BYAKUYA-the Withered Lilac-5
ツクヨミは、少年に少し訊きたいことがあったが、彼はビャクヤの言う通り、『夜』に来るようになって日が浅いと思った。故に訊ねた所で、ゾハルについて、いい答えは返ってこないだろう。
「そんなわけでごめんなさい、『断罪の免罪符』さん。お話ししたいこと、少しだけあったのだけど、ここでさよならみたいね」
少年は、また喚いた。
「よく聞こえねえよ、お前らもう少しこっちで話せよ。オレのこの『蚊帳の外』感パネェぞ!」
「そう、なら、聞こえるように言ってあげるわ……」
「ちょっと姉さん?」
ツクヨミは歩き出し、ビャクヤの前へと進み、数歩先で止まった。僅かに、少年の剣の間合いからは外れている。
「私の名はツクヨミ。そしてこの子は、私の剣であり盾である弟。名はビャクヤ。死に逝く者がその引導者の名を知らないのも不憫と言うもの。名乗っておくわ」
言い終えるとツクヨミは、少年に背を向け、下がっていく。ビャクヤとのすれ違いざまに、ツクヨミは囁いた。
「後はお願いね、ビャクヤ」
戦って打ち倒せ、というツクヨミのいつもの合図であった。
ツクヨミが後ろへと下がり、丁度いい場所に腰掛けるのを確認すると、ビャクヤは少年へと向き直った。
「さて。それじゃ。消えてもらうよ。少年」
ビャクヤは、ジャキっと背中に四対八本の鉤爪、『八裂の八脚(プレデター)』を顕現させた。
予想だにしないビャクヤの武器に、少年は少し驚きを見せるものの、自らを鼓舞するように言う。
「いつまでも少年って呼ぶんじゃねぇ! オレにはハイドって名前があるんだからな!」
少年、『断罪の免罪符』のハイドも名乗った。
「行くぞっ!」
ハイドが先に仕掛けた。
「どう……」
ハイドの剣が間合いに入る前に、ビャクヤは鉤爪を突き出した。
「なあっ!?」
ハイドはとっさに立ち止まり、後ろに飛び退いた。
「……料理しよう?」
刃物の鋭さを持ちながら、鞭のようにしなり、そして伸びる鉤爪が、普通では考えられない間合いからハイドを襲った。
ハイドは、襲いかかる鉤爪を刀で受け止め、更に間合いを開けた。
次はビャクヤが、歩み寄りながら攻撃を仕掛けた。
「微塵切りがいいかな?」
ハイドは更に飛び退く。しかし、ビャクヤが鉤爪を先行して伸展させ、ハイドの退路を絶った。
ビャクヤは、鉤爪を二本クロスさせ、ハイドの首を挟んだ。
「それとも。八つ裂き?」
ビャクヤは、恐ろしい笑みを向ける。
「よ、寄るな!」
ハイドは、刀を振り回し、ビャクヤの拘束から逃れた。
ビャクヤは、近くにある鉤爪で刀を受け、全ての鉤爪を引き戻しながら距離を置いた。
ーーまるで素人じゃないかーー
長い刀を武器としながら、その扱い方に全く技術が伴っていなかった。
運動神経は悪くない。現に飛び退いた後でも、体勢に崩れがなかった。
体の正中が崩れたその時が、死が訪れる瞬間だと、ビャクヤはツクヨミから訓練を受けて覚えていた。
武器の扱いは素人そのものだが、体の捌き方には見込みがあるか、というのが少年への評価であった。
「このやろっ!」
ハイドは、再び刀を振り上げながら駆けてきた。
「それ!」
ビャクヤは、鉤爪をその場に残し、半回転しながら後ろに少し下がり、鉤爪を僅かに伸ばした。
ハイドは寸前で立ち止まり、もう一度距離を取った。
「ねえ。キミさぁ……」
鉤爪を背後に引き戻しながら、ビャクヤは訊ねた。
「なかなか大層なものを持ってるけどさ。それで人を殺したことはあるかい?」
「なんだと……!?」
「あるのかい。それともないのかい? 答えはこの二つに一つだ。簡単な質問だと思うんだけどなぁ?」
「ない。この力は、人を殺すための力じゃねぇ! この『夜』を消すための力だ!」
「そうかい……ふふふ……!」
ビャクヤは、小さな笑い声を上げたかと思うと、夜空を仰いで大きく笑った。
「アハハハ! どうりで弱いわけだ。顕現を持ちながら。人を殺したことが無いだなんて。アハハハ!」
ハイドは激昂した。
「何が可笑しい!?」
「僕は。一人。二人……いや。数え切れないね。僕の前に立ちはだかるものはなんであれ。殺してきた。この爪でね」
ビャクヤは、鉤爪を一本引き寄せた。
「そうだ。冥土の土産ってやつだ。一つ教えといてあげよう。この辺は。ある夜明けに焼け跡となって見付けられた。キミでもそれくらいは知っているだろう?」
紅騎士ワーグナーの顕現による能力で作り出された炎によって、ビャクヤらのいる公園の木々は、顕現を取り込んだ異物となったために、現実にも焼けた姿で現れてしまった。
一般人には、これは不審火事件であると知らされたが、『夜』の顕現を含んでしまったため、火が出たいかなる原因は、誰にも突き止められてはいない。
「知ってる。これがただの火事なんかじゃなく、オレらのような『偽誕者』の戦いでこうなっちまった事もな。まさか、お前が……?」
「おっと。早とちりしないでほしい。僕のせいじゃない。なんなら僕は。火事を起こした悪いやつをやっつけた方なんだから」
「なに……!?」
ハイドは信用ならなかった。
「ま。信じるも信じないも。キミの勝手さ。けど。これだけは知っておいてもらいたい。そいつもこの爪で葬った。ってことをね!」
ビャクヤは、八本の鉤爪全ての根元を掴み、一気にハイドへと投げ付けた。
「味わいなよ!」
八本の鋭い鉤爪の先端が、ハイドへと一挙に迫った。
ハイドは、気を抜いていたつもりはなかったが、これは予想外の攻撃であった。
しかし、ハイドは落ち着き払い、刀を前に置いて顕現を集中した。
ーー止める……!ーー
ハイドの前に、白く光る顕現の盾が出現した。ビャクヤの放った鉤爪は、全てその盾の前に弾き返された。
ーー取った!ーー
顕現を有する偽誕者ならばだれでも使えるこの盾には、攻撃を防ぐだけでない特殊な効果があった。相手の持つ顕現の一部を自らの物にすることができる。
顕現を僅かに吸い取られたビャクヤの鉤爪は、一部が縮小してしまい、引き戻す事ができず、地に転がってしまった。
「今だ!」
ビャクヤの鉤爪は、八本の内三本が落ちた。この瞬間を好機、とハイドは駆け抜ける。
足早に迫られるビャクヤであったが、慌てる様子は全くない。むしろ、ハイドがこうして走ってくるこの時を待っていたかのようであった。
「この辺に……」
仕込んでおこうかな、とビャクヤは手のひらをかざした。人の肉体など容易く断ち切ってしまう硬度の糸が、投網のように放たれた。
「なんだ!?」
ハイドは足を止めた。ビャクヤの糸はハイドを捕らえることはできなかったが、そのまま空中に揺らめく蜘蛛の巣になった。
「へー。やるじゃない。あのまま突っ込んで。僕の巣網にかからないなんてさ」
ビャクヤは、蜘蛛の巣の向こうで笑っていた。
「舐めんな、こんなもの……!」
ハイドは、巣網を上から下へまっすぐに斬り下ろした。
巣を壊されても、ビャクヤはやはり不敵な笑みを見せるのみである。ビャクヤが笑っている理由は、すぐにハイドに身を以て知らしめられる。
ーー顕現が……!?ーー
作品名:BYAKUYA-the Withered Lilac-5 作家名:綾田宗