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自分らしく
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彼方から 余談・エイジュ・アイビスク編 最終話

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 ……いきなり、白羽の矢が立てられた証人の男は、焦りと驚きに瞳を大きく見開き、不安げに何度も瞬きを繰り返している。
 自身が連れて来たとは言え、屈強な体躯とは裏腹な頼り無げな様に過る、一抹の不安に、ドロレフの眉間の皺が、更に険しくなってゆく。
 大体、何を確認しようと言うのか…… 
 その思いに、ドロレフがクレアジータを振り返った時だった。
 可否の返答を待たずに、彼が、歩き出していたのは……
「貴様、何をっ!」
 ドロレフの声など耳に入らぬかのように、クレアジータは真っ直ぐに証人の男の下へと進み、物怖じの無い笑みを向け、護衛兵たちの間を、至極当たり前のように抜けてゆく。
 呆気に取られてゆく面々……
 誰も、彼を止めようとはしない。
 あのドロレフでさえ、一度声を上げた切りだ。
 クレアジータは何の苦も無く、男のもとへと辿り着いていた。

 四方から浴びせられる視線に動揺と緊張が隠せないのか、男の額から汗が、流れ落ちている。 
「……腕は、大丈夫ですか?」
 クレアジータは、自分よりも頭半分ほど背の高い男を見上げ、一旦、温かな笑みを向けた後、まるで落ち着かせるかのようにそう、問うていた。
 男は、眼前に立つ『臣官長』から発せられる、穏やかで包み込まれるような雰囲気に呑まれ、彼の言葉に幼子のように素直に頷いてゆく。
「そうですか、それは良かった……」
 ほっ……と、軽く息を吐き、頷くクレアジータ……
 彼の瞳を見ていると、それが社交辞令などではなく、心からそう言ってくれているのだと、そう思えてくる。 
「では、一つ、確認させていただいてもよろしいですか?」
 男が、落ち着きを取り戻した……そう見たのか、クレアジータは穏やかな口調で、了承を得るかのように訊ね――
「あ……はい――」
 男も、特に警戒することも無く、素直にそう、応えていた。

          ***

「確認したいことはただ一つ……あなたをそんな目に遭わせたと言う、渡り戦士の女性の――名前です」
「名前――」
 ただ一つの、ごくごく簡単な確認事項……
 絶えることのない、柔らかな笑みを浮かべるクレアジータを見詰めたまま、男は、その応えに苦慮していた。
 クレアジータの向こうに見える、ドロレフと眼が合う。
 男は引き攣った表情を見せ、黙って首を横に振っていた。

 ――そう言えば……
 ――一度も名を聞いておらぬ

 数日前……
 影の報告を受けた時――
 容姿の報告は受けたが、『名』は、一度も耳にしなかった。
 己から訊ねた記憶もない。
 数少ない女の渡り戦士、しかも、あの見場の良さ……その上『目撃者』までいる。
 その事にこちらの優位を確信し、確認を怠った……
 どう考えても同一人物にしか思えぬ内容に、勝気に逸り、『名前を確かめる』という至極初歩的なことを、念頭から外してしまっていたのかもしれない――

「大臣の仰る通り、女性の渡り戦士は確かに数が少ないですが、夜会に同伴して頂いた彼女だけ……という訳ではありません。無実の罪を着せる訳にもいきませんから、同一人物かどうか、名前を確かめたかったのですが」

 クレアジータの口から流れるように聞こえて来る正論に、虫唾が奔る。
 こちらの手違いを責める訳でもなく、それを逆手に取り、脅す訳でもない。
 全く他意は無いのだと……
 クレアジータの笑みから、そう読み取れる。
 当の本人の姿も無く、その名も分からぬ……これでは、酒場を潰した人物と夜会に同伴した人物が、『同一』と証明することは、出来ない。
 
 唇を噛み締め、ドロレフは相変わらず食堂の入り口に立ったままの隊長を見やる。
 隊長も、無言で首を横に振るだけだ……
 今朝まで、この屋敷を見張らせていた『間諜』の報告では、確かにあの女……
 『エイジュール・ド・ラクエール』という名の女の渡り戦士は、この屋敷に居たはずなのに――
 屋敷の出入り口は全て、見張らせていたはずなのに……

 これ以上は、いかに『大臣』とは言え、無理を通すことは出来ない。
 この目の上の瘤に問う為の『罪』が、見当たらない……のでは――
 
 
「……………行くぞ」


 大臣の口から、怒りを押し殺したような声音が、漏れ出る。
 ドロレフはそのまま、その場に居る誰とも目を合わせずに、食堂を後にしてゆく。
「は……はっ!」
 隊長は聞き逃してしまいそうなほどに小さな命令に、慌てて敬礼をすると、証人の男ともども警備兵と隊員たちを連れ、戸惑いながらも、大臣の後を追うしかなかった。

     *************

「良かったのですか……? クレアジータ様」
 昼の喧騒から逃れ、夜の帳が……静けさと共に降りてきている。
 書庫の中……長机の上に置かれた仄明るく揺れる灯明の下で、書誌を開くクレアジータに、ダンジエルはそう声を掛けていた。
「……何が、ですか?」
 昼間、あんな『ゴタゴタ』があったにも拘らず、いつもと変わらぬ風で書誌を捲り、書かれた文字を眼で追いながら、言葉を返してくる。
 そんなクレアジータの様子に小さな溜め息を吐くと、ダンジエルは酒と酒肴を乗せたトレイを長机の上に置き、自身も隣の席へと腰掛けていた。

 『元の通り』に直された書庫……
 大臣が連れて来た軍兵たちは、ご丁寧に屋敷の隅から隅まで、荒らしてくれていた。
 彼らが出て行った後……皆、総出で、片付けに追われた。
 ただ、書庫の片付けだけは、どこの棚に、どの書誌が収められていたのか、それが分かるのはクレアジータだけの為、彼が一人でやるしかなかったのだが……

 じっと、無言で……自分を見詰めるダンジエルの視線に耐えかねたかのように、クレアジータは書誌を閉じると、
「……エイジュのことを、言っているのですか?」
 そう、溜め息と共に訊ね返す。
 我が意を得たりと、微笑み返してくるダンジエルに釣られ、クレアジータも笑みを向けると、
「私達が、彼女を止められたと、思いますか?」
 もう一度、訊ね返していた。
「…………」
 返す言葉は無かった。
 だが……
「夜になるまで、留め置くことぐらい、出来たのでは……?」
 クレアジータのことを想うと、そう思える……
 もう少し、彼女を屋敷に……いや、この街の何処でも良いから、留め置く努力が、出来たのではないだろうか――と。

 今朝の出来事が思い返される。
 エイジュの突然の出立に驚き、碌に対処が出来なかった……
 思い留まらせることも、時間を稼ぐことも――その為に考えを巡らせることも……
 結果だけを見れば、彼女を留め置くことが出来なくて、良かったのではあるが――
 それでも、どうしても、後悔ばかりが先に立つ。
 自責の念に駆られてしまう……
 済んでしまったことに対する希望的観測をつい、口にしてしまう。

 ゆっくりと首を振り、
「無理でしょうね」
 そう断じるクレアジータ。
「クレアジータ様……」
 冷たく割り切ったように聞こえる台詞に、ダンジエルは思わず、眉を顰めていた。
「……本当のことです」
 少し瞳を伏せ、長机の上に置かれた酒に手を伸ばす。
 喉を潤す為か、クレアジータは酒を一口、口にした後、