再見 参
もう、成す術がないと、戦英は、昨晩は悲嘆に暮れて、手酌で嘆いていた。だが、それでも靖王についていこうと、覚悟を決めた。それが、夜が開けると、元に戻った靖王が水を浴びていた。
『他には何も要らない、殿下が健やかならば、、』そう、心に思っていた。
靖王は、戦英の心を感じながら、粥を平らげた。
靖王が食事を終え、人心地つくと、靖王府に突然の訪問者が訪れる。
禁軍の護衛の付いた、太監の一団だった。
皇帝付きの太監高湛と、配下の者達だった。
高湛は聖旨を持ってきた。
靖王府の者が集められ、靖王を初め、王府の者が高湛の前に跪く。王府の従者は、驚く程、少なくなっていた。
もともと、祁王府関連で連行されて、減ってはいたが、、。靖王には、大体の見当はついていた。従者達は皆、見切りをつけたのだ。王府に残っているのは、戦英のように、主について行こうという気概のある者か、あるいは行く宛のない、奴婢達だろう。
高湛は聖旨を取り、途中まで開いて、直ぐに置いた。様子を横目で見ていた戦英は、訝(いぶか)しむ。そして置いた物とは別の聖旨が開かれ、高湛に読み上げられた。
皆、謹んで聞いていたが、戦英は、聖旨が二つあった事に、驚くばかりだった。
聖旨の内容は、『靖王の謹慎と王府の封鎖を解く、靖王は、北燕が西の国境を侵した為、それを鎮めるように』といったもので、『明日、出立するように』と。
読み上げられたものは、軍令のようなものだったが、読まれなかったもう一つは、一体何だったのだろう。
郡王の位を剥奪して、遠方に流罪になったか、、あれだけ朝堂で盾突いたのだ。、、または『死罪』も、有り得たのかもしれない。血の繋がった皇長子一家を皆殺しにしたのだ。出来ぬわけが無い。
聖旨の選択は、高湛に任されたに違いない。靖王の見込みが無い様子ならば、もう一つの聖旨が選ばれたのだろうか。
戦英の背筋が凍りつく。
靖王は聖旨を受け取り、高湛は靖王に一言二言言葉を伝えると、側にいた他の太監が靖王の枷を外した。
そして王府を去っていった。
「戦英、聞いたか?。遠征の準備を頼む。私は皇宮に挨拶に行く。」
「殿下の体は、、、お体は大丈夫ですか?。」
「大丈夫だ。陛下に会うだけだ。王府の人手が足りないだろう。準備を頼む。」
「はっ。」
そう言うと靖王は、従者の一人に、馬の用意をさせ、自分も厩舎に向かうが、その靖王のすっかり華奢になった後ろ姿に、戦英の胸が傷んだ。
皇宮に着き、養居殿に向かう。
宫門では、官服を来た者達が帰る所だった。朝議はとうに終わったが、雑談で去るのが遅れた朝臣等とすれ違う。朝臣等は、慇懃に礼をするが、靖王の様子に興味津々だった。だが、遠巻きに礼をするだけで、声を掛けるものは一人もいない。
養居殿に着いても、皇帝は昼寝をしていると、外で待たされていた。
━━果たして、陛下にどんな顔をすればいいのか。━━
靖王府からの道すがら、ずっと考えて来たが、何も浮かばない。
あれだけ朝堂で盾突いて、今日は、誉王のように謝罪するべきか、それとも献王の様に泣いて見せるべきか。
━━どちらでもない。私は何も間違ったとは思っていない。何も罪など犯していないのだから。━━
心は決まる。
━━堂々と有れ。━━
林燮や祁王に教えられた事だった。
心が決まれば、寒空の下、待つ事も、苦にはならない。
だが、こんな風に心配した事も、必要が無かったようで。
養居殿の外に、二刻も待たされ、手足が凍えてきた頃に、漸く高湛が現れる。
「今日は陛下はお会いにならないので、お帰り下さい。」
そう高湛は告げた。
「好。」
━━なるほど。━━
靖王は梁帝らしい判断だと思った。
━━今度、父上に会えるのは、いつになるか。
用が無ければ、もう父に、会いに来る事は無いだろう。━━
「父上、お元気で。」
そう言って、叩頭して養居殿を去ろうとした。
だが、去りかけると、高湛が声を掛けた。
「殿下、今日は静嬪娘娘との面会日です。どうぞ芷蘿宮に。」
「あぁ、、今日、、、今日か。」
忘れかけていた。
「感謝する。」
高湛に笑いかけると、高湛は優しげに頷いた。
靖王は芷蘿宮に入る。
母親の静嬪が、出迎えてくれるだろうと思っていたのだが、、。
芷蘿宮では宫女達が、気まずそうに顔を見合わせていた。
「どうしたのだ?。」
問えば、宫女は皆跪き、口々に罰して欲しいと言う。
静嬪が風邪を引き、熱を出したと。
「珍しい事もある。母上が熱を。」
心当たりが無い訳では無い。きっと自分の事を案じたのだ、心配をかけたと、宫女をそのままにして、静嬪の寝所へ行った。
寝所の戸を開けると、寝台で静嬪が、体を起こそうとしていた所だった。
静嬪の顔は、赤らんでいた。一目で、まだ熱が下がっていないのが分かった。高い熱の様だ。
「母上、、熱が、、。」
「嫌だわ、医者の不養生ね。師匠に叱られるわ。」
「いつから、、、苦しいですか?。寝ていて下さい。すぐに帰ります。」
靖王が、母親を寝かせようとする手を止めて、静嬪は息子の顔を見る。
「景琰、、、辛いのでしょう?、、こんなに痩せて。私は何も出来なくて、、歯痒いばかりだわ。」
「いえ、、、私も、、何も出来なかった、、。自分の事ばかりで、、。母上が大変な事も思い至らなかった。私は不孝者です。」
二人、さめざめと涙した。
「明日から出征します。暫くは会えぬかと、、。」
涙ながらに静嬪は頷いている。そして意を決したように、靖王に話しかける。
「景琰、よく聞くのよ。あなたをを都から出す父上を、恨んではいけないわ。」
頷きもせずに、靖王はじっと聞いていた。
「献王や誉王の様に、陛下の意に沿って、この金陵で、お前は過ごす事は、もう出来ぬでしょう?。何も無ければそれでも良かった。でも祁王や赤焔軍の件に、疑問を抱く以上、あなたは、この件を、黙ってやり過ごす事なんて出来ないわ。
金陵にいたら、祁王の為、小殊の為に、きっと調べようとするでしょう。そうすれば、今度こそ命は無いわ。」
「母上、、私に動くなと言うのですか?!。
祁王も赤焔軍も小殊も、いつも梁の事を第一に考えていた。彼等がなぜ逆徒なのです。
ここに来る前に、官報に目を通しましたが、あんな報告は嘘です。ありえない。おかしな記述ばかりで、到底納得出来ないのです。
この梁で、誰が調査出来ると。
私が晴らさねば、兄上や小殊や、赤焔軍が浮かばれない。」
「分かっている、分かっているわ。景琰。でも、今はいけない。動かない事が、どれ程あなたの苦痛になるか。それこそ身を焦がす思いでしょう。でも、今は駄目なのよ。」
「私をそこ迄知っていながら、何故反対するのです。
私は誰一人、助ける事が出来なかったのです。このまま指をくわえて逃げろと?、卑怯者になれと?。」
「景琰、今、あなたが、義を尽くして死んでしまったら、、祁王と赤焔軍の無念を、誰が後世に伝えるの?!。