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サヨナラのウラガワ 8

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 気の遠くなるほど繰り返したアーチャーでさえ、胸糞の悪くなるような”仕事”だ。それを士郎がなんの躊躇もなくこなせるとは思えない。
「お前は、あんなことが、できたのか?」
 噛み砕くように再度訊いたアーチャーに答えない士郎の手は、自身の足首を握りしめている。
「士郎、お前は――」
「できる、できないじゃない話なのは、アーチャーが一番よく知ってるだろ……?」
「…………」
 できなくても、やらなければならないのだ、守護者は。やりたくなくても、やらなければならない。その苦しさをアーチャーは数多の召喚で噛みしめていた。思い出すだけでも反吐が出そうな”仕事”だった。
「……そう、だな。やらなければならない――やり遂げなければならないことだ。それを…………」
 下を向いたままの士郎に手を伸ばす。
「このっ……、たわけ」
 抱きしめれば、抵抗もなく、されるがままになっている士郎は、アーチャーに腕を回してこない。
 ――――なぜだ……。
 アーチャーの中にずっとわだかまっている疑問がまだある。士郎は今も己を恋人だと思っているのか、という最も訊くのが難しいものだ。
 恋人という関係の中、突然、士郎は座に連れて行かれた。であれば、今も恋人だということに変わりはないと考えられる。別れるという話にはなっていない。
 当時、士郎とは二日と空けず抱き合う仲だった。魔力供給という前提があるにしても、世の恋人たちと同等に接触は多かったとアーチャーは認識している。
 ――――もう違う、ということなのだろうか……?
 疑問も疑念も堂々巡りを繰り返す。何一つ訊けないままで、アーチャーは士郎の温もりを感じ、ただ安堵の吐息をこぼすより他ない。
 たくさん話さなければならない、たくさん訊かなければならない、たくさん確認をしなければならない。
 士郎と言葉を交わして、今後のことを考え、士郎の不調をどうにかするために対策を練り……、アーチャーの頭の中ではいろいろなことが巡っている。
「あの……」
 不意に声が聞こえ、アーチャーは我に返った。
「な、ど、どうした?」
「あ、あの、っ、お、俺、」
 胸元を押し返されて腕を緩める。ややムッとして士郎を見下ろせば、耳まで赤くして項垂れていた。
「っ…………クッ」
 襟元から覗く首筋も頬のあたりも、赤く色づいている。
「な、なに、笑って、」
「ックク、っ、はは……」
 緊張の糸が解けたのか、アーチャーは笑えてきてしまった。変わらない士郎の反応が懐かしく、そしてうれしい。今もまだ、アーチャーに対する想いが薄れていないことを実感できる。
「お前は、まだ、慣れないのか……」
 笑い含みで言えば、ぶすくれた士郎はあらぬ方へ目を向けている。
「士郎、何がお前を苦しめているのか、話してはくれないか?」
「…………」
「私はもちろん、凛もセイバーも、お前を心配している。他人が多勢いると調子が悪くなるのだということはわかった。しかし、状況がわかったとしても、根本的な解決にはならない。お前が今後日常生活を送れるようになるためには、それは克服しなければならない事案になるだろう。したがって、いったい何が原因なのかを突き止めるのが近道だと思うのだが、違うか?」
「……そう、だと思う」
「では、少しずつでいいから、話してみてはくれないだろうか?」
「話す……、えっと、守護者の、ことを?」
「ああ」
 士郎は神妙な顔になり、迷っている様子だ。が、やがて顔を上げ、アーチャーを真っ直ぐに見上げてきた。
「わかった」
 朝日の差し込む部屋で、そう答えた士郎の琥珀色の瞳に、少し翳が落ちたのはアーチャーの気のせいではなかった。



「何度も、殺された」
 淡々と話す士郎は、呼吸するようにその言葉を吐き出した。
「たくさん、殺した」
 それには黙ってアーチャーは頷くだけだ。が、疑問が浮かぶ。
 殺した、というのは納得できる。守護者というものは、霊長の世界にとって邪魔になるものを排除するのが仕事なのだ。たくさん殺した、というのは間違いではない表現だ。
 しかし、アーチャーはその前の言葉が引っ掛かった。”殺された”というのがそもそも理解できない。
 ――――どういうことだ? 殺された?
 英霊であるというのに、殺されるというのが、まずおかしい。仮にもアーチャーは、守護者として十分な実力を持っていた。分不相応などという召喚などなく、いざ召喚されれば、ため息が出ようと反吐が出ようとお構いなしに”仕事”に邁進していた。
 それが、理想を突き詰めた己の責務であり、守護者という存在のあり方だと知っていたからだ。
 否やはなく、ただ世界のために殺戮を繰り返す装置。そこに一切の感情はなく、ただただ命に従い殺し尽くす。英霊エミヤとはそういうものだった。
 たとえ中身が入れ替わっていたとしても、その力が失せるものではない。げんに、アーチャーが士郎の身体に入ったときは、魔力も魔術回路も士郎のもので、身体的にも魔術的にも鍛える必要があった。ということは、守護者となった士郎は存分に英霊の力を使うことができたはずだ。殺される、など英霊が人間を相手にしてあるわけがない。もし、魔術師のような者が相手だったのであれば分が悪いかもしれないが、そういう召喚は稀である。
 ――――だが、士郎は何度も殺された、という。それは、いったい……。
 朝食後の緑茶を一口啜り、士郎は曇り始めた窓の向こうへと目を向ける。
「経験値が、足りなくて」
 ぽつり、とこぼした声は小さく、ともすれば聞き逃しそうなほど頼りない。
「経験、値?」
 何やらRPG系のゲームなどで聞く単語だ、とアーチャーはさらに首を傾げる。
「実力……、というか、えっと、身体的にも魔術的にも魔力の量も、守護者としてやるべきことをやる力はあったんだ。だけど、俺に経験がないから、対応できなくて、」
「殺された、ということか……」
 こくん、と頷いた士郎はそのままテーブルの上に視線を貼り付かせてしまう。
「最初は、ほんとに酷くて、百回近く繰り返した」
「はっ? 百、回……繰り返した、だと?」
「うん。俺、ほんと、ダメだな」
 自嘲するような声が聞こえ、肩を縮めている士郎は、自責の念に囚われているように見受けられる。
「だめということでは……」
 なぜ、守護者だというのに、召喚された地で人間からターゲットにされるのだろうか。
 ――――その召喚は、本当に守護者のものだったのか?
 今となっては確かめようがない。士郎がいなくなったことと同じ、その状況に落とし込まれなければわからないだろう。
「それで、たぶん、人込みが、苦手……」
 士郎の自己分析は間違ってはいないだろう。その推測は根拠があるし、何より士郎がそう感じているのだろうから。
「……何か、対処法はあるのか?」
「これといって……」
 士郎は首を振って否定した。
 無理もない話だ。この世界に戻ってきたのは、ほんの半月ほど前のことなのだ。しかも体調不良に陥るため、士郎には常に他人との接触をしないようアーチャーがバリケードを張っていたので、改善する可能性も、対処法すらも見つけられていないだろう。
「アーチャーが気にすることじゃない」
作品名:サヨナラのウラガワ 8 作家名:さやけ