再見 弐
口が強ばって、声が出なかった。
仄暗い場所で、土の上にいる。
洞窟のような場所だろうか。
靖王の体は動かない。
林殊が靖王の上体を、抱き上げていた。
━━ああ、、そうだ、、、、小殊、、、。
小殊を探しに、私は梅嶺まで、、、、。━━
「し、、小、、、、無、、、事で、、、、。」
━━良かった、、小殊は無傷だ。どれだけ案じたか。
無事が分かっただけでも、来た甲斐があった。━━
思うように動かない腕を上げて、靖王の手は、やっとの事で、林殊の頬に触れる。
林殊の顔には傷一つなく、あの日、金陵で別れた時のまま、、。
林殊は靖王の手を、自分の手で覆う。
「、、、小、、、殊、、?。」
林殊の頬を涙が伝う。
、、、、ごめん、、、景琰、、、。
林殊は涙を、靖王の掌で隠し、そう、静かに言った。
凍えた掌だが、靖王は林殊の涙の熱さを感じていた。
「??、、小、、殊、、??」
林殊は、洞窟の壁に、靖王の体をもたせかける。
林殊はゆっくりと立ち上がる。
そして洞窟の奥へと、一歩一歩、歩き出す。
靖王を振り返りもしなかった。
「小、、、し、、、、、、うっ、、。」
林殊を追いかける為、立ち上がろうとしたが、体が思うように動かない。靖王は倒れ、地面に伏してしまった。
今にも暗がりに、飲み込まれそうな林殊に、靖王はいても立ってもいられない。
━━這いずってでも、林殊の所に行かなくては、。━━
だが、体は力が入らず、思う様に動いてはくれない。
「、、し、、小殊!!、、、。」
あるだけの力を振り絞り、叫んだ。
林殊が立ち止まり、振り返る。
悲あこまあぬしげな顔をし、目を伏せた。
掻き消えるように、林殊の体が徐々に薄れ、、。
「、し、、殊!、、、。」
跡形もなく、林殊は消えてしまった。
「小殊─────っっ!!。」
はっと目が覚める。
この場所は幾らか明るい。
体は強ばり、あちこちが痛い。
━━寝ていたのか?、私は。何だったのだ、、、、。
、、、、夢?、、。━━
眠ったせいだろうか、頭は幾らかはっきりしている。
だが、事態がよく呑み込めない。
同じ洞窟の同じ場所にいる。靖王は、馬二頭に挟まれていた。
吹雪を避け、この洞窟に入り、二頭のこの馬達が靖王を温め、守り、死を免れた。
靖王は、灼青の体に、寄りかかっていた。
そして目の前には、灼青とは別の馬。
どこから来た馬なのか。
軍馬なのか、、、、。
防寒衣を着け、鞍を乗せていた。
「、、!!!、。」
靖王は見覚えのある鞍に、驚きを隠せない。
「、、小、、、。」
━━小殊の馬具だ、、、。珀斗なのか?!!!。━━
白い息を吐き、靖王に顔を向けるこの馬は、額に星を戴く、紛れも無い林殊の愛馬、珀斗だった。
防寒衣はあちこち破れ、刀傷を負っていた。
火傷の傷も、大小、所々ある。
「、、珀、、、小殊、、は?、、どこ、、、?。」
傷だらけの珀斗を見て、ついさっき会った無傷な小殊は、幻だったのかと、、愕然とする。
この洞窟のどこかに、林殊が居はしまいかと、靖王は、ようやく動かせるようになった脚で、よろよろと立ち上がり、壁を伝い、洞窟の奥へと歩いて行く。
暗がりに目が慣れ、洞窟内をよく見れば、そこら中に散乱する木箱や壊れた武器。
だが、火薬や、使えそうな武器は、一つも無い。
使い尽くしたのだ。
どこかの小隊が、この洞窟を基点にして、戦に望んだのかも知れない。
━━そうだ、、さっきはあの辺りで小殊が、、、。━━
林殊が掻き消えた場所に、何かが置いてある。
木箱の中に、飛び出た長い物が、、。
「、、小殊。」
見慣れた林殊の朱弓。
「ぁぁぁぁ、、、小殊!!!、、、。」
声を出し、叫び、泣いた。
木箱の中には、弓の他にも、玉佩や、血に汚れてしまった香袋、特徴のある手巾、刀の柄に下げられていたはずの房、髪の束であったり、様々な小物がまとめられ、蓋のない箱に納められていた。
これらは遺品なのだと、、、。
何故ここに置かれていたか、靖王は知っているからこそ、絶望した。
どれ程の戦いだったのか。
無敗を誇る赤焔軍の彼らが、生きては帰れないかも知れないと、察したのだ。
そして彼らは絶望の中、一縷の希みをここに置いたのだ。
『必ず生き残り、ここへ戻る』事を。
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疲れ果て、意気消沈する戦士達。
林殊が、座り込み、立ち上がれぬ
仲間の姿を見かね、立ち上がり声を
あげる。
「大渝を倒し、必ず、生きて帰るの
だ!。」
林殊が朱弓をここへ置く。
赤羽営の者達が、林殊の元へ集ま
り次々に、自分の物をここへ置く。
「いいか!、皆、必ずここへ戻るん
だ!!。」
「おぅ!!。」
林殊の檄(げき)に皆が応じ、槍を
掲げる林殊に続き、洞窟をい出、そ
れぞれの愛馬に乗り、出撃して行っ
た。
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梅嶺での、戦さの凄惨さが目に浮かぶ。
戦さは常に、死と隣り合わせだが、常勝の赤焔軍が、窮地に立たされた。窮地どころか、それは絶対絶命の、、。
作戦の合間の一時、武器や火薬の補充に、林殊の所属する赤羽営は、この洞窟を使っていたのだ。
そして戦さが進むにつれ、林殊は、死を覚悟した。
絶望的な状況下、何としても生き残り、必ずまた、仲間に会う事を胸に刻み、己の分身を置いてゆく。
敵を打ちのめし、必ずここに置いた分身の元に戻って来ると、自分に暗示をかけ、戦う力にするのだ。
例え自分が死のうとも、生き残って、ここに戻った誰かが、自分の遺品を、金陵で待つ家族の元に届けてくれる。
置いた品に込めた自分の『思い』を、家族の元に、連れ帰ってくれるのだ。
だが、ここに残っていると言うことは、誰一人、、、
想像に難しくない。
「小殊、、小殊っっっ、、、、。」
朱弓を抱き、靖王は泣きじゃくる。
立ち上がった灼青と珀斗が、ゆっくりと靖王の元に、近付いていった。
靖王はどれ程泣いたか。
泣き疲れ、放心していると、珀斗が傍に来て、鼻を擦りつけた。灼青も、心配気に傍に立っている。
靖王は、王府で林殊を見送ったあの日を、ただ後悔するしか無かった。
在り来りな日常の一日と、、、珍しく不安がっていた林殊を、強く引き止めず、見送った。
どう引き止めても林殊は行く、そういう男なのだ。
悔しがっても、仕方ないのは分っている。
誰も今日の事は、あの日には、想像すら出来ない事も、理解している。
戻れぬ日への懐古で、心が一杯になり、何も他は考えられなかった。
涙は止め度無く、枯れる事など無いかの如く。
泣き疲れ、ぼんやりと、心も体も定まらぬ。
ぺろりと、灼青に頬を舐められた。
「灼、、、。」
珀斗は靖王に頭を擦り付けた。
二頭とも、靖王が動くのを待っているのだ。