言った。尚、七瀬は耐えられずに大笑いしている。「うちらもう慣れてる。木葉ちゃん関西弁好きなんだよね。あは、うけるうける、冗談として使えるよ、それは」
「ごめんなさい。お恥ずかすい限りえす」駅前は顎を限界までしゃくらせて言った。
高山一実は込み上げてきた笑いと格闘する。西野七瀬は身を任せるようにして笑いから解放されていない。駅前木葉が濃い目つきでしゃくれきったまま「しゅいましぇん」と言った後で、高山一実も砕け散るように笑い始めた。
テーブルに付属した<レストラン・エレベーター>から駅前木葉が注文した空心菜の炒めものとワインが届いた。それを上品に知らせたのは無論、電脳執事のイーサンである。
駅前木葉の緊張が程よくほどけてきたのは、三人が食事を終えてからだった。
「あそっかー、えーでも、じゃあライブで何色にしてるの?ペンライト」一実は会話をリードして駅前にきいた。「サイリュウムか。誰推しでもないんなら、どうしてるの?」
「誰推しでもないんではなく、みんな推しなんですよ」駅前は目元を笑わせてほくそ笑んで一実に言った。「その時の会場に任せて、色を変えています。後は、なんとなく、ですかね。こう、順番にというか」
「この人ー、ていうのは、ないん?」七瀬は駅前を見つめて言う。「全くないの?」
「ブームみたいな感覚は、あります」
作品名:その両手をポケットにしまいたい。 作家名:タンポポ