サヨナラのウラガワ 7
勝手にアーチャーを座に還した、と凛に半泣きで責められたときは流石に白状したかったが、本当のことを言ってしまえば、凛は何がなんでも士郎を召喚するために奔走しようとするだろう。
そうなれば、時計塔への進学がどうなるかわからない。彼女のことだ、そちらを蹴って、士郎のために将来を棒に振ってしまうこともあり得た。
遠坂凛は、魔術師として産まれ、生きている。これからも魔術師として生きていくのだ。その道を彼女は生まれたときから背負い、死ぬまで背負い続けることを是としている。
そんな彼女の努力を無駄にさせることなど、あってはならないとアーチャーは思っている。したがって、水臭いと言われようが、薄情者と言われようが、頑として真実は明かさないと決めた。
それに、これは、アーチャーと士郎の問題だ。凛を巻き込むことなどできない。士郎を呼び戻すのは、アーチャー自身でなければならないと自負している。
「士郎、お前のためにも……」
机の上に数冊重ねられたノートを手に取り、アーチャーは頬を緩める。数学、英語、国語、その他の教科、どのノートの端々にも残る、士郎の努力の痕跡。
士郎は必死に魔術師として成長しようとしていた。学校の授業中にも前日の鍛錬をふりかえっては、失敗したことを分析し、どうにか成功へ導こうとしていた小さな努力。
その積み重ねがあったからなのか、アーチャーは自身が魔術師として成長した速度よりも、この士郎の方が早く成長していると感じた。アーチャーが自身を鍛えることに手慣れているのもあるが、士郎の努力が功を奏したというのも一因である。
「お前は、本当に……」
こうなってから改めて気づく。士郎が常にアーチャーのことを考えていたということを。
あのころにはわからなかった士郎の気遣いが、今になって胸に沁みるのだ。
「早く、お前を捕まえて……」
そうして、とアーチャーはノートを置き、窓辺に向かう。
「そして、私は、どうするのだろうか……」
はじめは恨み言を山ほどぶつけて、己に課した仕打ちを後悔させてやろうと思っていた。だが、今は、そんなことは思わない。
「士郎を前にして、私は……」
窓越しに月光を浴びて、アーチャーは瞼を下ろす。
今まで見てきた鏡越しの士郎ではなく、士郎が目の前に立ったイメージを浮かべる。
こつ、と指先が窓ガラスに当たって目を開けた。
「っ……」
士郎が目の前にいれば、今のように手を伸ばすだろうということがわかった。
「士郎……」
そのあと――――士郎に手を伸ばしたあと、己は何を言うのだろう、とアーチャーは銀の月を見上げ、途方に暮れてしまった。
「衛宮くん、卒業後は、どうするの?」
凛は紅茶の入ったカップを静かに置いて訊ねる。
「協会には、残らない」
「そう」
凛は、やっぱりね、と頷く。
「では、シロウは日本に戻るのですか?」
凛の後を受けて、今度はセイバーが訊ねた。
「いや……」
「やりたいことがあるの?」
「いいや」
「なら、協会に所属しながらでもいいんじゃない?」
凛はその方が動きやすいから、と提案する。
「何をもって、その助言なのか……」
少し呆れた様子の士郎は首を傾げている。それには、フフ、と小さく笑った。
「目指すんでしょ? あんたの理想を」
見透かすように琥珀色の瞳を見つめれば、士郎は視線を落とした。
「違うの?」
「違う……」
「あら、そーお?」
テーブルに頬杖をついて、凛は興味津々といった様子で士郎を眺める。
士郎はあのころから、急に雰囲気が変わった。
アーチャーを座に還してしまったあと、凛はなんの相談もなかったことに腹を立てて士郎を責めた。それに士郎は言い訳もせず、ただ、力不足だったと答えただけだ。
だが、恋人という関係であった彼らには彼らの事情があったのかもしれないと、少し落ち着いたところでそう思えてきて、士郎に責めたことを謝ったのだが、士郎は、手も足も出なかったことを、心底自身の未熟さを悔いている様子であった。
それからの士郎は、黙々と魔術の成熟に力を注ぎ、同時にセイバーにも師事し、魔術とともに肉体も鍛えていた。
現在の士郎は、この二年でぐんと背が伸び、顔つきは精悍になり、アーチャーほどの体躯になってはいないが、確実にその姿に近づいていると感じなくもない。
「だけど、協会に所属している方が、理想の近道になりそうだと思わ――」
「必ず、捕まえる」
「え?」
凛の声を遮った士郎の呟きに、数度瞬く。
「シロウ、捕まえる、とは……、もしや、アーチャーを、ですか?」
セイバーが少し首を傾げながら、凛の代わりに問いかける。
「え? アーチャーって……」
凛が目を丸くしていれば、セイバーに目を向けた士郎は、こく、と小さく頷いた。
「つ、捕まえるって……、アテはあるの?」
「ない」
「だったら、どうやって、」
「探す他ないだろうな」
「探すって言ったって……」
まただ、と凛は既視感に襲われながら眉をひそめる。また士郎は、アーチャーのような話し方をしていると感じている。
アーチャーが座に還った二年前のあのころから、度々感じていた違和感だ。
顔つきが似ているのは仕方がない。元々が同じ衛宮士郎という人物なのだから。
だが、アーチャーと士郎は、家事以外に関する言動はさほど似通ってはいなかったのだ。だというのに、あのころからは、驚くほど士郎はアーチャーと似た話し方をするときがあった。ただの真似事ではない。本当に自然に、そういう話し方になっている、と思えるような……。
――――なんなのかしら、まったく。
腑に落ちない感覚を払拭できないまま、凛はこの二年を過ごしてきている。
士郎に何かが起きたのか、と考えるものの、何かとっても、アーチャーを座に還したということしかない。それ以外に変わったことは全くなかったのだ。
聖杯戦争後、アーチャーと契約をした士郎を見ていて黙っていられなかった凛は、アーチャーをけしかけたと言っても過言ではない。
はじめこそアーチャーは呆れていたが、恋人となった彼らはまんざらでもない様子になり、士郎がほんの僅かではあるが、幸せそうに微笑を浮かべることがあったのだ。だから安心していた。このまま士郎がアーチャーのようになることはなく、アーチャーも一時凌ぎ程度ではあるだろうが、人として生きることができると、アーチャーの方も士郎と過ごすことで、忘れ去っていた、いろいろなものを取り戻せるのではないかと凛は期待した。
だが、その矢先、アーチャーは座に還ってしまった。いや、還らざるをえなかった状況という方が正しだろう。
アーチャーが座に引き戻されようとしている、と泡を食った士郎と、さほど緊急性を感じていない、ずいぶんと冷静沈着なアーチャー、二人から相談を受けたとき、この温度差は何かしら、と首を捻った記憶がある。
その様子を見て、アーチャーには何かしら、大丈夫だ、という確信があるのだと思い、凛は、たいして真剣に考え込むことはなかった。
その状況をないがしろにしていたわけではないが、どう考えても士郎の契約が不十分なのだという結論しか出なかったので、常に魔力が余るくらいの状態にしておくことを提案したのだ。
作品名:サヨナラのウラガワ 7 作家名:さやけ