GLIM NOSTALGIA
頬を染めて嬉しそうに頷く様子を見ていたら、エドワードはなんだか小さな子供を見ているような気持ちになった。外見で言うのなら少女とエドワードはさして年齢が変わらないのだが、フィリアは随分と素直な少女のようだった。
微笑ましげに見守っている店主とロイ、そしてエドワードの前で、今度は歌声つきでその曲が演奏された。それはやはりとても美しい調べで、今度こそエドワードは泣くかと思った。歌詞がついたせいもあるのかもしれない。
――That saved a wrench like me…
エドワードの脳裏に、あの日のロイの姿と、胸倉を掴まれてもなすがままだった自分の姿が思い浮かんだ。あの叱咤してくれた声が今も耳の奥に鮮やかに残っている。
(…あんたはオレみたいに、どん底まで落ちちまったヤツのこと、救ってくれたんだ)
けれど、それがエドワードがロイを好きだと思うすべての理由ではなかった。それはきっかけで、その後彼が見せてくれた不器用な優しさや思いやり、孤独や虚無をどこかに孕んだ、不完全な強さ、そうした彼を構成する色々なものが、いつの間にかエドワードの中で特別なものになっていたのだ。
もう一度、エドワードは彼をちらりと見た。ロイもまた無言で聞き入っているようだった。
晩餐の最後を締めくくった美しい旋律の余韻を引きずったまま、今は身分を隠している二人の錬金術師は、並んで夜の町を歩いていた。ロイの宿に向かうためだ。互いに言葉はないが、気まずさはなかった。
部屋に少年を招きいれ、コートをかけながら、ロイは「さて」とようやく振り返った。
「…まあ色々聞きたいことはあるが、鋼の」
「まあ、オレも言いたいこととか色々あるけどさ、大佐」
ロイは手袋をはめながら、エドワードは機械鎧の右手を殊更に鳴らしながら、じりりと向かい合う。
「…ぷっ」
が…。
その緊迫感を、エドワードが噴出した声が破ってしまうのに間はかからなかった。そして、それを口火に、二人は表情をがらりと変えて笑いあった。
「この! …一体どうやってここまで来た? 驚いたぞ、さっきは!」
ロイは破顔して、すっきりしたわだかまりのない顔で言う。エドワードもまた笑って返す。
「ったく、そりゃこっちの台詞だよ! …あんた、肝心な所とろくせぇから、とっ捕まってんじゃねえかって、助けに行ってやんなきゃなんねぇかなあ、って思ってたんだぞ?」
「…その割には楽しそうにしているように見えたが…」
「ありゃ腹ごしらえと単なる情報収集だ」
ふん、と鼻を鳴らしたエドワードに、ロイは双眸を和ませる。
…そんな顔をしてみせると、あの激しさが嘘のようにも思える。彼の本質は一体どれなのだろう、とさえ、思ってしまう。知りたい、と…。
「来るな、と言ったのに」
咎めるようなことを言いながら、ロイの目は、どこかで喜んでいるようにも見えた。それがなぜなのかはわからない。エドワードが追ってきたことを喜んでいるわけではないだろうが。
「結界は、反応しなかったのか? …いや、違うな。君のことだ。結界の謎を、解いたんだな」
口調に滲んでいたのは誇らしげな様子で、つまりロイは、エドワードを賞賛した上でそんな眩しげな、嬉しそうな目をしていたのだ、と気付く。
少なくとも嫌われているわけではないのだから、とエドワードは気を引き締めた。自分が彼を好きなこと、それがどんな意味合いなのか、そんな気持ちは今は封印しておくしかないと知っていた。だがせめて、その信頼を裏切りたくはなくて、エドワードはことさら気丈に胸をそらした。
「あったりまえだろ。オレを誰だと思ってんだよ?」
いつもの調子で切替せば、ロイはくつくつと喉奥で笑って、体を揺らしていた。実に楽しそうに。
「…まったく、鋼のときたら! ああ、でもいい気分だ。君は、私がした心配なんて、あっさり飛び越えていく。気持ちいいくらいに、いつだって」
「…大佐、…なんだよ、あんた、…酔っ払ってんの?」
確かに先ほどロイは結構飲んでいたように思う。顔色が変わらないので酔っていないのかと思っていたが、単に顔に出ないだけなのかも知れない。エドワードは照れ隠しにそう指摘したのだが、案外真実かもしれないと言ってから思った。
「…そうだな。すこし酔っているかもしれない」
ロイは軽く息をついて、ベッドに腰を下ろした。
「大丈夫か、あんた? 水飲む?」
ちょっとだけ心配になったエドワードが近づいて問えば、ロイはふわりと笑って、「君は案外優しいな」とのたまった。
これは確実に酔ってるな、とエドワードは結論付けた。
あのロイが正気でいてこんなことを言うとはとても思えない。
果たして…。
「おやすみ、鋼の」
「…はっ?」
妙にうっとりした顔をしたな、と思った次の瞬間、ロイは、座ったままの姿勢からばたっと横に倒れたのである。ベッドの上のことなので、怪我の危険はないが…。
しばし、絶句するエドワードと静かな寝息を立てるロイの間に片方にとってのみ重い沈黙が落ちる。勿論重苦しく思っているのはエドワードだ。ロイはむしろ気持ち良さそうに寝息を立てているのだから。
「……なんなの、あんた…」
はああ、と深い溜息をついて、エドワードはしゃがみこんだ。しかし事態は何一つとして変わらない。
「…ひっとの気も! …知らないで…」
往生際悪くもったり立ち上がりながら、エドワードは、座ったまま横になって眠ってしまっている男の暢気な寝顔に悪態をついた。だが、ちっとも起きる気配がない。
苦々しく思いながらも、そこは、悲しいかな長男。
シーツを跳ねて、ロイの靴を脱がせて、曲げていた足を伸ばしてベッドの中に入れてやる。当たり前だが、眠ってしまっているロイは大変重かった。エドワードはかなり力のある方だし、ある程度のコツのようなもの(自分より大きな物を持ち上げるための)はわかっていたので不可能ではなかったが、楽だったかというとそんなことはないわけで。
「高くつくぞ…これ」
毒づいて、…そこで、悪戯心が出た。
さらりとした真っ直ぐの黒髪をすこし梳いて、そうして露になった額に唇を寄せた。触れたかどうか、といったささやかな接触。口づけには程遠いものだったが、それでもエドワードの顔は真っ赤に染まってしまった。
「…オレも酔っちまったかな」
勿論酒など一滴も口にしていないのだが、何か言い訳をせずにいられなくて、ひとりごちる。
後はもうロイの穏やかな寝顔を見ることもなく、ぱっと離れて、反対側の自分のベッドにもぐりこんだ。
ちょうどよくベッドが二台ある部屋だったことに感謝したエドワードが、元々アダムスがそういうツインの部屋を予約していたのだ、と知ったのは翌朝のことである。エドワードの「ぶん殴る予定リスト」にアダムスが加わったが、ごくごく些細なことであろう。
翌朝は前夜と逆だった。
といっても、単純にロイがエドワードより先に起きたというだけなのだが。
「…うーん、これは…」
作品名:GLIM NOSTALGIA 作家名:スサ