GLIM NOSTALGIA
――その年、錬金術師ソフィアが町を訪れ、効率の良い精錬方法を伝授した。以来磁石を各地へ出荷することで、町の財政は潤った、と。それはなんでもない記事で、実際、普通であれば、後半の「効率の良い精錬方法」に目が行くはずだ。財政が潤った、という。
その年とは、すなわち、およそ今から百年の昔。
しかつめらしい顔をして掲示された年表に見入っていたエドワードに、声がかけられたのはその時だった。
「随分熱心に見ているね」
かけられた老人の声に、エドワードは愛想笑いのようなものを浮かべて振り返った。既に、思索する錬金術師の顔はきれいに隠されていた。
「レポートの課題なんです」
エドワードには、各地での実地検分の際に有効な身分査証の設定が幾つかあった。だが何しろ見た目の年齢があまり大きく見られないので、どうしても学生という設定が多くなるのは否めない。
しかしそんなことはさておき、エドワードに声をかけてきた老人、見覚えがある気がしたら、入館の際声をかけた相手だと遅ればせながら気づく。
「学生さんかい」
老人はレポートという単語に少し驚いたようだった。
…エドワードがどんな少年か知らない相手なだけに、反応が素直だ。
「ええ。今、この、」
エドワードは軽く背伸びをして、年表の、今まで自分が見ていた部分を指差した。
「ソフィア、という人と、その功績について研究しているんです」
きちんとそう口にしたら、老人はぽかんとした。それこそ自分の孫くらいの少年にこんな丁寧な応対をされて驚いている、という風だった。
「ちょうど今は、彼女がセントラルから今のソフィアへ移動した道を辿っていて…」
エドワードの学生ぶりっこはさすがに堂に入ったものだった。確かに、この年で一人旅など普通はありえないことなのだ。それでも学生だといえば、単に童顔なのかと勘違いしてくれることもあるから、どうせなら慣れてしまった方が得なのも確かなのだが。
「…ほう…」
果たして老人はといえば、感心しきった目でしげしげと少年を眺める。
「ソフィアの……」
感慨深げに呟いた後、老人は一、二度頷いてから、おもむろにエドワードにこう声をかけた。
「それなら、とっておきを出してあげよう」
「…とっておき?」
首を傾げたエドワードを、老人は、こっちに来なさい、と促してから自分は歩き出した。資料館のカウンターの奥へ。
…どうやら、この資料館の関係者だったらしい。
老人がエドワードの前に広げてくれたのは、一冊の古びた手帳と二通の手紙だった。手袋をはめて丁寧に手紙を広げながら、彼は言った。
「これは、ソフィアがこの町に残してくれたものだ。もう一通は、私の父が出した礼状への返事だよ」
「…!」
エドワードははっと息を飲んだ。
「そちらの手帳は、ソフィアの日記だよ」
「え…!」
少年はとうとう目を見開いて絶句した。ソフィアは著作という著作を残していないから、もしこれらの遺物があると知れたら学術的にも、いや錬金術の見地においても偉大な発見となる。まさかそんなものがこんな田舎の町に眠っているとは…。
老人は唖然とするエドワードに目を細め、微笑を浮かべた。
「…君と君の愛する人に恵みのあらんことを」
「――?」
エドワードには見慣れない、恐らく祈りを捧げたのだろう、そう思える仕種を取って、老人は軽く瞑目した後上を見た。
「これを、持ってお行き」
「え…?」
軽く眉をひそめた少年に構わず、老人はエドワードの手を持ち上げると、そこに手帳と手紙を載せた。思わず、何事かと手の中を凝視してしまった。
「ちょ、ちょっと! …こんな大事なもの、もらうわけには…」
しかし、やはり受け取るわけには行かない。読めればそれで十分だし、歴史的に価値のあるものなのだから、しかるべき場所で保管するのが一番だろう。
一瞬呆けてしまったとはいえ、やはりそう思い顔を上げ――、
「……?!」
…目の前に今の今までいたはずの老人が消えていて、エドワードは零れ落ちんばかりに目を見開いた。なんだ、一体、自分は白昼夢でも見ていたのか?
「……」
呆然としながらも手元を見れば、手帳と手紙はそのまま手の中にある。では、夢ではない。だが…。
「…ん…? 待てよ…」
あの老人は、「父が出した手紙の返事」と言っていた気がする。だが、先ほどの老人が仮に七十歳だったとしても、百年前のソフィアに手紙を書いたのが「父」ということはないだろう。祖父というならともかく。
まだ昼前だというのに、エドワードは寒気を感じて肩を震わせた。
…本物、だろうか?
再び列車に揺られながら、窓の外に視線を移せば、幾人かの集団が線路脇を歩いていた。それがただの旅人などではないことはエドワードも知っていた。ここに来るまでの途中の駅で噂を聞いていたから。
エドワードは、先ほど幽霊にもらった手帳を膝の上広げていた。
…あの後外に出て、近所の人間を捕まえて聞いてみたが、その資料館にそんな老人はいない、と言われて終わってしまったのだ。どうやら本物だったらしい。
だが、害があるどころか、こうして貴重な遺産を渡してくれた。
よくわからないが、感謝すべきなのだろう。深く考えたら怖いので、エドワードはその先を考えることを放棄した。それに、その手帳を読み始めたら、とてもそんなことを考えていられる心境でもなくなった。
――ソフィアの日記は、絶望から始まっていた。
その部分を読んだ時、思わずエドワードは自分の膝をぎゅっと握っていた。
ソフィアは、戦争で、夫と生まれたばかりだった娘を失った。そして自分もまた、二度と子供の生めない体になった。
日記の最初は言葉ではなかった。
ただただ、悲嘆の叫び。その痛切な単語の連なり。神への呪詛。そうした物だけが延々と綴られていた。
その後抜け殻のようになって街をさまよっていたソフィアは、ふとしたことで旅の錬金術師と出会う。錬金術師が壊れた建物や、怪我をした子供を治すのを見て、ソフィアには狂おしいまでの希望が生まれる。
「…ご同類、かよ…」
彼女は人体練成を試みるため、寝食も忘れて錬金術に打ち込んだ。そしてとうとう、驚異的なスピードでその境地へ至る。
が…。
彼女は失敗し、恐らくどこか内臓の一部を失った。大人しく安静にしていれば五年は生きられるだろう、と医者に告げられるが、己の業を悔いたソフィアは、北の地へと旅立つ。そしていくつかの町に立ち寄り、ささやかだけれども少しずつ、貧しい土地の人々に生きていくための術を与える巡礼の旅を続けた。その旅路はけして楽なものではなく、元々体力の落ちていたソフィアをどれだけ苛んだか知れない。しかしそれでも彼女はやめなかった。
そうして最後に辿り着いたのが今のソフィアだ。そこで二年の月日を過ごし、彼女は静かに息を引き取る。
呪いの言葉から始まった日記は、最後には穏やかな、慈愛に満ちた言葉に終わっている。
エドワードは深く息を吐いて、額を覆うようにして窓に頭をもたれかかる。今はなんともいえない気持ちだった。
同じ悲しみの元、同じ過ちを犯した錬金術師は、最後には自分の身をあまねく大衆のために捧げる人生を送り、穏やかな最後を迎えた。
作品名:GLIM NOSTALGIA 作家名:スサ