GLIM NOSTALGIA
ロイもまた、町の検問の存在に気付いていた。
「…ブライス氏のおかげ、か」
町に入って早三日。
最初の日こそ気付かなかったロイだが、翌日、町の中を探索していてすぐに気付いた。
そうして食堂などでさりげなく話を聞いてみれば、余所者は一時ああやって拘束され、身柄を調べられるのだという。道理で町の中には道中見かけた旅人のような風体の者がいないわけだ、と思いながら、彼らはその後どこへ、と聞けば、皆が言葉を濁した。
まさか殺してしまうわけではあるまいと思ったが、あまり聞かない方が良いことらしい、とその先を尋ねるのはやめた。ロイもまた、彼らにとっては余所者だと知っていたからだ。
それでも、ロイが、あの検問に引っかからず、こうして今も町の中をふらついていられるのは、皆ブライスのおかげだった。
アーネスト・ブライスは特に庶民に人気のある音楽家だ。ラジオでもよく彼の曲はかけられているし、だからこそ軍も彼が率いるバンドに慰安を依頼するのである。
彼は積極的に地方を巡業することでも知られている。時には、無料で演奏会を催すこともあるという。ピアノやヴァイオリンなど見たこともないような土地で、子供や老人を集めてコンサートをしたという話も効いたことがあった。
そうした功績から、彼はアメストリス中で慕われている音楽家なのだ。この閉鎖的な町でもそれは例外ではなくて、そのブライスがロイを連れだ、と言ってくれたからロイは検問を素通りできたのだと後で知った。
つまり…当時怪我と疲労で、一時緊張の糸が切れてしまっていたロイは、いまひとつ記憶が定かではないのだが…門から番兵達が騒ぎを聞きつけ外に飛び出してきた時、ブライスもたまたま近くにいて、そのまま検問所に連れて行かれそうだったロイを「彼は私の連れだ」とごまかして引っ張りだしてくれたのだという。
そして、町医者に連れて行ってくれた。
手当ての途中くらいではロイの意識もさすがにはっきりしていたのだが、…まさかそんなことになっていたとは。
翌晩、最初の晩と同じ店で顔を合わせたブライスに、ロイは情けない気持ちで頭を下げた。こんな些細な怪我で意識をふらつかせるとは、と…。しかし、ブライスは真面目な顔でこう答えたものだ。「腕を駄目にするなんて、それが他人でも見過ごせることではありませんから」と。
根っからの音楽家ということなのか、それとも過去に何かがあったのか…それはわからなかったが、ロイは、それ以上言葉を重ねることはやめ、代わりにその夜も食事代を払わせてくれと言うに留めたのだった。
その晩も、結局、ロイはソフィアについて最初の夜に行った店に向かっていた。居心地が良くて、気に入ってしまったのだ。騒がしくないのも気に入っていた。ソフィア自体には他にも店があるのだが、どうも他を探す気にならないのだ。営業していない昼間はともかくとしても。
それはロイを案内してくれたブライスにしても同じらしく、結局二晩続けて同じ店で顔を合わせていた。おかげで、彼の宿は知らないのに、彼とは毎日会っていることになる。尤も、ブライスの場合は、この店にある鍵盤楽器も足繁く店に通う理由になっているのだろうが…。
「……珍しいな…」
その晩は、ドアの外まで楽しげな笑い声が聞こえてきた。誰か賑やかな客でも来ているのだろうか、とロイは首を傾げる。一瞬やめようかとも思ったが、その楽しそうな声が、たとえば酔っ払いの暴れる声とは違うことから、結局中に入ることに決める。
しかし、そうしてドアを開けて、ロイは不覚にも固まってしまった。
「………はがね、の…?」
声はごくごく小さなもので、誰もそれを咎めたりはしなかった。しかし、ちりん、と鳴ったベルの音で、店主が「いらっしゃいませ」と声をかければ、誰か客が来たのだな、と先客達にも勿論わかるわけで――、
「ああ、マスタングさん」
最初に振り向いたのは笑い皺を作っているブライスだった。それにどうにか引きつった笑みを返しつつ、ロイは、まだ背中を向けている金髪のおさげを凝視した。
それまで身振り手振りを交えて店主達に何かを聞かせていたらしい金髪の少年の方でも、隣でブライスが口に出した名前に肩を跳ねさせる。そして、ロイのぎこちない動きとは反対に、ばっ、と後ろを振り返った。
髪と同じ金色の目。
ああ、それこそは…。
「た――…!」
軍関係と知れて良いことはない、と咄嗟にエドワードは口を押さえて言葉を飲み込んだ。
目をまん丸に見開いてこちらを指差して固まっている少年に、ロイは深々と溜息をついた。
…自分の苦労や気遣いは何だったんだ、と思いながら。
エドワードとブライスの間に席を作ってもらったロイは、「詳しい話は後で聞かせてもらおうか?」と目の笑っていない笑顔で釘を刺した。正直むっとしたエドワードだったが、話すことがあるのも事実なので、「受けて立つぜ」と鼻息荒く答えた。
「…別に喧嘩しようというんじゃないよ」
それには、呆れたようにロイは肩をすくめた。実際、この少年の喧嘩っ早さは何とかならないものか、と嘆きたくもなる。時々だが。
「…エド。…えっと、…この人…?」
エドワードの登場にあまりに驚いていたので、ロイは、その少女に気付くのが遅れた。
「…?」
栗色の髪をした、素朴な少女だ。だが、いかにも性格の良さそうな娘でもある。
「あ、…あー、フィリア、そう、これ、ロイ・マスタング」
いきなりの「これ」扱いに、ロイは思わず目が点になった。固まっていたら背後で顔を背けたブライスが苦しそうに笑いを堪えていた。ちなみに彼が笑ったのには、ロイが使った偽名をそっくり否定されてしまったことも含まれている。だが、指摘したりはしなかった。
しかし、少年少女はどこ吹く風だ。
「マスタングさん?」
「そう。女ったらしだから、あんまり近づかない方がいい」
「…君、それは事実無根だ、名誉毀損で訴えるぞ」
「ご自由に? ただ言わせてもらえば、弁護人に立ってくれるヤツいないと思うけどな、あんたの普段の行状じゃ」
「………」
「えーと…、ロイ。この子、フィリア」
これ呼ばわりにも大概絶句したが、ファーストネームに比べればまだ何ということもなかった。今度こそロイは言葉を失い、エドワードをまじまじと見つめた。
…考えれば、わかるのだ。
この場で大佐と呼ぶのはあまりよろしくない、ということは。だがそれにしたって、…心の準備くらいさせてほしかったというのは贅沢なのだろうか。
えーと、という間はエドワードにとっての心の準備だったのかもしれないが、…しれないが…。
「何固まってんだ? あんた」
しっかりしてくれよな、と背中をぶたれ、それがあまりに勢いが強かったので、ロイは思わず咽た。情けないといえばそうだが、不意打ちの上に機械鎧ときては、情状酌量の余地あり、だろう。充分に。
「おいおい、大丈夫か? ほれ、水」
何のかんのと言って、やはり兄だからなのか、エドワードは自分が彼の背中を強打したことも忘れ、今度は背中をさすり、水を差し出してやった。
とうとう耐え切れなくなったらしいブライスが噴出すのを、ロイは自棄気味に聞いていた。
作品名:GLIM NOSTALGIA 作家名:スサ