GLIM NOSTALGIA
「その通り。だが今だって進化は目覚しいし、この先はもっと強力なものが作られていくだろう。そういう意味でもソフィアには先見の明があったんだろうな。…少しそれたが、…鉄にも反応する」
「鉄…?」
少年は目を瞠って鸚鵡返しに返した後、ふっと唇を歪めた。
「それはおかしくないか?鉄なんて武器以外にも使うじゃねーか。あー、あ、そうだ、それに車輪だってそうだ。車どころか馬車だって走れないんじゃ、不便極まりないんじゃねえか?」
なんだ、ガセかよ、と少年はこきおろしたが、男は面白そうに目を細めただけだった。
「――だから『奇跡』だと言っただろう? …その通り、農具どころか、家庭で使う包丁だってそれでは反応してしまうことになる。生活が成り立たないな。原始人だって鉄の鏃を使ったと言われているのに。…だが、ソフィアで精製された鉄器であれば、その練成された結界に反応しないとしたら?」
「……成分の問題なのか?そのものを限定して引っ掛けるんじゃなく、たとえば鉄の純度とか、それが何パーセント以上とか、そういうラインで切ってんのか?でもそれだっておかしいだろ?そんなに持続する連成なんて…いや、違うな、そうだよ、やっぱり変だろ。練成の結果が持続してるんじゃなくそれは反応が継続されてるってことになる。常に反応が起こり続ける?じゃあ逆にその町で精製する時にその反応の核になるもが組み込まれて…いや、そんなの、…」
反論のはずが思考の迷路にはまりこんでいく少年を前に、男は曖昧に首を振った。そして再び、その言葉を口にする。
「…だから、奇跡なんだ。ただ、ソフィアは何も残さなかったから、どうしてそんな練成が可能だったかも謎のまま、奇跡のままだ。そして今もソフィアは外敵の侵入を受けることなく、平和に、牧歌的に在り続けている。…はず、だった」
黒い瞳がちらりと懊悩の影を映した。
「…いつからだろうか。そんなに昔のことではないんだ、ここ数年というところだろう。奇妙な噂が流れ出した。ソフィアに行けば、失った体の一部が返ってくる、と」
ようやく話が主題に戻り、エドワードは居住まいを正した。
「…それ、帰ってきた奴は」
慎重に尋ねれば、ロイは難しい顔をした。
「軍では掴んでいない。だが…」
そこで彼はなぜか言いよどみ、少し考え込んだようだったが、…言うのをためらったというよりは、言葉を探しあぐねていたのかもしれない。
「帰ってきた人間はいない」
「………」
「それでも、ソフィアへ向かう人間は後を絶たない。しかし、それだけ多くの人間が向かっているというのに、あの町に人があふれているような様子もない。ソフィアまで行って、そこからどこかへ消えてしまっているかのように、だ」
しん、と落ちた沈黙を、再びロイが破ったのは数秒後のことだった。
「――いいか?鋼のならいつかはソフィアの情報を掴むと思っていたが、間に合ってよかった。…あの町は君にとって危険すぎる。まずその機械鎧だ。細かい成分比は知らないが、間違いなく反応するだろう」
「……」
「それに、軍が目をつけている。不用意に近づいて疑われるのも得策ではあるまい?」
付け加えられた一言に、エドワードは難しい顔をした。「疑われる」、ということをロイは示唆しているのだろうと気づいたからだ。
「…どっちにしろ、近づく手段がないんじゃお手上げだ。そうだろ?」
結局エドワードは無難にそう答えるしかなかった。そうすれば、相手は大分安心したらしい。ほっとしたようにため息をついた。変な奴だな、少年はそう思った。
しっかりと後見人に釘を差された帰り道、しかし、彼にしては当然といえないこともないのだが、先刻答えたのとはまったく違うことを考えていた。つまり、件のソフィアに近づくことをだ。
失った体の一部を取り返せる、という噂があるとして、その「噂」を信じてかの町へ向かう人間は、自分が体の一部を失ったか、あるいは近しい者がそうであるかのどちらかだろう。稀にはたとえば医療機関の人間だとか商売人だとか、そういう者も含まれるのかもしれないが、大部分は体のどこかを失った人間であろう。今のエドワードと同じく、だ。当然そういった者の中には機械鎧の装着者だっているかもしれない。もしも機械鎧を身に付けていたら、それはどこかで外してからソフィアへ向かうのだろうか。それとも、何か特殊な加工でも施せば例のソフィアの結界に反応しなくなるのか。
ロイの話にあったソフィアの結界について、エドワードは実は半信半疑であった。本当にそんな練成があるのか、という疑問も大きい。あれが真実なら、センサーとして機能し続けるという第一の反応を半永久的に持続しながら、その選別に引っかかった火薬と鉄に対して爆発という第二の反応を起こすという練成が残されているということになる。だがおかしいではないか。それではそもそも、センサーを動作させ続けるための動力、練成の元となるものは何なのだ。
センサーという練成物を作ったならまだわかる。だが、ソフィアが遺したのは練成物ではなく練成反応だという。いやそれともやはり練成物なのか…。しかしその「壁」は見えないというし、大体やはりセンサー的な物だったとしても、有効範囲の広さといい、そして即座に反応するというあたりどうにも眉唾としか思えない。とはいえ、あの男があそこまで真剣に話したのなら(そろそろ付き合いも長くなってきたので、嘘ならたぶんわかる自信があった)まったくの与太話というわけでもないのだろうが…。
「……」
エドワードは暫し考えた。
ソフィアの「奇跡」はこの際どうでもよかった。だが、その町にあんな噂があるのなら、やはり無視は出来ない。
身を切るような冷たい空気に首をすくめながら、少年はちらりと先ほどの後見人の安堵した表情を思い出し、わりぃ、と内心で詫びた。あの男は本当に時々だが大きな犬のように可愛い瞬間があって、さっきはその典型だったとエドワードは思う。幼馴染の家で飼っていたからか、犬には結構弱いエドワードである。
――とはいえ、やはり、目の前にニンジンをぶら下げられて引き下がれるエドワードではなかった。
「とりあえず、…病院、とかか?」
エドワードは情報の仕入先をいくつか考えてみた。今回の情報の場合、医療機関の人間かあるいは病院の待合あたりで聞き込みをすると案外似たような風評が集められるような気がした。つまり、ソフィアを必要とする人を探せば、芋蔓式に情報を得られるのではないか、と。
「…ま、…どっちにしろ、明日だな」
いやに静まり返った街路と冷たい空気、それから今日一日ずっと続いていて、すっかり日の入りを迎えた時刻に伴い暗さを増した重苦しい曇天を見上げ、エドワードは肩をすくめた。今夜は雪かな、と思いながら、そうして彼は定宿への帰途を急いだのだった。
小さな錬金術師を見送った後、マスタング大佐には来客があった。エドワードと入れ違いのようなタイミングで、…かち合わなかったことに内心ロイは安堵の息をもらしたものだった。
「…これは、遠い所を」
一見してにこやかな笑みを浮かべ、彼は客人へ向き直る。
「いや、こちらこそこんな時間にすまないね」
作品名:GLIM NOSTALGIA 作家名:スサ