サヨナラのウラガワ 8
だが、それでもアーチャーはショックを隠せない。仮にも恋人だという関係であった者をそうも簡単に忘れ去ってしまうのか、と責めたい気持ちはある。それに、勝手なことをして、と叱りたい。が、何よりも今、アーチャーの手の届くところに士郎が存在しているということに、ただただ喜びや安堵がひしめき、他のことなど考えられない。
「士郎……、この、たわけ……」
捕まえたら言おうと思っていた言葉があったはずだった。だというのに、頭の中から綺麗さっぱり消え去ってしまって、アーチャーはそんな悪態しか言えなかった。
どのくらいそうしていたのか、アーチャーには時間などわからない。だが、なんとなくあたりが薄暗くなってきたのを感じ、身体を起こす。
跨いでいた士郎の身体の脇に避け、いまだぼんやりとしたその手首を掴んで引き起こした。
「士郎、契約を」
不思議そうな顔でアーチャーを見上げる士郎は、何を言われたのかもわかっていないようだ。
しかし、士郎が呆けていようがなんだろうが、契約をしなければ士郎はまた座に還ってしまう。そんなことをさせるわけにはいかない。
「やはり、守護者となっていたのだな……」
苦笑いを浮かべたアーチャーは、改めて士郎の手を取る。
「あ、の……?」
戸惑うような表情の士郎は、目の前でアーチャーを見ていても、本当に誰だかわからないようだ。
仕方がないのかもしれない。今、士郎の目の前にいるのは、士郎の知るアーチャーの姿ではない。衛宮士郎が二十三歳となった姿――ようするに、自分が成人した姿なのだ。見覚えがなくて当然だろうし、自分と同じ姿だと気づくには、少し時間がかかるのかもしれない。何しろ、自分と全く同じ容姿の者が目の前に現れることなど、普通であればありえないのだから。
頭の中でたくさんの疑問を浮かべているだろう士郎は、何も口にはせず、ただ、アーチャー――自身の成人した姿を眺めている。
そんな、警戒心すら見せない士郎にアーチャーは笑みをこぼし、そっと士郎の指に自身の指を絡めた。
さすがに驚いたのか、びくり、と肩を跳ねさせて、士郎は何度も瞬いている。
「士郎……」
その頬に空いた手を触れれば、ぎゅ、とかたく目を瞑って士郎は身を縮めている。何かされると反射的に身構えたのかもしれないが、その仕草がアーチャーの胸をくすぐった。照れ臭いような気もするが、何よりもうれしさがこみ上げる。
そんなことをしているうちに、詠唱も何らかの手続きもないまま、再び契約が結ばれていく。
一度ほどけた繋がりが再構成されていくことに驚きながらも安堵を覚え、アーチャーは瞼を下ろした。
何かしらの抵抗があるかもしれないと危惧していたが、そんな素振りもなく、士郎はされるがままに従っている。
やがて、流れてくる魔力に薄らと瞼を開けば、黄白色の手に手を握られている。
――――ああ、戻っている。
視線を上げると、士郎が何度も瞬いているのが見えた。
先ほどとは向きが反対になっている。アーチャーが見ていた士郎の後ろには瓦礫があったが、今は大部分が吹き飛ばされた更地が広がっている。
「士郎」
はっとして目を上げたその顔は、高校生のころに比べて少し成長した士郎だ。アーチャーが大切に守り、鍛え上げてきた身体を持つ士郎がいる。
「アー…………チャ……」
「この、たわけ。馬鹿げたことを口走りおって」
「あ……」
しゅん、と目に見えて意気消沈した士郎に、アーチャーは慌てた。
「い、いや! その、だな! ま、まあ、戻ってきたのなら、っだな……っ……その……」
何を言っても責めているような気がして、アーチャーは口籠る。士郎はといえば俯いたままで何も言葉にできないようだ。
「…………だから、だな……」
いまだ絡めた指に力が籠もる。ぎゅ、とアーチャーが握っても、士郎が握り返してくることはない。それがどうにも悔しいと感じた。
「と……、とにかく、その……」
歯切れ悪く、もごもごと口を動かす。何かうまいことを言ってやろうと言葉を探すのだが、頭が真っ白になってしまっていて、アーチャーには何も浮かばない。
「ああ、もうっ、どうでもいい! とりあえず、」
ぐい、と握った士郎の手を引いた。
「抱きしめさせろ!」
◇◇◇ ◇◇◇ ◇◇◇
ゴトゴトと音を立てて揺れながら悪路を走る四駆の車は、アーチャーが国際線のある街までもてばいいからって言って買い取った車だ。二十年くらい前の型のSUV。いや、新車当時の言い方だとRV車とか、そういう呼び方だったかもしれない。
それに乗って走り続けて、かれこれもう三日。正直、身体のあちこちが痛い。
「身体が辛いか?」
「……だい、じょ、ぶ」
どうにか声に出して答える。本当は大丈夫じゃない。
だけど、ハンドルを握っているアーチャーだって、疲れないわけじゃないから、あんまり我が儘は言えない。
「こんな車では寝ていても休息にはならないからな……。宿のある街まであと二日くらいはかかる。我慢できるか?」
こくり、と頷く。助手席のシートをいっぱいまで倒して横になっている俺に文句は言えない。アーチャーは最善を尽くしてくれているんだから。
真っ直ぐに前を見ているアーチャーの横顔を盗み見る。アーチャーの話だと、あれから五年と少しが経ったそうだ。俺には時間の経過なんてわからない。守護者をしているときは一日とか一時間とか、そういう感覚はなかったから。
変わらないアーチャーの姿を見て、守護者という存在を知った俺には、英霊という存在の哀しさが少し理解できる気がする。老いも衰えもしない、永遠に止まったままの存在。まるで匣に閉じ込められたように守護者というものは、ただただ酷使されるだけの存在だった。
そういえば、セイバーも命の尽きる寸前で止まっているっていうようなことを言っていたし、どんな状態であれ、英霊というものは、不条理の中でしか存在できないんだということを改めて知った。
アーチャーは俺との契約が切れたら、また守護者に戻るんだよな……。
あんなことを、ずっと永遠に繰り返して存在させられるんだよな……。
俺が代わるって言ったのに、またアーチャーは英霊に戻ってしまった。
どうしてアーチャーは俺を……?
今回もいつも通りに”仕事”をこなすはずだったんだ。珍しく初回の召喚で任務が達成できて、もう座に戻るのかと思っていたら人の気配があった。
以前のように、いきなり狙撃されはしなかったから、相手から俺が見えていなかったのかもしれないと思った。砂埃が酷かったし、夕刻に近い時間帯だったから、視界はあんまり良くなかった。
まだ”仕事”が完了していないことに気付いて、慌ててその人を消し去ろうと思えば抵抗されて、押さえつけられて…………。
アーチャーだったなんて。
アーチャーがいるなんて。
アーチャーが俺を抱きしめるなんて。
アーチャーが俺を探していたなんて……。
夢じゃないんだろうか。
俺、とうとう頭がおかしくなって、妄想と現実の区別がつかなくなっているんじゃないのか?
疑問をいっぱい浮かべて、幻だったのかと何度瞬きしてもアーチャーは目の前にいるし、なんだかわからないけどすごく優しいし……。
作品名:サヨナラのウラガワ 8 作家名:さやけ