GLIM NOSTALGIA
三幕 錬金術師の反旗
だだっ広い、どちらかといえば緑の乏しい平らかな大地の上、その町は唐突に現れる。
町を巡る城壁はそう高いものではなく、門もまた閉ざされてはいない。そして、さして厳重な様子でもない。
城壁の周りを中心に突然、緑の垣根が作られていて、その豊かさは周囲の荒涼とした雰囲気と比較して明らかに異質だった。
「………」
噂の結界には、それそろ入っているはずだった。
エドワードは、細工を施した右腕を黙って見下ろす。弟などに言ったら確実に停められるような、一か八かの賭けだったが…どうやらエドワードの強運は今回彼に味方したらしい。
町を囲む城壁をきりっと睨み付けると、エドワードは馬の腹を蹴った。彼は高く嘶いて、少年の意のままに走り出した。
しばらく言って、そろそろ本格的にソフィアの町に入ろうか、といった所だった。
「…離してくださいっ…」
か細い声と、それを打ち消すような荒い、下卑た声がして、エドワードは手綱を引いた。探すまでもなく、城壁周りの木の陰から、エドワードとさほど年のかわらなそうな少女が飛び出してきた。靴が片方脱げてしまっているが、必死に逃げる、怯えた顔からすると、そんなことには気づいていないかもしれない。
そして、その少女を追うように、いや、確実に追って、同じ場所から出てきたのは二人組の軍人だ。ぴしり、とエドワードの額に青筋が浮かんだ。エドワードはもう、特に何も考えず、走って逃げる少女と追う軍人の間に馬で割って入る。
「うわっ?!」
この場で自分が国家錬金術師だと明かして彼らを脅しつけるのは簡単だったが、そんな風に自分がここに来たことが知られるのは、あまり歓迎できたことではなかった。だが放っておくことはもっと出来なかった。別に格好つけるつもりはないが、それでもだ。
「…なーにだっせぇことやってんの、あんたら」
冷たいがまだ高い声に、軍人…徽章から、少尉と知れる二人の男が揃ってエドワードを見上げた。こんな奴らが少尉?、とエドワードは思わず東部に居残っているはずの少尉達の顔を思い浮かべた。…こんな螺子のゆるい連中とハボックやブレダが同程度というのは、非常に納得のいかない話に思えた。
どちらかといえば小柄で、年よりも幼く見えるエドワードだ。
その姿を認めた瞬間の軍人達は当然のように嘲る色を浮かべた、が…。すぐにその眼光に飲まれたように足を止める。
「…なんだ、おまえっ」
それでもこんな子供にしてやられるなどプライドが許さないのだろう。わからなくもないが、相手が悪い。
「うぅるせぇっつーの。てめぇらみたいなカスに名乗る名前はねえ、よ!」
言いながら、エドワードは器用に馬の前脚を上げさせた。
「うわっ」
いくら体格のいい軍人達とはいえ、頭の上に馬の前脚が来てはとても平静ではいられない。血の気を引かせて馬から逃げる男達は分の悪さあってかすぐにどこかへ走り出した。腕に物を言わせるつもり満々だったエドワードは、拍子抜けしてしまった。
「…なんだ、意気地ねぇの」
どこまで情けないのだと肩を竦めつつ、…まあしかし揉めないで、少女も助けられたようだしよかったとは思う。
「…そのー、…大丈夫か?」
降りるとまたよじ登るのが結構大変なのだが、馬上から問いかけるのもいかがなものかと鞍から降りた。そして、真っ青な顔で震えている少女にそっと問いかける。
「……」
「あっ、お、おい?!」
近づいていくと、ふっ、と糸が切れたように少女が倒れた。同年代の女の子、といえばウィンリィくらいしか知らないエドワードにとって、これは若干想定外の出来事だった。…むしろ、「倒れる」「女性」というキーワードが母親の姿さえ連想させて。
気づいた時には、慌てて駆け寄って抱きとめていた。
地面に倒してしまわなかったことに安堵して、…それから遅ればせながら、見ず知らずの少女を抱きしめている格好になっていることに気づいて、誰も見ていないというのに慌ててしまう。
荒事には慣れている方だが、こういうのには慣れていないのだった。
「…まいったな、おい…」
エドワードは、…自分より頭半分くらい背が高い少女を不恰好に抱きとめたまま、ずるずると崩れ落ちた。馬に乗って颯爽と少女の危機を救う――というと格好いいのだが、どうにもやはり最後まではそれが保てないのだった。
エドワードが助けた少女は、名をフィリアといった。
「…あの、ありがとうございました…」
恥らうようにはにかむような様子は、例えばウィンリィとは正反対で、なんだかこそばゆいような、落ち着かない気持ちになるエドワードだ。
「いや…別に。偶然だしさ」
「でも、とっても、…嬉しかった」
緑がかった胡桃色の瞳を和ませて、フィリアは言う。エドワードはしばらく返答に困っていたが、そっか、と短く受け入れるに留める。
「…ところで、さ。オレ、家族とソフィアで落ち合うことになっててさ、それで来たんだけど。フィリアは、ここの人か?」
「…? うん。私はずっとソフィアに住んでるけど…」
それが?、とでも言いたそうな、不思議そうな顔で彼女は小首を傾げる。
「そしたらさ、案内、頼めないかな?」
「案内?」
「そう。オレ自身はさ、この町のことわかんないし…家族と待ち合わせたのって一応三日後だからさ。オレ、先に着いちゃったし」
勿論、初めからそんな計画を立てていたわけではない。これは要するにアドリブだった。しかし、偶然とはいえ町の人間と知り合いになれたのは大きな収穫で、それを生かさない手はなかった。
…それにもし付け加えるのなら、さっきの今でまた同じトラブルに巻き込まれる可能性は低いだろうが、すぐに見送るのも気がかりだったというのもないではない。助けたのに助け切れなかったら夢見が悪い。
「そうなの…家族と…。…うん、わかった。そんな大きな町じゃないけど…案内するわ」
少し思案したような様子を見せた後、フィリアは妙に決意した顔で、結局はそう申し出てくれた。それをエドワードは不思議に思ったが、言葉にしては、ただ「ありがとう」と答えたのだった。
ソフィアの城門をくぐると、すぐに番兵の詰め所のようなものがあった。外からでは良くわからなかったが、ノーチェックで町に入れるわけではないらしい。
ここで、エドワードは、フィリアに会えた偶然に感謝した。やはりいいことはしておくべきだ、と。
というのも、なぜかといえば、先に入っていた旅人と思われる集団が(馬車がなくなったのが三日前だと言っていたから、昨日か一昨日に徒歩で出発した者か、元々ずっと徒歩でここへ向かっていた者なのだろう)そこで留め置かれていたからである。
簡素な作りの小屋のようなものがあって、彼らはどうやら、すぐにはソフィアの町中には入れてもらえず、許可が下りるのを待っていなくてはいけないらしい。
しかし、町の住人であるフィリアは、番兵に会釈しただけで素通りだ。
「フィリア、後ろの坊主は?見ない顔だが」
さすがに声はかけられたものの、深刻そうではなかった。そしてフィリアは、実に嬉しげな顔をしてこう答えてくれた。
作品名:GLIM NOSTALGIA 作家名:スサ