再見 弐
「ちっ。」
靖王は構わず自分の馬に跨り、梅嶺へ向けて疾駆する。
急いで霓凰も馬に跨り、靖王の後に続いた。
「霓凰、戻れ!!、足手惑いだ。」
靖王が後ろに向かって叫ぶが、霓凰は必死に釈青を追って走る。次第に霓凰の馬が、離されていくのが、蹄の音から分かる。
それもそうだろう。霓凰の跨る馬は、自分の持つ馬では無い。必死で雲南王府を抜け出して、靖王を頼りに急いで来たのだ。
霓凰の馬は、雲南王府で、父親に、厩から出せぬ様にされていた。部屋での軟禁から、やっとの事、逃げ出した霓凰には、馬が選べなかった。取り敢えず、直ぐに出せる馬に跨った。
━━私の姿が見えなくなる程、離されれば、霓凰も諦めるだろう。
梅嶺への道程は、長く遠い。
霓凰は他の子女とは違うが、長い道程を、ほぼ無休で走れる程の体力は無いだろう。
そして灼青ほどの馬も、滅多にはいない。
私が、単騎で駆け付けるのが一番なのだ。━━
灼青と靖王は、悠々と霓凰を離したが、これで全力を出している訳では無い。灼青も、これこらの行程の険しさを、何となく察して、力を温存している。
━━待っていろ、小殊。すぐに行く。━━
遠さだけは覚悟をしていたが、梅嶺への道は、想像以上の厳しさだった。
三日三晩で踏破出来る、とは思っていなかったが。
暗くなり、進めなくなるまで駆けた。野営をし、薄明るくなったら、すぐに出発出来るようにした。
出来るだけ足を伸ばし、所々にある駅站は、半分以上、立ち寄らずに飛ばした。だが、灼青を休ませぬ訳にもいかない。気は揉めるが、所々の駅站に寄り、駅站の従者に聞き込み、平坦な道がずっと続くと分かれば、夜通し走ったりもした。
刻が経つ程に、空気が変わる。冷たく厳しい風が、靖王達を押し戻す。
三日目に入ると、立ち寄った駅站の者から、
「あれが梅嶺です。」
と、教えられる。
初めて目にする梅嶺は、大きく広く、近付くにつれ、細かな全容を目にする。灘(なだ)らかな女人のような部分もあれば、険しい荒神のような岩壁もある。まるで人の介在を許さぬが如く、、、だが、雄大で、罪の全てを赦すかの如く。
『問答の様な山だ』と、林殊が言っていたのを思い出した。『梅嶺の全てに足を踏み入れた訳では無いが、楽な道にはそれなりの、険しい未踏の道には、誰も知らぬ光景があるかも知れない』と。『その奥の世界を目にするには、避けては通れぬ障壁も多く、予測不能な試練が常にあるのだ』、と。そして『たどり着き目にした光景は、思った以上のものかも、つまらないものであるかも、全て己の選択の結果なのだ』と。
一つ一つを丁寧に対処し、目的に向かう工程は、全てに通ずる。
━━小殊が梅嶺を特別に思う理由が、分かるような気がする。━━
梅嶺が目に入る様になると、一層、空気は冷たくなる。
風が靖王から体温を奪っていく。
華麗に外套をはためかせる訳にもいかず、しっかりと身に纏い、合わせを閉じた。金陵以北にはあまり行かない靖王には、体験した事の無い寒さだった。ずっと、飾り物だと思っていた外套の風帽なども被った。
駅站から、防寒具なども、借りつつここまで来たが、この寒さだけは法外で、靖王は『辛い』と思ったのだ。
緩む事無く、ジリジリと厳しくなる寒さに耐えていた。
━━小殊も軍務の中、この寒さに耐えていたのだ。━━
そう思うと踏ん張れた。
だが、流石の『火の男』でも、梅嶺は『寒い』と言っていた。
これから、もっと寒くなるのかも知れないと思うと、些か怯む気持ちも生まれた。
灼青も靖王も、ただ、林殊を心配する気持ちだけで、ひたすら駆け続けた。
梅嶺への最後の駅站では、下男が梅嶺の話をしていた。
半月以上も前、梅嶺に黒い煙の柱が立った。夜になると、遠くからでも梅嶺で燃える炎が、ぼうぼうと煙を巻き上げ、天を照らすのが見えた、と。
梅嶺の砦は封鎖されており、炎が上がった経緯や、梅嶺で、一体何が起きているのかは、駅站の者でも分からなかった。
詳細の分からない話を聞くと、嫌な予感や余計な妄想が渦巻いて、靖王は居ても立ってもいられなくなり、灼青に水を飲ませただけで、休ませる間もなく、梅嶺の砦へと出発した。
靖王も灼青も、食うや食わずで駆けていたが、さすがに積み重なる疲れを、誤魔化しきれない。灼青が疲れているのは、手に取るように分かった。倒れるかも知れないと思った。
━━あと少し、あと少しだけ頑張ってくれ、、、。━━
灼青に懇願するような気持ちで、走らせた。灼青は主の心を汲み取るように、気持ちだけで走っていたのだ。ただ梅嶺に辿り着いて、林殊を救いたい一心だった。
やがて、梅嶺の砦が見える。
城という程大きくは無いが、大渝の侵攻を食い止める、堂々たる要塞だった。
砦の門に近付くにつれ、靖王はその目を疑った。
━━『謝玉』だと??!!!。━━
謝玉の軍旗が、高々と翻っている。
━━謝玉が何故。
伯母の蒞陽長公主の夫であり、能力と言うより、附馬都尉の立場を考慮し、巡防衛を任された、まだ、経験も浅い武人の筈、、、。何故、謝玉の軍旗が掛けられているのだ。
赤焔軍や林燮の軍旗が、一つも見えないのは何故なのだ。━━
門は閉じていたが、靖王が名乗りを上げ、自分の牌を見せると、中に導かれた。
門兵は、謝玉は砦には居ないと言った。
謝玉は、報告と処理の為に、金陵に帰った、と。
代わりに留守を守る、謝玉の配下の中将がいるので、と、呼びに行った。
靖王は、待っていられず、門の周辺にいる兵を捕まえ、梅嶺で何があったのか聞き出した。
兵達は口々に、信じられない話をするのだ。
都の祁王が王位簒奪を画策している、
赤焔軍の林燮も共に立ち上がった、
赤焔軍と大渝が連合して、金陵に攻め入る計画が暴かれて、皇帝の命の元、懸鏡司の首尊 夏江と、蒞陽長公主の婿である謝玉が、赤焔軍を討伐して、後ろに控える大渝軍も追い払った、と。
話が進むうちに、見る見る靖王の形相は、鬼の如くに変わってゆき、兵達は靖王を恐れ、口数が減っていく。
「何かの間違いだ!、有り得ぬ。」
靖王は大きな声を上げ、その声は砦に響いていく。
「今、林主帥はどこにいるのだ。他の将校は??。都に護送されているのか?。」
「、、、赤焔軍は、、、皆、討伐されました、、。」
靖王は更に恐ろしい形相になり、そう言った兵士の胸ぐらを掴む。兵達は縮み上がる。殺気を帯びた怒気に、腰を抜かす兵もいた。
「嘘を言うな!、仮に首謀していたとしても、軍法では、無闇に殺してはならぬと決められている。将校や捕縛された兵が居るだろう?!!。」
「、、、、それが、、赤焔軍は誰一人、、。」
兵士は、やっとの思いで言葉を出す。
「何があったんだ!!!、事実を言え!!。」
「ひぃ────、、、。」
靖王に胸ぐらを掴まれ、怒気を浴びた兵士は、恐ろしさに、ぱくぱくと口が動くが言葉にならない。他の立っていた兵士が、漸く口を開いた。
「我々も、全容は分からないのです。夏首尊と謝将軍だけが、陛下の命を受けており、、皆、詳しくは、、。」