悪魔言詞録
181.魔王 ベルゼブブ(ハエ)
……さて、行くとしようか。
どこへ、とは愚問だな。われわれをおとしめ、思い上がった末にわが世の春をうたい、この世を統べた気になっている、自らを唯一の神と称せし愚かものに、引導を渡しに行くのだ。
だが、おとしめられたことに対する恨みなどは、わが輩もあのお方ももうすでに持っていない。もはや、われわれはそのようなくだらぬ感情では動いてはいないのだ。
おまえを傍目から見ていて、はっきりと悟ったことがある。あきらめぬこと、これこそが唯一にして至高の真理なのだ。おまえはそのたゆまぬ力でわれわれ悪魔に匹敵する力を身に着け、かつて人でありながらも修羅となった。われわれはその道程を垣間見て、ようやく考えをあらためたのだ。
……いや、本当は太古の昔からうすうす感づいていたのかもしれない。だが、魔界に墜とされ悪魔とされたわれわれの中には、負けたものに特有のおびえた心が芽生えていたのだろう。争いに敗北した悪魔や堕天使は、それにふさわしいいじけた心で、汚い手段を用いて、正攻法よりも奇策で、玉座にいるあやつを蹴落とさなければならない。そのような固定観念にとらわれておった。
しかし、おまえと出会った今ならはっきりと言える。それは違う、断じて違うと。
われわれはおとしめられたものに特有の、ひきょう、ずるい、汚いといったやり方を用いなくとも良い。正面から胸を張って戦っても良いのだ。
その結果、たとえ思うようにいかなかったとしても、再び挑めば良い。立ち上がれば良い。それだけの話なのだ。われわれは何度でも戦いを挑めるし、しても良い。倒しても、倒しても、その度に強くなって眼前に立ちふさがってきたおまえのように、な。
思えば、戦いというものは本来、そのように泥臭いものなのかもしれない。われわれは、墜とされた先の環境に安住し過ぎていたのだろう。
だが、腐ってもハエの王だ。わが輩の真の力、今こそ見せて泥臭くあやつとやり合おうではないか。