サヨナラのウラガワ 8
身体の方は、少しずつではあるが改善が見られる。食事も多くはないが三食きちんと完食するようになった。問題なのは、士郎が引きこもってしまっていることだ。このアパートの外にはもちろん、以前私が私室として使っていた部屋から必要最低限しか出てこない。
「人の多いところがダメって、言っていたわよね?」
「ああ。移動中は車からほとんど出なかった。旅客機に乗ろうものなら失神寸前で、私が常に抱えている状態だ。何を訊いても大丈夫だと答えるだけで、こちらは手の出しようがない。どうにかここまで連れてくることができたが……、やはり、精神的なものなのだろうな」
「精神的……。PTSDとかっていうやつ? でも、衛宮くんはアーチャーの座に還っただけでしょ? それがそんなに、」
「ただ座に還っただけではない。守護者として”働いて”いたら、可能性は、なくはない……」
「ま、まさか……、やーね、アーチャー、脅かさないでよ」
「脅しでもなんでもない。英霊エミヤの座に在るということは、守護者として使役されるということだ。それが士郎であろうと私であろうと、エミヤシロウであれば問題がないのかもしれない」
「……ちょっ、……と、それって、」
「ああ。殺戮を繰り返すだけの装置だ」
凛は青ざめて固唾を飲んだ。
「そ……、そんなこと、士郎にできるわけが、」
「ああ、できない。殺し合った私に対してすら急所を外したのだ。見ず知らずの人々を殺すことなどできない。だが、」
「それでは守護者は務まらない?」
「……そうだ」
士郎の居る部屋のドアを何とはなしに見遣る。
話さなければならない、とは、わかっている。だが、おそらく、他人には聞かれたくないはずだ。ということは、セイバーが居座っている以上、その機会がない。
「凛、近々、セイバーを伴って仕事に出てはくれないか?」
「はあ? 冗談でしょっ? こんなときに、なに言ってるのよ!」
「こんなときだからこそだ。セイバーがいては、アレも話し難いのかもしれない。だが、無理やりセイバーを追い出すのも気が引ける。したがって、三、四日ロンドンを離れていてくれれば、」
「二日よ」
凛は高慢に告げる。
「いや、二日では、」
「二日でなんとか原因を突き止めなさい。それ以外は認められない。セイバーだって、もちろん私だって、士郎の力になりたいの。……それに私、後悔してるのよ。五年前、私はあなたたちを放置しすぎたって思ってる。恋人だのなんだのって言うわりには、あんたたち、全然恋人らしくなかったもの。あれじゃ、ただの兄弟か親戚か、ちょっと親しい友達くらいだわ。だから、恋人だっていうのなら、本気で恋人になりなさい! 今度こそ、私は手を抜かないわ! いい? アーチャー。今度は半端なことなんてしたら、ただじゃおかないわよ?」
「…………」
後悔も何も、恋人云々は君がはじめにけしかけたのではなかったか。
どうにかなってしまえと言ったのは、確かに君だったと思うのだが……。
まあ、言わないでおこう。せっかく士郎が戻ってきたのだ、座に強制送還されたくはない。
「わかっている。私とて、いろいろと思うところがある」
「へー、アーチャーも案外、感情的になれるのねぇー」
「私をなんだと思っているのか、君は……」
呆れて言えば、凛はクスクスと笑っている。
「アーチャー、ありがと。士郎を見つけてくれて」
「何を――」
「だって、あなたには、知らんぷりする選択だって、あったでしょ?」
「それは……」
確かにそうだ。私が士郎のフリをして人として生きようとすれば、ロンドンに行くこともせず、あのまま普通の日々を送っていたかもしれない。失った輪廻を噛みしめて、人という一生を堪能していたかもしれない。
その選択もあった。
衛宮士郎を消せば、自身の運命が変わるかもしれないと本気で思おうとしていたのだ、そう考えてもおかしくはなかった。
だが……。
「あなたも、士郎に会いたかったのよね……?」
どきり、とした。
改めて他人に言われると、何やら生々しい。確かに喚び戻す、と意気込んでここまできたが、その原動力がそんな思いからだった、と今さら思い知らされる。
「勝手なことをして、と叱りつけてやらなければならないからな」
「……フフ。そういうことにしておくわ」
長い黒髪をさらりと払い、凛は立ち上がる。
「セイバー」
ドアへと凛が声をかけると、ほどなくドアが開く。
「仕事なの。明日の朝から出かけるわよ」
「はい? きゅ、急になんですか凛。私は、士郎の――」
「衛宮くんのことはアーチャーに任せて、私たちは稼ぎに行きましょ」
「ですが……」
「ほらー、この間の仕事で宝石をずいぶん使っちゃったじゃない? だから、金欠なのよー」
「……はぁ。それでは仕方がありませんね。アーチャー、士郎を頼みます」
姿勢を正し、折り目正しく頭を下げたセイバーは、凛の荷造りを手伝いはじめた。長くともに仕事をしてきている、という信頼関係と息の合った姿は妙な安心感があり、同時に微笑ましいとも思う。
そうして、次の日の早朝には凛とセイバーは連れ立って仕事に出かけていった。
Back Side 22
軽くドアをノックしたが、返答はない。しばらく待ってみてもドアが開く気配も、このドアの向こうで動く気配も感じられない。
霊体化して室内に入ることは可能だが、施錠していないということは完全にこちらとの接点を失くす気はない、ということだ。したがって、アーチャーは正攻法で士郎と向き合うことにしている。
「士郎、入るぞ」
一応声をかけ、そっとドアを開けば、返事がないことから眠っているのだという予想とはうらはらに、ベッドの上で身体を起こし、ぼんやりとしている士郎がいる。
戸口に立ったまま、コンコン、と開いたドアをもう一度ノックし、アーチャーは士郎の反応を待った。
何度目かのノックにはっとして、アーチャーを振り向いた士郎は、慌ててベッドを出ようとする。
「そのままでいい」
士郎の動きがあったことをきっかけに、アーチャーも足を踏み出す。途中で机の前の椅子を手に取り、ベッドの側に置いて腰を下ろした。
「身体の調子はどうだ?」
ベッドを出ようとしていた士郎は居心地悪そうに胡座をかいて座り直した。
「うん……」
「答えになっていない。いいのか悪いのか、はっきりと――」
「あ、い、いい、です」
自分の足首あたりを手持ち無沙汰な様子で掴み、そこを見るとはなしに見ている士郎は、俯いているわけではないが、アーチャーを見てはこない。
「では、何があったのかを訊いても大丈夫か?」
「……うん、大丈夫だ」
では、とアーチャーは自身の憶測を確認するように一つ一つ質問していく。そして、士郎の回答は、アーチャーの想定どおりの内容で、英霊エミヤの座に在り、守護者として”仕事”をしていたということだった。
「……できた、のか?」
アーチャーはその”仕事”というものの内容を嫌というほど知っている。たとえ魔術師見習いであったとしても、聖杯戦争を生き残ったのだとしても、それは、一介の高校生が成せるような事柄ではない。
作品名:サヨナラのウラガワ 8 作家名:さやけ