再見 弐
「戦場に行った兵の話では、酷い有様で、生き残りは居ないと、、、、。」
「吹雪になり、雪に覆われたので、大分匂いは薄れましたが、梅嶺一帯は、焼け焦げる酷い臭いで、、。あんな臭いは、今まで誰も嗅いだことが、。」
遮るように靖王が怒鳴る。
「赤焔軍は七万だぞ。七万人が、皆、討伐されたと言うのか!!。馬鹿な事を言うな!!!。」
靖王は胸ぐらを掴んだ男を、仲間の中に投げつける。兵士は震えている。
言われてみれば、梅嶺が近くなると、ずっと鼻につく、嫌な臭いがしていたのだ。質の悪い油を燃やした様な、、、、。
「有り得ぬ、誰も信じぬぞ、そんな話を。お前達の話では、埒があかぬ。私が見てくる。北門を開けろ!。」
北門は、大渝へ行く道に続いている。
靖王は林殊から聞く話で、大体の砦の構造を知っていた。
「お止め下さい。」
「お止め下さい、ここらに住む者が、これから吹雪になると言います。」
「誰一人、山を下りた者はおりません。もうひと月近くになるのです。」
「もう生き残った者はおりません。」
「中将が来るまで、お待ちください。」
兵士達は、口々に靖王を止める。前に立ちはだかり、必死に止めようとしている。
━━小殊────!。
小殊はまだどこかで生きているかも知れぬのに。
私が行くのを待っているかも知れぬのに!。━━
靖王は聞く耳を持たずに、灼青に跨る。
迷う無く、北門の方に馬首を向け、真っ直ぐ、灼青を走らせた。
「殿下!。」
「殿下!!。」
腰を抜かさぬ者だけ、数名が、わらわらと靖王を追ってくる。
靖王は、駆けながら馬上で剣を抜く。
「門を開けろ!、邪魔をする者は斬る!。」
靖王の怒声におののき、北門の門兵が、門を開けた。
晴天の空の下、灼青は、粉雪を巻き上げながら、速度を緩める事無く、北門を抜けていった。
「小殊!!!、待っていろ!!!。」
砦が見えるうちは、積雪も少なく、晴天の中、洋々と登ってきたのだが。
砦が見えなくなると、次第に風が強くなり、吹雪いてくる。
『梅嶺の天気は変わりやすい』
林殊がそう言っていたのを、思い出した。
━━変わりやすいのなら、直きにまた晴れるだろう。━━
東海の気候がそうだった。
雨季の気候では、一日のうちでも、晴れたり降ったりと忙しい。
━━雨が雪に変わるだけだろう。酷い土砂降りの日に、任務に当たったことだってある。━━
大したことは無い、そう思った。
だが、あっという間に視界は真っ白になり、息も出来ない程の風雪になった。
「うぁっ、、ぷっ、、。」
自分も辛いが、灼青とて辛いのだという事に気が付き、靖王は馬を下り、自分の外套の中に灼青の顔を入れてやる。灼青の呼吸が、苦しそうだった。山を駆けただけでは無い。これまでの疲労と、想像以上の荒天。吹雪は、靖王と灼青の、呼吸すらも許さぬのだ。
「灼青、、すまぬな、、愚かな主で、、。
小殊が、、珀斗が、待っている。もう少し、、もう少しだけ、頼む。」
幾らかこの状態で我慢をすると、吹雪は去り、また晴天になる。
「よし、灼青、行こう。」
━━私は間違っているか?。戻るべきなのか?。だが小殊が、、小殊が待っているのだ。━━
靖王は灼青に跨り、また進んで行った。
吹雪が去り、晴天になった梅嶺は、樹木に降った雪が煌めき、適切では無いが『酷く美しい』と思った。こういった事には無頓着な靖王が、梅嶺の、人をも寄せ付けぬ荒々しい気候を、『美しい』と、そんな風に感じたのだ。
━━小殊は必ず待っている。あの怪童が、殺されたって死んだりするものか!。私が行かねば、、、本当に死んでしまう。━━
必ず林殊は生きている、そんな確信しかないのだ。例え猛吹雪に遭おうと、どうして歩みを止められようか。
吹雪が止み、嘘のように青空になり、幾らか進むが、見上げればまた、真っ白く大きな雲が、梅嶺を包むように流れてくる。すると間もなくまた吹雪になるのだ。
動いている間はいいが、灼青の顔を外套に入れ、じっと吹雪の過ぎるのを待っていると、じわじわと、寒さが足先から体の芯を、侵して来るかのようだ。もう既に足先には感覚がない。
このまま何度もこの状態になれば、やがて体は冷えきってしまうだろう。
━━駅站の者から、灼青の防寒の装備を借りたが、、灼青とて、寒くない訳が無い。━━
灼青の身体を覆うように、厚手の織物を掛けている、足にも似たような材質の布を巻いていた。
靖王も防寒衣を着ているが、底冷えする様な寒気には、とても勝てそうにない。
幾度か吹雪を耐え、頑張って進んできたが、今、耐えている吹雪は長い。一向に止む気配がない。
背中が強ばる。靖王は身体が、寒さで固まってしまいそうだった。
「、、、寒い、、灼青、大丈夫か?、、。」
灼青は、ぶふ────っと息を吐き出し、外套で作った空間を、真っ白にした。
灼青の首の当たりに手を触れると、灼青の血脈(ちみゃく)の温かさを感じた。
『死ぬかも知れない』
そんな恐怖が押し寄せる。
━━、、戻ろう、、、このままでは、、。━━
戻るならば早い方が良い。
辺りの地形を確認しようと、靖王は外套の中から外を覗く。
風は少し弱まっているが、降る雪は多い。
「あっ!!!、、、。」
靖王は目眩を覚えた。
視界は一面の白。風と雪しか見えぬのだ。
自分達の足跡は、既に降雪で消えてしまった。
さっきまで見えていた山の稜線も、空の雲も、風に唸りを上げていた樹々も、何も見えぬ、、、、、。
、、、ただ白い世界。
どちらが上か下かも分からぬ、目眩に似た感覚に、突き落とされる。そして突然、身体中の血を抜き取られるような、貧血のような感覚が襲ってくる。はたと現状を知った瞬間、底知れぬ死への恐怖を感じた。
━━ここで死ぬのかもしれない。━━
「ぶふ───っ、、。」
『しっかりしろ』とでも言うように、灼青が、倒れそうな靖王を支えた。
雪は容赦なく降り続ける。
靖王の身体は凍え、灼青の首に掴まり、立っているのがやっとの状態だった。
「ぶふ──、ふ───。」
何かを主に伝えようと、灼青が首を振る。
「、、、灼青、、、、どうし、、た、、。」
靖王は、ゆっくりと首を動かし、灼青が見ている方をみる。
「人、、か、?、、。」
離れた場所で、岩や樹木では無い、動く影が見えるのだ。
『背に乗れ』と言うように、灼青は首を動かして、靖王を促す。
「、、、、。」
靖王はゆっくりと灼青に跨ろうとするが、身体が強ばって、思うように足を上げられない。
それでも時間をかけて、背に跨る。
もう、膝まである雪の中を歩く事の方が難しい。灼青の首に、上体を預け、何とか必死で掴まっている。真っ直ぐに座る事さえ、出来なかった。
灼青に全ての希みを賭けた。
体も行先も灼青に任せ、灼青に揺られる。
程なく、靖王の意識は途切れる。
景琰
誰かが名を呼んでいる。
景琰、
景琰、、、、
優しく髪を撫でる指。
、、、武術の練習で、カチカチだ。
ゆっくりと目を開る。
「、、し、、小、、、、、。」