サヨナラのウラガワ 8
どうやってと訊かれても、守護者になってしまったから仕方がなく、ということかもしれない。だが、それでも、何があって、どんな”仕事”をして、と、すべてではなくても、覚えているうちのいくつかでも話してくれれば、我々は同じ経験を持つものとして分かり合えることも増えるのではないだろうか。
また士郎の髪に手を伸ばす。
眠っているのをいいことに、私は何度も士郎の頭を撫で、頬に触れている。
「このくらい、いいだろう」
誰に許しを請うているのかわからない。士郎に、といえばそうなのかもしれない。
勝手に触れることを士郎は許すのだろうか、それとも、触るな、と怒るのだろうか。
我々はもう、恋人というものではないのだろうか。
ない、と言われることがこわくて訊けないままだ。
士郎は、どう思っているのだろう、私のことを。そして、恋人であることは継続なのだろうか。
訊けば藪蛇になりそうだ……。
「情けない。これでも英霊か……?」
自嘲をこぼしたとき、
ピリリリリリリリ!
静寂の中に鳴り響く電子音に、仮初の心臓が跳ねた。
「な、なんだっ?」
何事かと思っているうちに、再度、電子音が響く。
「ぅ、な、なんの、音、だ?」
しまった、士郎を起こしてしまった。
「い、いや、私にも、」
何がなんだかわからない状態で士郎に答えようとする間に、三度目の電子音。
「いったい、ど、こ――」
士郎が後部座席に置いたリュックをあさっている。
「な、なんだ。何か、」
「このへんから、聞こえてくる」
身体を起こし、ゴソゴソとリュックの中に手を突っ込んだ士郎は、四度目の電子音を発する元凶を探り当てたようだ。
「あった」
士郎が取り出したのは、ピカピカと表示画面のライトを点滅させる黒っぽい物体。夜の車内は真っ暗なため、やたらと眩しく感じる。
「それは……」
すっかり存在を忘れていた衛星携帯電話だ。
番号を知っているのは凛くらいであり、絶対にかかってこないと思っていたので、というか初めてかかってきたので、その呼び出し音だとは気づかなかった。
「こんなものも、あったな……」
バツが悪いが、車を舗装なき道路の脇に寄せて停める。道行く車はないが、一応ハザードランプを点け、追突事故の可能性を下げておく。
何度目かの呼び出し音の途中で通話ボタンを押し、
「もしも――」
『ちょっと! 捕まえたって! 見つけたのっ? ほんとに、本物っ?』
キーン、と耳鳴りが起こり、しばし近づけた電話機を耳から離した。
『ねえ、ちょっと、聞いてるのっ? 衛宮くんっ?』
次々と質問責めにしてくる凛に、苦笑いしか浮かばない。
「凛、少し落ち着け。話もできない」
『は! アーチャー? アーチャーなのっ? ちょっと、もう! どういうことなのっ?』
「説明するのは長くなる。とりあえず、どこにいる? そちらへ向かおうと思うが、」
『あー、えっと、今、ロンドンに戻ってきて……、えっと、衛宮くんは近くにいる? 衛宮くんに代わってくれれば、』
「今、運転中だ。伝えておく」
『じゃあ、ロンドンのアパートにいると言ってくれればわかるわ』
「わかった。伝えよう」
『いつになる? っていうか、今、どこよ?』
「詳細は私にもわからない。だが、三日のうちには着けるはずだ」
『わかったわ。セイバーと一緒に待ってるから!』
「ああ」
『じゃあ、切るわね。気をつけてって、衛宮くんにも言っておいて』
「了解した」
通話を切り、リュックに戻そうとすれば、携帯電話を引き取られる。
「遠坂?」
「ああ」
「すごい声、響いてたな」
少しだけ笑みを刻んだ士郎を思わず見つめてしまう。
「……そうだな」
何もなかったように答え、無理やり視線を逸らした。
私は何を考えているのだろう。調子の良くない士郎に触れたい、などと……。
「あと、三日で着くのか?」
自己嫌悪に陥る私に士郎は小さな声で訊く。
「あ、ああ。もう少しで街に着く。そこから国際線でロンドンへ向かう」
「……飛行機、か」
「そうなるな」
俯いた士郎の顔色は、車内灯の下だからだとしても良くないように思える。
「……大丈夫か?」
「え? 何が?」
「旅客機には、人が多勢いる。そこで数時間過ごすことになるが、」
「平気」
「だが、」
「大丈夫だ。遠坂が待ってるんだろ?」
疲れた表情に浮かべられた微笑は、どうにも私の胸を締めつけるものだった。
Back Side 21
やはり、やめておけばよかった、と後悔に苛まれながら、アーチャーは士郎に肩を貸すようにして抱えたまま階段を上る。
士郎はアーチャーの予想していた通り、搭乗を待つ間に青ざめ、旅客機を降りるころには自力で歩くのも困難な状態になった。空港からアパートまでのタクシーに乗った小一時間も回復する様子がなく、今、アパートに着き、凛とセイバーが住む部屋へと向かう間に意識を失いかけている。
「もう少しだ」
アーチャーが声をかけると、頷いているのか、ただ揺れているだけなのか判断のつかない頷きを返してくる。
ようやく扉の前に到着し、アーチャーがインターホンを押そうとすれば、
「やぁっと帰ってきたわね!」
勢いよく扉が開き、アーチャーは思わず半歩下がった。
「え? ちょ、ちょっと、なに、どうしたのよ?」
呆気に取られるアーチャーと彼に抱えられているような状態の士郎へ交互に目を向け、久しぶりに会った凛は再会の挨拶も喜びもそこそこに、ベッドの用意をすることになった。
「すまないな」
士郎を、以前アーチャーが使っていた部屋に寝かせ、心配そうに見ている凛とセイバーを振り向く。
「あの、えっと、どういう……?」
「あ、ああ……、その、だな……」
何から話せばいいのだろうか、とアーチャーは言葉に窮してしまう。
士郎が戻ってきたと言えばいいのか、英霊エミヤが戻ってきたと言えばいいのか、そもそも、アーチャーが今まで衛宮士郎として過ごしていたことからして凛は知らないのだから、そこから説明する必要がある。
「凛、きちんと話したいと思うのだが、士郎を先に医者に診せた方がいいだろう?」
「え、ええ、そうね……」
凛は現状をうまく捉えられずにいるが、士郎の身体の方が優先事項だと判断したようで、すぐに医師を手配してくれた。普通の医師ではなく、魔術協会に所属する医師を。
士郎とて魔術師のはしくれなのだ。今、協会に所属していないとはいえ、時計塔で学んだ身である。しかも、魔術師としては名の通っている遠坂凛の依頼であれば、協会も無視はできないということらしい。
その日のうちに身体的にも魔術的にも診ることのできる医師がアパートを訪れた。その診断結果は、身体機能に特に問題はなく、軽い栄養不足と深刻な寝不足、そして心的外傷後ストレス障害の可能性がある、ということだった。
「心的……」
思わずアーチャーは口内で呟いた。
人が多い場所にいて調子が悪くなるのは、それなのか、とアーチャーは思案に耽る。
――――だとしたら、いったい何が原因なのか……。
作品名:サヨナラのウラガワ 8 作家名:さやけ