GLIM NOSTALGIA
「オレ、アダムスのおっさんから預かり物してるんだ」
「…アダムス大佐から?」
何を、と首を傾げれば、そういえば最初から持っていた気がする鳩の鳥篭を掲げられた。そういえばずっと連れていたな、とのんきなことをロイは思う。言わなかったが、実は、非常食だろうかとまで考えていたロイである。
「こいつ、マドレーヌ」
「……マドレーヌ…?」
しかし一度は捨てた非常食疑惑が再燃してしまうような名前を告げられ、怪訝に眉をひそめた。
「あ、おい、言っとくけど、名前つけたのはアダムスのおっさんだぞ。オレじゃねえぞ。食い物の名前かよと思ってんだろうけど、違うからな!」
「…何も言ってないよ」
お返しだとばかり冷たくあしらうと、うー、と唸る。
「…まあとにかく、…マドレーヌは、伝書鳩だ」
「………」
「なんだよ! 言いたいことがあるならはっきり言え!」
「…別に…。いや…随分古風だなと思って…」
「しょうがねえだろ? 電話とかあるかどうかわかんなかったし…つーかアダムスのおっさんが言ったんだよ。手が必要になったらマドレーヌを飛ばせって」
「…大丈夫なのか? 鳩…?」
何となく半信半疑といった感じのロイに、エドワードは拗ねたように口を尖らせ、そっぽを向いた。
「知るか! …でもしょうがねえだろ、そうやって預かったんだから」
「はぁ…、まあ、うん。理解した」
ほんとかよ、とでも言いたげな顔をエドワードはしていたが、ロイもそれ以上は言わなかった。
「で? こちらの事情をそろそろ伝えよう、と?」
「ああ。それがいいんじゃねえ? 別にオレはあんな程度の人数、オレひとりで収められると思ってるけどさ。…問題起こった後じゃ、…迷惑かかるだろ。未遂なら、まだ平気だけど」
彼らが暴徒となって暴れたら、この町の運命さえ怪しい。それは二人ともにしたくなかった。
「…そうだな。…マドレーヌ嬢に頑張ってもらうか」
「………」
「…なんだ? 何か言いたそうだな」
「…相手が鳩でもあんたってフェミニストなんだな、…って…ちょっとある意味感動した」
「………そうか」
ロイは仏頂面で短く相槌を打った。
マドレーヌの足に短冊をくくりつけ、エドワードは勢い良く天へ放り投げた。鳩は、危なげなく空で翼を広げて、迷いなく翼をはためかせていく。
「…一応、ほんとにちゃんと、伝書鳩っぽいな…」
しかしエドワードはそんな失礼な感想を口にして、ふんふんと感心していた。こうなると鳩も少々不憫である。
その夜は、ソフィアに来て初めて暖炉亭を訪れなかった。宿の厨房に頼んで、軽食で済ませた。育ち盛りのエドワードには大層不服そうだったが、致し方ない。
二人は、さっさと夜食を済ませると、交互に門、検問所の見張りについた。初めはロイが自分ひとりでやると言ったのだが、エドワードが頑として受け入れなかったのだ。
…それに、ソフィアは、近隣の町や村より確実に暖かかった。勿論冬だし北部だから暑いということはないのだが、すぐ近くの村や町より暖かい、というのはおかしなことだ。この場合はありがたかいことだけれども。
そうした気温条件をして、他所の町は「ソフィアでは冬でも作物が育つ」と言うのかも知れない。実際ロイが見た限りでは、そんなに作物があるようには見えなかったのだが…。
「要するに、他人の芝生は青い、ってことなんじゃねえの?」
エドワードはそんな風に評したが、ロイもそれが大半だろうと思い始めていた。ただ、ソフィアの薬酒などの知識から見るに、たとえば寒さに強い品種を取り入れるとか、霜よけの技術だとか、そうした分野では何か秀でたものがあるのかもしれない。
しかし、そんないわれのない嫉妬で乱を持ち込まれるのではたまったものではないだろう。
とりあえず、その晩は、検問所に特に目立った動きはなく終わった。明け方、ロイとエドワードはそっと安堵の吐息をつき、眠りについたのだった。
先に起きたロイは、エドワードを残し、また塔を眺めに行った。
「……」
そうして、黙って上の方を見る。やはり何かがあるような…。
「おや、マスタングさん」
と、背後から声がかけられた。誰だろうかと振り返れば、それは、ソフィアに来た最初の日に腕の怪我を見てくれた町医者だった。
「ああ、どうも」
「こんにちは。その後、傷はいかがですか?」
「ええ、おかげさまですっかり…」
町医者は犬を連れていて、どうやら散歩の途中らしい。平和なものだな、とロイは思った。
無条件に検問所の人々を取り締まれないのは、こうした現実のギャップのせいもあるかもしれない。無論、どの道自分の管轄外のエリアである、というのもあるのだが…。
彼らは確かに手前勝手だ。だが、彼らに恨みを持つな、というのも酷な話だ。それは世の中には良くある矛盾、見過ごしてしまうような、そんなどこにでもある小さな悲劇なのかもしれない。だが…。
ロイは頭を振って物思いをやり過ごす。
「先生は、ずっとこの町におられるのですか?」
どうやら会話する意思の感じられる医師に、ロイは語りかけてみた。すると、彼は、ああ、そうだね、と答えた。
「うちは父親もこの町で医者やってましたからね」
「そうですか…。ところで、先生、今この塔を見ていたんですが…」
「ソフィア様の塔ですか?」
この町に生きる人々は、ソフィアへの信仰に支えられて生きているように見える。それはこの医師も例外ではないようだ。
「ええ。百年経っているとは思えない、立派な塔ですね」
「そうでしょう、ソフィア様のなさったことに間違いなどないのです」
ロイは淡く笑みをたたえて頷いた。
「…先生、ところで…この塔は中には入れないのですか?」
この質問は、医師にとっては仮定すらありえない、しかし初めて聞いたわけでもないものだった。
「…そうですね、マスタングさんのように外から来られた方には、不思議でしょう」
老医師は、ロイの隣で塔を見上げた。その目は信仰に満ちていた。
「ソフィア様がご存命であられた頃には、入り口もあったそうです。ほら、見えますか?上の方、鐘楼のようになっているでしょう」
医師が指差す方向を見、ロイは「はい」と頷いた。
「あそこには大きな燭台があったそうです」
「…燭台…ですか?」
「はい。そしていつも火が絶やされることなく、…その頃には、塔もきちんと三本建っていたそうですよ」
「…、三本目の、塔も、…ですか」
心なし息を飲んで問いかければ、ええ、と医師は肯定した。
「ソフィア様が生きておられた頃は…三つの塔の上部の燭台に火が灯され、人々は心安らかに暮らしていたそうです」
「…火が…灯されて…」
ロイは医師の言葉を繰り返し、そして、塔の上の階を見た。
その目は、――医師は気づくまい、真理の追究に魂を燃やす錬金術師の目、そのものだった。
「起きろ、エドワード!」
散歩から帰ったロイは、意気揚々とまだ寝ているエドワードに声を張り上げた。
「…んぁ…」
目をこすりこすり起き上がったエドワードは、落ち着きなく部屋の中を行ったりきたりするロイを見て、完全に目を覚ました。
「…たいさ…?」
作品名:GLIM NOSTALGIA 作家名:スサ