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自分らしく
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彼方から 余談・エイジュ・アイビスク編 最終話

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「……そう『思い』、そしてその思いに違うことなく行動することが出来る……それは、誰にでも出来ることではないと、思うのだけれど?」
 エイジュは笑みを湛えたまま小首を傾げ、そう訊ねていた。
 俯かせた顔を上げ、彼女を見やるローリ。
「心の思うままに、正しいと思えることを出来たあなた『も』、強い人だと私は思います」
 次いで、温かな言葉を掛けてくれるクレアジータも、同じように見やる。
「大事なのは心……」
 ローリの呟きに、同時に頷く二人。
 もう一度、温かな笑みを向け、
「では、改めて……礼をさせて頂けますか?」
 クレアジータは再度、右手を差し出していた。
 躊躇いつつも、その手を握るローリ。
「有難う――あなたの心が、光の方を向き続けることを祈っています」
 クレアジータも優しく、強く握り返し、彼の瞳を真っ直ぐに見詰め、礼を述べていた。
「……いえ、わたしこそ、礼を言います。貴重なお話を伺えたこと、心より、感謝いたします」
 しっかりと、クレアジータの瞳を見詰め返し、ローリも礼を返す。
 二人は無言で笑みを交わすと、どちらともなく握り合った手を離していた。

 客車の扉が閉じられてゆく。
 その音を合図に、エイジュは手綱を軽く振り、馬の背に当てていた。
 
 カラカラと乾いた音を立て進んで行く馬車を暫し見送った後、ローリは小さな明かりの灯る宿の扉を開いていた。

     *************

 自身の八つ当たりのせいで、泊まれる状態ではなくなってしまった迎賓館の特別室を後にし、ドロレフは自分の館へと戻って来ていた。
 夜着に着替え、寝室のベッドに腰掛け、サイドテーブルに置かれた酒を、手酌で煽っている。

 ――遅い……

 バルコニーに面した大きな窓を何度も見やり、苛立ちを抑え込むかのように、酒の器を空にしてゆく。
 やや暫くして……
 どうにも、堪え切れなくなったのか、ドロレフは空にした器を手にしたまま、力任せに、サイドテーブルの天板を叩きつけていた。
「いくらなんでも遅い――! ライザの奴、まさか、失敗したのではあるまいな」
 器を持つ手に力が籠る。
 ギリギリと、奥歯を軋ませてゆく。
 不意に――

     キィ……

 と、小さく、扉の軋むような音が耳朶を打った。
「――!」
 即座に、窓に眼を向けるドロレフ。
 月明かりの中、僅かに窓が、確かに、開いている……
 眉を潜め、窓を見据えながら、
「誰だ」
 ドロレフはバルコニーに向けてそう言い放っていた。


「――遅くなりました」


 低く、野太い声音……
 だが、とても静かで緩やかで……
 気に留めなければ、風に揺らぐ木々のざわめきと同じく、頭の片隅にも残らない様な――そんな、影の薄さを感じさせる。
 その声音と共にいつの間にか――寝室に射し込む月明かりが、一つの影を落とし込んでいた。
 見知った者なのだろう。
 ドロレフは特に驚く様子も無く、寝室に落とされた影に向かって、少し忌々し気に……けれども安堵したかのように、鼻を鳴らしていた。
「それで、どうなった」
 端的に、結果の報告だけを求めるドロレフ。
「ライザは失敗致しました」
 影の方も、何もかも承知しているかのように、部屋に入ることなく、端的に言葉を返している。
「なに!?」
 思わず立ち上がり、その拍子に、酒の器が乾いた音を立て、床を転がってゆく。
「あの男――何が国一番の暗殺者だっ!! 高い金をふんだくっておいてこの様かっ!!」
 ドロレフは怒りに任せ、床に転がる器を思い切り蹴飛ばしていた。
 理不尽な八つ当たりに抗議するかのように、器は小さな音と共に壁に当たり、割れてゆく。
 影は、怒りで息を荒げ、肩を大きく揺らすドロレフに、
「ザリエ様のことでも、ご報告がありますが……」
 と、感情も抑揚もない口調で告げていた。
 こちらに向いているドロレフの背が、ピクリと、反応する。

「……あの、バカ息子、か――」

 気を落ち着かせるように、大きく息を吐くドロレフ。
 窓の外……
 バルコニーに跪き、月光を背に浴びる影に眼を向けると、
「話せ」
 微かに怒りを含んだ声音でそう、命じていた。

     *************

 鳥の囀が聴こえる。
 カーテンの隙間から強く射し込む陽の光が、好天であることを教えてくれている。
 床に、道筋を付けるように伸びてゆく陽の光に眼を向けたまま、エイジュはベッドの上に腰掛け、胸に指先を、添えていた。
 鈍い痛みが、胸の奥底の方に、溜まってゆく。
 『あちら側』が、切れ切れの言葉で教えてくれる。
 イザークたちと別れた後――彼らに、何が起こったのかを……
 今、彼らがどうしているのかを……

 閉じた瞼に、寄り添う二人の姿が浮かぶ。
 二人が、イザークとノリコが、互いの気持ちを確かめ合えたことは、喜ばしいことだ。
 だが、同時に、二人の正体も知られてしまった。
 それがこの先、どのような結果を生み出すのか――
 どのように『あちら側』は導こうと……いや、『進んで』欲しいと、望んでいるのか……
 
 ――もう……
 ――ここも、離れなければならない

 次の行く先を、『あちら側』が伝えてくる。
 もう、クレアジータの依頼を、受けてはならないと……伝えてくる。
 
 ――あの大臣が、何もしてこないはずがないと、思うのだけれど……

 確実性の高い懸念が残る。
 だが、ここでの自分の役割はもう、終わっている。

 ――何もかも……
 ――中途半端、ね

 どこに行こうと、誰と関わろうと……
 最後まで、『関与』することは許されない。
 ただ、『あちら側』が伝え来る言葉のままに、動くだけ……

 ――前は……
 ――『あちら側』に伝えられるまま動くことなど
 ――なんとも思わなかったのに……

 今は、少なからず『不服』に思う自分がいる。
 だからと言って『拒否』という選択肢など、有りはしない。
 いずれ判明する『本当の役割』を知る為にも、言われるがまま、動くしかない。
 エイジュは徐に立ち上がると、陽光の射し込むカーテンへと向かい、開けることなく――気配を隠し、そっと、ほんの少しだけ隙間を広げ、外の様子を窺い始めた。
 塀の向こうを行き交う人々の姿が見える。
 その中に、ただの通行人を装いながら、クレアジータの屋敷の中を窺い、擦れ違いながら合図を交わしている者たちがいる。

 あれから――
 夜会の日から、数日が過ぎた。
 表面上は、何事も無く日々が過ぎているが、それは恐らく、『嵐の前の静けさ』と言うやつだろう。
 屋敷の周りをうろつく、何人もの不審な人影が、良い証拠だ。
 
 ――きっと……
 ――ダンジエル達も気付いているはず

 なのに、何も手を打たないのは、向こうも何もしてこないから……
 これまでの『嫌がらせ』と同様、こちらから何かするようなことはしないのだろう。

 ……もどかしくてならない。
 だが、これ以上、今の事態に手を出すことは『あちら側』が許さないだろう。
 次の行く先に居る『光』の下へ、駆けつけなければならない。
 その『光』を、護るために……

 ――ドニヤ国へ……