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サヨナラのウラガワ 8

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 アーチャーの代わりに座に還る前、士郎にそんな症状はなかった。であれば、原因は守護者として英霊エミヤの座に引き戻されてから、ということになる。
 ――――まあ、胸糞の悪さは、一級品だからな……。
 だが、なぜ、人の多い場所がきっかけとなるのかがわからない。
 訊かなければならない、とアーチャーは心に決める。士郎に何があったのか、何をしてきたのか。
 ――――話すこともだが、まずは、消化の良いものを食べさせ、休養を取らせなければならない。
「いや、その前に……」
 医師が帰ったあと、共有スペースに凛とセイバーを誘い、紅茶を淹れ、アーチャーは腰を据えて話すことにした。
 今まで、何が起こっていたのかを。



◆◆◆ ◆◆◆ ◆◆◆

「凛、セイバー、信じられないかもしれないが、黙って聞いてくれ」
「な、何よ、急に。っていうか、アーチャー、あなた――」
「凛、とにかく先に話をさせてほしい」
「ぅ……、わ、わかったわよ」
「ありがとう」
 素直に礼を言って、凛とセイバーが座る二人がけのソファーの対面に腰を下ろし、ローテーブルを見つめる。
「凡そ五年前、私が座に引き戻されようとしていたときのことだ」
 凛は怪訝な顔をしたものの口を挟まず、じっと私の言葉の続きを待っている。
「日々、早朝と日没の昼夜が切り替わる瞬間に、私はいつも座に引き戻されそうになっていた。あの日も、洗濯物を取りこむために庭へ出て、そうして動けなくなった。いつものことだと、士郎が急いで帰宅するだろうと、私はたいして焦ることもなく待っていた。案の定、士郎が門を潜り、庭へと直接駆けてきて口にした。”代わってあげられればいいのに”と」
「え……?」
 凛もセイバーも、きょとん、としている。
 無理もない、こんな話を誰が信じるというのだろうか。
「そして、入れ代わったのだ、士郎と」
「…………」
「…………」
 二人とも絶句している。当たり前か。こんな突拍子もない話をすぐに信じることなどできないだろう。
「え、ちょ、っと……、ちょっと、待って」
 凛が片方の掌をこちらに向けて、待て、とジェスチャーする。
「アーチャー、それは、その……、い、今まで士郎であったのは、貴方だった、ということなのですか?」
 凛の代わりに口を開いたセイバーの問いかけに頷く。
「そうだ。中身だけだがね」
 明瞭に答えれば、目を丸くするセイバーは何度も瞬いている。
「……じゃあ、今まで、衛宮くんのフリしてたって、ことなのかしら?」
 凛は声を震わせて訊ねてくる。ショックだったのだろう。士郎が私の代わりに座に還ったと聞いては、やるせなくなるかもしれない。
「そうだな。他にどうしようもなかったからな」
「…………な……ん……ですってぇ!」
 立ち上がり、ガンドを構えた凛に、しまったと思ったが後の祭りだ。思わず腰を浮かせ、凛を宥めようと試みる。
「お、落ち着け! だ、騙そうとか、からかうつもりだったわけではない!」
「言い訳なんて聞きたくないわ。アーチャー、もう、座に還してあげるわよ!」
「い、いや、待て! 待ってくれ! 遠坂!」
「と・お・さ・か、なんて、呼ばないでくれる?」
「はっ! す、すまない! だが、私とて、やむを得なくてだな!」
「何が、やむを得ないよ。散々私たちをコケにしていたんでしょ? 五年以上も騙しておいて、今さら言い訳なんてできると思う?」
「ち、違う! 私とて、話せるものなら話したかった! だが、どう説明すれば君は信じる? 私の代わりに士郎が守護者になったかもしれない、など」
「そ、それは……」
「しかも、確証はない。真に士郎が英霊の座に還ったかなど、誰にも確かめる術はないというのに、私のこうあってほしいという願望だらけの想像で決めてしまうには無理があるだろう?」
「ま、まあ、そうね……」
「私とて、確かめる術があるならば君に話していた。それに、士郎を喚び戻すことができるのならば、君にもきちんと相談していた。だが、確証はなく、証拠もない。私は士郎の身体になり、英霊であった私の存在は消えている。であれば、”アーチャーは座に引き戻されてしまった”と言う方が、すんなり信じることができるだろう。したがって――」
「ちょっと待って! それって、私たちがアーチャーの話を信じないって決めつけてるってことよね?」
「あ、ああ、まあ、そうだな……」
「ふーん。私たちって、アーチャーにそぉんなに信じてもらっていないんだぁ」
「そ、そういうことではない!」
「じゃあ、なんなのよ?」
「本当のことを言えば、君はロンドンへ行くことをやめただろう?」
「そ、そんなことは……」
 凛は押し黙る。彼女の反応は正直だった。口にはしなくても、その表情で肯定している。
「君は、魔術師になることを、時計塔に入ることを目標にして生きてきたのだろう? 生まれたときから魔術師であることを誇りに思い、また、そのしがらみの中で成長してきた。君の生きる道を我々の事情で踏み外させたくはなかった。これは、私だけではなく士郎も同じ意見のはずだ」
「じゃあ、私のためだったって言うの?」
 少し勢いを失くした凛は、ソファに座り直す。
「いや、そういうことでもない。これは、我々の――士郎と私の問題なのだ。君たちを巻き込むわけにはいかない、というよりも、正直なところ、手も口も出してもらいたくはない」
「よっく言うわよ」
 呆れた凛は、頬杖をついてムッとしている。
「アーチャー、その時点で貴方は、独りで士郎を探そうと決めたのですか?」
「ああ」
「そして、見つけた、と?」
「ああ、偶然にもな」
 本当に奇跡だと思っている。心のどこかでは諦めが鎌首を擡げていた。いつか士郎が召喚されると前を見据えながら、時折、諦めに蝕まれる己から目を背けようとしていた。
 この五年、士郎と会えると確信を持っていたと同時に、もう二度と会えないだろうという漠然とした絶望を感じていたのも事実。
「私の願いでも、士郎の意思でも、まして君たちの希望でもない。士郎がこの世界に召喚されたのは、本当に偶然で、私がその場所にいたのも、たまたまで……、誰かの思惑でもなく、何かしらのシステムでもない。が、それでも、士郎は私の前に現れた。ならば、これを奇跡と呼ばず、なんと言う?」
「そう……ね……」
「はい。奇跡ですね」
 凛もセイバーも頷き、二人は少しだけ微笑んで、やはり少しだけ怒った。
 水くさい、と……。



「それで? どうして士郎はあんな状態なの? 診断はなんて言っていたのだったかしら?」
 凛は虚空を見つめながら首を捻っている。これに関しては私も手の打ちようがなく、首を捻りたい。そしてセイバーはというと、心配なのか士郎の側を離れようとしない。
 凛と私はひと息入れるべく、共有スペースであるリビングに移動した。士郎にもひと息入れさせてやろうと、独りになれるように配慮したが、セイバーが残ってしまったために、あまり息はつけないかもしれない。
 我々が両手を上げて途方に暮れているのは、士郎の状態のことだ。
作品名:サヨナラのウラガワ 8 作家名:さやけ