再見 参
その諸々を、慣れない戦英が、何とか回してきたのだ。落ち度もあれば、立ちいかない事ばかりだった。
靖王の荷物どころではなかった。
心を落ち着け、戦英は一つ一つ思い出してみる。
「あの日、殿下と共に、灼青も皇宮を出された。灼青の鞍に、殿下の所持品は、確かに付いていた。皇宮の者に、抜かれたりはしていない筈だ。、、ならば、、まさか、まだ殿下の馬具と一緒に、、、。」
急ぎ、厩に行き、靖王の馬具が収められている部屋に飛び込む。
馬具の傍に、手付かずに荷物がそのままにされていた。
衣類等の包みの他に、見慣れない汚れた布袋があった。
袋の中を開き、戦英は絶句した。
戦英もまた、これらが遺品である事を知っている。
恐らく、靖王が梅嶺でこれを見つけ、持ち帰ったのだ。せっかく持ち帰ったのに、渡す遺族が金陵に居ない。赤焔軍の下位の兵士の遺族までも、『赤焔軍』の名を出せば、逆族の罪に問われ、それを畏れた者は都を離れ、散り散りになってしまったと聞く。
「この朱弓で、殿下の生きる気力が湧いてくれば良いのだが、、。」
戦英が靖王の寝所へ入ると、相変わらず、酒の匂い。靖王は机に伏して眠っていた。
昼の日中(ひなか)から酒、、と言うよりも、朝でも昼でも夜でも、起きている間はずっと呑んでいた。時々、腹が空けば、何かを口に入れた。まだ、何かを食べればいい方で。
靖王は、すっかり痩せこけ窶(やつ)れてしまった。
静嬪が滋養のある手料理や天心を、こっそりと届けるが、靖王は、静嬪の届け物を見るのも辛い様子で、直ぐに下げさせる。
靖王がこんな状態になるのは初めてで、見ている戦英も非常に辛かった。
初めのうち、靖王に酒を求められ、『男の辛さ』は酒が癒してくれるだろう、そう思って、良かれと、求められるまま靖王に酒を渡した。飲むだけ飲んだら、きっと立ち直る、そう思ったのだ。
だが靖王の傷は深すぎたのだ。
癒えるどころか、飲めば飲むほど、心の傷は更に抉(えぐ)られ、止めどなく血を流し続けている。
今日は幾らかでも、酒量が減ってくれればいい、何か酒以外の物を、口にしてくれればいい、、そう願いながら、靖王の世話をしている。
戦英が部屋に入ると、靖王は気が付いたようで、むくりと頭を上げた。
机の上に、酒瓶を出すと、待ちかねていた様で、直ぐに手を出し、封を切って、酒を浴びた。
髪は梳く事を忘れ、乱れ、衣服も開(はだ)けてだらしが無い。すっかり酒に溺れた風体だ。
何より、手足に付けられた、鎖の着いた冷たい枷が痛々しい。長く付けられている為に、青黒く痕が付いてしまっている。
『高貴な身分だったのに、どうしてここまで成り下がった』とは、とても言えない。
『気の毒な男』に、立ち直って欲しいと祈りはしても、痛々しくて、とても戦英の口には出せなかった。
誰なら口に出せるかと、ふと考え、、、林殊以外にはいないと思った。その林殊はどこにもいない。こうなったのも、林殊が原因の一つと言えた。
考えるだけの堂々巡りは、いつまで経っても終わることは無い。
戦英は朱弓を、靖王に見えるように持っていた。
「、、?!!!。」
朱弓に漸く気が付いた、靖王の眉間が険しくなる。
「、、朱、、弓、、?。」
そして靖王は戦英を睨みつけた。
長く仕えているが、こんな恐ろしい形相で、靖王に睨まれたことはなく、戦英の朱弓を持つ手に、震えが走る。
「で、、、殿下、、、。」
「どこから出してきたのだ!。下げろっ!!。」
靖王はに睨まれて、戦英は動くことが出来ない。
「早く、、下げろっ!、、。」
「あっ、、、。」
靖王は机の上の、皿を掴み、戦英に投げつけた。皿は戦英の胸に当たり、中身の煮物が胸から下の衣を汚した。
(以前は、こんな事をなさる殿下では無かった。
自分から人に、喧嘩を仕掛ける事など無く、、王府はとても平温で、、、。
ましてや、靖王殿下は下の者に当たるなど、、、。)
戦英の視界が涙に歪む。自分が抱いた心配は当たったのだと。
(郡主、、私は殿下の傷を、抉ってしまったではないですか。
ウチの殿下は、体は丈夫ですが、心は繊細なんです。その辺の意地汚い親王とは、比べ物にならないくらい清純なのです。殿下の繊細さは、霓凰郡主にはお分かりになりますまい。
いくら男勝りであっても、霓凰郡主は女子。やはり、こういった事は女子には分かりませぬ。)
余計に靖王の心を、病ませたのではないかという後悔と、霓凰への恨み節が、戦英の心を占めた。
戦英は拱手をして、朱弓を握り締め、立ち上がる。
ただ、靖王がずっとこのままの状態では、いけないという事も、戦英は感じていた。
(やはり、何かきっかけが要る。)
右手に持った朱弓をふと見て、意を決した様に頷いた。
(小帥、、、どうか、殿下をお助けに、、。)
戦英は去り際に、扉の内側の見える場所に、朱弓を立て掛け、部屋を去った。
鎖の音が、じゃらりと響き、靖王が酒瓶を仰る。
ふと戦英の去った方を見れば、下げろと命じたはずの朱弓が目に入る。
━━下げろと言ったのに、、。━━
靖王は、怒りが込み上げ、手に持った酒瓶を、朱弓に向かって投げつけた。酒瓶は床に打ち付けられ、音を立てて割れた。
━━見たくないのだ、、、何もかも、、、。
私は何も出来なかった、、、。誰一人、救う事が出来なかったのだ。━━
靖王を責める者など一人もいないが、救命の為に動いたが、全てが後手後手で一人の命すら救えなかった。
「、、、ふふ、、、ふふふふ、、、。」
靖王は、自分を侮蔑するかなように、嘲笑した。
「、、ふふふふふ、、、あはははは、、、。」
笑いは直ぐに涙に変わった。
「、、、小殊、、、兄上、、、、。」
━━、、、、死にたい、このまま。━━
このまま酒に溺れたら、そのうち死ねるだろうか、、。
このまま堕落していたら、不甲斐ない奴だと、誰か殺してはくれないだろうか、、。
だが、いつまで経っても、死ねそうに無かった。
━━、、、また、、眠くなる、、。
眠ったまま、冷たくなっていればいい、、。
誰にも知られず、、このままここで、、。━━
希望も欲も何も無い。
息をすることすら、苦痛で仕方がない。
━━、、何を言い訳しても刻は還らず、、、、。
私は無能なのだ、、。━━
あれ程、どこかで生きていると思っていた林殊をも、今は死んでしまったのではないかと、、、そう思いつつあった。
━━これほど待っても、小殊は何の知らせもよこさない。
梅嶺のあの状況で、小殊だけは生きていると考えていた。
何の根拠もありはしない。
ただの、私の儚い願いだったのだ。━━
━━辛いのだ、、、皆、いなくなってしまったなどと、、。兄上も、、、、林府も、、、馴染みの者が、全て、この世から消えてしまったなんて、、。
、、、小殊だけは、小殊だけは知らせをよこし、私は救われると思っていた、、。
、、、お前は、、、、何処にいるのだ、、、。
だが、、、、お前が生きているというのは、私の都合のいい願望だったのだ。
私は、一体、どう、受け入れろと、、、。━━