GLIM NOSTALGIA
くるっぽー、と鳴く鳩の頭を撫でて、俳優然とした初老の男は楽しげに目を細める。
「なるほどね、…錬金術師というのは面白い連中だなぁ」
マドレーヌを膝に載せ、アダムスは呟く。
預けはしたものの、まさか本当に伝書鳩を使ってくるとは思わなかったので、アダムスは驚きを禁じえなかった。彼らの意外な真面目さと律儀さに。錬金術師というのは、もっと専門馬鹿のような連中かと思っていたのだが…。
それはさておき、エドワードがよこした手紙には重大な内容が記されていた。チェスナットの件も、結界に関する件も、異なる軍人達の動きについても。
「…そろそろ覚悟していただきますよ、准将」
ふっと笑みを消して彼は呟き、…そしてテントの外へ出るべく立ち上がった。そう、今、彼がいるのはセントラルではなかった。
彼もまた、ソフィアの近くまで出てきていたのだった。
そして、実は、ロイがソフィアへ向かう際、それを停めようとしたのはアダムス指揮下のある一隊であった。これ以上原材料をソフィアへ投入させないために、アダムスはそういう指令を下していた。
…だが、とはいえアダムスは中央、部下は北部とあっては、どうしても緊密な連絡は取れない。そこで、ロイが遭遇したような、いまいち規律があるのかないのかよくわからない部隊も出てくるというわけだった。
そして、ソフィアのすぐそばにいるという軍人の部隊は、勿論アダムスの配下にあるものではない。さらに言うなら、リブロンは、大分前から、交代で近くの駐屯軍の小隊を一隊ずつ私的に利用していた疑いが出ている。また、使われる方も、大した仕事をせずとも金になるので(口封じもあったのだろう)特に不満なく参加していたようだ。
いよいよ大詰めだ、とアダムスは笑う。
それもこれも皆、錬金術師達がソフィアに行ってくれたからだ。あの町の中にはやはり何もないのだと、それをはっきりさせてくれたから、アダムスはこうして動ける。
アダムスだって、泥沼の内乱なんてもう真っ平だったのだ。
ロイが指摘したように、確かに、検問所に留め置かれている各地からのソフィアにとっては望まざる訪問者達の不満は既に相当高まっていた。既に限界まで膨らんだ風船のようなもので、そんなものを壊すのはほんの小さな一刺しで済むものだ。
ロイとは別行動で、エドワードはその夜の早い時間に、暖炉亭に向かった。
「エド」
フィリアが嬉しそうな顔をしたが、エドワードはうまく笑い返した自信があまりない。
「…どうしたの?」
「…フィリア。よく聞いてくれ」
「…?」
「今夜あたり、暴動が起こるかもしれない。…ロイが、そう言ってる」
「…暴動?」
フィリアは目を見開き、店主はカウンターの奥で顔をこわばらせた。
「大丈夫だ。オレ達が起こさせない」
「でも」
「…見てて」
「…?」
不安げな少女に悪戯っぽく言ってから、エドワードは、手近な場所からコップをひとつ手に取った。どうするのだと見守られている中で、少年はあっさりとそれを割る。
そして、何かを言われる前に、
パンッ…
手のひらを打ち鳴らし、割れた破片に手を突いた。あふれる練成光と、何事もなかったかのように元の姿に戻ったコップ。何よりも、連成陣を必要としない、魔法のような手腕。
「…ソフィア様と同じ…!」
フィリアは驚いてそう呟き、店主は言葉を失っていた。
「これは奇跡じゃない。錬金術だ」
「錬金…術…」
「そう。ソフィアもそうだった。この町だけでも守りたいと思ったソフィアも、オレと同じ、錬金術師だったんだ」
エドワードの声は染み渡るように響き、老人と孫娘は食い入るように金髪の少年を見つめていた。
「…オレ達が食い止める。手段はロイが考えた。…ごめん、今まで隠してたけど、…オレ達、軍の…」
この町では旅人同様軍も良く思われていない。
そもそも、軍が良く思われている地域の方が少ないかもしれないが。
…エドワードの告白は驚くべきものだっただろう。しかし、その直前の練成の方が印象が強すぎて、そこで軍がどうこう言われても、あまり気にかかるものではなかったらしい。というより、気にかけるところまでいけなかった、ということなのかもしれないが。
「…でも、フィリアにも頼みたいことがあるんだ」
「…私に…」
エドワードは力強く頷いた。
「歌ってほしい」
「……え……」
「あの歌を、歌ってほしいんだ」
「…ソフィア様の歌を?」
「そう。あの歌を。注意を引くのはロイがやる。…泣いてる赤ん坊ってさ、フィリア」
エドワードが笑うのをじっと見つめている少女に、彼は言って聞かせる。
「子守唄歌うとさ、泣き止んだりするじゃん。寝ちゃったりとかさ」
「…子守唄なの?」
「ぶったたくのはオレ達に出来ることだ。だけど、鎮めたり慰めたりっていうのは、力ですることじゃないから」
しん、と沈黙が落ちる。
エドワードは頼みはしたが、強制はしない。
やがて――
「…うん」
少女は、決意を湛えた顔をして、こくりと頷いた。
「…私に出来ることがあるなら」
「フィリアにしか出来ない」
エドワードは笑った。
「ありがとう」
フィリアははにかむ。
そして二人が早速店を出ようとした時、慌てた様子で誰かが走ってきた。
「大変だ、検問所が…!」
鉢合わせたのは、まさに呼ばれでもしたかのようなタイミングでやってきたブライスで。エドワードは暫し彼を見上げた後、短く依頼した。
「あんたも、来て欲しい」
「え?」
「音楽家なら、オレ達に出来ないことだって、出来るだろ」
「……?」
「公園のピアノ、あれ、どっから持ち出したやつ?」
怪訝そうな顔のブライスだったが、公園の管理事務局においてある、と答えた。公園の事務局は、広場になっている塔の前からは若干の距離がある。建物だから、鍵もかかるだろう。
「…よし、決まりだ」
検問所から溢れた人々は、口々にわめきながら街路を進んだ。
しかし、エドワードとロイが小細工しておいたために、自然と塔が立つ広場の方へ誘導されていた。二人は、町に向かう道をさりげなく物を置いたりして塞いでいたのである。不自然にならない程度に。夜で暗いのもあり、これが案外功を奏した。
そして、暴動の先端が広場に達した時だ。
…パチン、という音を聞いたものがその時いただろうか。それはわからない。だが、その乾いたひとつの音が、劇的な映像を浮かび上がらせようとは誰が知ろう。誰も、夢にも思わなかったはずだ。
「――なんだ、あれは!」
暴徒の一人がそれに気付き、上ずった声を上げる。程なくして、ざわめきはどよめきになった後、一気に収束した。
――もう一本の塔が、現れていた。
町中を歩いたことがないとは言え、二本の塔は検問所からでもよく見えたし、塔が二本あるという話は知られていた。それに、今歩いてきたこの瞬間まで、確かに塔は二本だった。それが、突然、蜃気楼のようにもう一本が現れたのだ。驚く、などというものではなかった。
人々は言葉を失い、畏怖かあるいは敬虔な気持ちによって、祈るように手を組んだり膝をついたり頭を垂れたりと様々である。
作品名:GLIM NOSTALGIA 作家名:スサ