GLIM NOSTALGIA
こちらも温和に笑った客人に、ロイは笑顔で「いいえ」と答えた。
見事に白く変わった髪をきれいに撫で付け、服装にも乱れはない。それがもしも青の軍服でさえなければ、初老の俳優でも通りそうな、老人らしからぬ華を持った男だった。階級章はロイと同じ。だが、年功序列でいうのなら、先に大佐になった彼を立てるのが筋というものだった。
「しかし、鋼の錬金術師が私の前に来ていたそうだね?行き違いになってしまって残念だ」
ぴくり、とロイのこめかみが本当にごくわずかだが揺れた。斜め後ろに立っていた副官は、ああ…ときもち微かに目をそらした。
「もし行き先がわかっているなら呼び戻してもらうわけにはいかないだろうか?」
だが相手は気づいているのかいないのか。相変わらずにこにことロイにそう振ってくる。話の本題には入らずに、だ。
ロイは顔面筋肉を最大酷使しながら、表面上は穏やかに返した。
「大変申し訳ありませんが、彼はもう既にイーストを出ておりまして…」
嘘である。しかも自覚してついている嘘だった。
ロイは、エドワードが数日はイーストにいると知っていたが(何気ない風を装って聞いてみた。弟にも確認済だ)端的に目の前の男にそれを教えたくなかった。
理由は簡単。単純な独占欲だ。
どうした理由でかはわからないがこの老人はなぜかエドワードをいたく気にかけているようで、ことあるごとに紹介してくれというのだ。もしかしたらロイをからかっているだけかもしれないが…。とにかく、ロイがそれに辟易しているのは確かだった。
「そうか、それはまた」
男は素直に驚いたような顔をして、それから気の毒そうな笑みを浮かべて小首を傾げ、ロイを覗き込んだ。
「なんというか…君、嫌われているんだな。可哀想に」
「…………は?」
哀れみのこもった目に見つめられ、ロイは唇がわななくかと思った。だが頑張った。もしかしたらカレンダーが変わって一番頑張ったかもしれないとさえ思った。
…当然だが、そんなことを副官に言ったらブリザードが吹いてい来るのは間違いない。
「だってそうだろう?君のいる街に長居したくないから早く旅立ったということなんだろう?君達の仲はもう少し親密かと思っていたんだが…いや、失礼。誤解だったか」
はっはっは、と初老の男はさわやかに笑った。ロイは少しだけこめかみが引きつるような気がしたが、努力して無視した。平常心、平常心と繰り返しながら、ロイは努めて笑顔を浮かべる。
「…。あれは確かに私が推薦しましたが、我々は単なる…」
「ああ、そうだったね。君達は単なる後見人と未成年の国家錬金術師だったな。だが君もまだ若いのに青少年の後見とは余裕があるね」
ははは、と男はまた朗らかに笑った。ロイは見えない場所で手をぎりっと握り締めた。
「……ところで、アダムス大佐。今日は…」
いい加減本題に入れこのオヤジが、とはロイの内心の言。そろそろ堪忍袋も臨界点が見えてこようかというものである。
「ああ、そうだった。忘れるところだったよ」
まるで邪気を感じさせない柔和な笑みだったが、柔和な好人物が今日び軍で出世できるとはとうてい思えないし、それは見せかけの姿だとロイ自身が知っていた。
ボビー・アダムス大佐。彼を一言で言うのなら、…後方支援のエキスパート、と軍の中では見られていて、それは確かにロイのように前衛に立って戦うタイプの軍人と比較すると地味にも見える役どころだが、確実に補給線を確保するということが戦争状態においてどれだけ困難かつ重要なことであるかをロイとて知らないわけではない。イシュヴァールでもだいぶ世話になった相手だ。ただ…、相手はロイのことをどう思っているのかわからないが、からかったりおちょくったりするのが好きなようで、そこは頭が痛いところなのだが。
「――例のソフィアの件だ」
す、とアダムスの顔から笑みが消えた。
現在彼は諜報関連の部署を総括する立場にある。ずば抜けた情報処理能力を買われてのことだというが、ロイには関わりのないことだ。関係があるとすればもっと別のことである。
たとえば、今、ソフィアの動向を探っているのは、軍の中でも隠密行動を旨とする諜報方の人間が主であること。まず彼らの調査があって、それから実際に軍が動かされるのだからこれはおかしなことではない。しかし、それはつまり、ソフィアを調査している人間の中核にいるのはアダムスだ、ということである。
ロイにとっては、そちらの方がよほど重要だった。
「例の…『結界』は東西4キロに渡った正円の上に成立している。まとめた資料の中に地図が入っているからそれは後で確認して欲しい」
アダムスの口調にはあまり無駄がない。彼は仕事の話になると無駄を好まず簡潔を最上とし、大体の場合最初に結論を口にする。それはロイにとっても好ましい部分だった。お偉方のただだらだらと長いだけの意味の無い話には常々辟易していたから。
「資料にも書いてあるが、やはり火薬は駄目だな。全滅だ。結果を出すのに制式銃を一個小隊分くらい無駄にしてしまった」
まあ軽微なものだがね、と彼は軽く付け加えた。ロイはそれには答えず、テーブルに置かれていた封筒を「失礼します」と声をかけてから拾い上げ、中の資料を取り出しページをめくった。
これを言ったのが彼でなかったら、この男は一個小隊を突入させて全滅させたのかと思うところだが、そうではないだろうとロイはわかっていた。たぶん、制式銃を一本ずつ「結界」の中に放り投げたとかそういう実験に違いない。ロイはこの大佐が苦手だったが、軽蔑はしていない。
資料をめくるロイの姿を認めつつ、アダムスの話は続いた。
「金属に関しても同じだ。色々試してみたが…ベルトのバックルの中にわずかに反応しない物もあった、…というのが最大の収穫といった所かな?」
「反応しない物もあったのですか?」
顔を上げたロイに、アダムスはなんともいえない顔をした。
「それがね。同じタイプの物でも反応した物と反応しなかった物に分かれる。だがその差はわからない…何かの含有量のちょっとした違いかもしれないが、どこの研究機関に出してもさっぱりだ」
「…そうですか」
ロイの脳裏をあの少年の横顔がよぎった。彼の専門は、人体練成を別とすれば金属と鉱物だった。そんなことを考えていたロイに、アダムスの声がかかる。
「そちらのプレートを見て欲しい」
「…これですか?」
ロイは、資料とは別に、油紙のようなものに包まれて封筒に入っていた何かを取り出した。触れれば手には硬い感触があり、ロイは半ばその正体を予想していた。
「失礼します」
鷹揚に頷いたアダムスの視線を受けながら、ロイは油紙を開いた。やはり、そこにあったのは小さな鉄版だった。見たところ、何の変哲もないただの鉄板である。大きさはせいぜい十センチ四方といった所だろうか。
見た目も触れた感じも至って普通だが、この会話の流れから言えば、この鉄板の正体はひとつしかないはずだ。よりにもよって、ロイに手渡したことを考えても。
「――ソフィアの鉄だ」
「……」
作品名:GLIM NOSTALGIA 作家名:スサ