その先へ・・・6
ユリウスは部屋から飛び出しガリーナの許へ走り寄り男を突き飛ばした。そしてすぐガリーナを自分の身体の後ろへと隠し距離をとった。
「君は誰だ!本当に同志なのかっ?」
男はニヤリと笑って体制を立て直し、少し乱れた服を直し始めた。先ほどとはうってかわって落ち着き払った様子にユリウスもガリーナもあっけにとられていた。
「ようやく出てきてくれたな。会いたかったぜ。おれはあんたに会いに来たんだ。ドイツの別嬪さんよ」
「きみは……一体……」
ガリーナはまだ体が震えていたが、ユリウスの後ろから男の顔を覗き見た。先ほどまでの下卑た笑いは影を潜め、感情の読めない薄笑いを浮かべながらユリウスを見ている。
ユリウスに会いに来たと言っているこの男。
では先ほど自分を襲おうとしたのはユリウスを誘い出す為なのだろうか。だが、何故ユリウスの事を知っているのだろうか?
同志とは言っているが面識の無い男だ。
もしかしたら同志というのは偽りで、本当は侯爵の手の者で、ユリウスを取り戻しに来たのかもしれない。
ガリーナはユリウスの腕をギュッと握り締め小声で声をかけた。
「わたしにかまわず逃げて」
「大丈夫だよ、ガリーナ」
ガリーナの震える手に触れたユリウスの手も、微かに震えていた。
そんな女性たちの気持ちなど分かるはずもなく、目の前の男は無遠慮にユリウスを見つめていた。
「へぇ……こりゃぁ……想像以上の別嬪だな。アレクセイ・ミハイロフだけじゃねぇ、堅物な侯爵も夢中になるはずだな」
ニヤつきながら近寄ってきて頭から足先まで舐めるように見ている男。ユリウスはガリーナを背にジリジリと部屋の隅へと下がり、男から極力離れようとした。
「おまえは誰だ!ぼくに一体何の用があるんだっ?」
「おもしれぇ、かっこばかりじゃなくて言葉まで男言葉なのか。ますますそそるじゃねぇえか。アレクセイ・ミハイロフの趣味か?それとも侯爵か?」
「あなた!一体誰なの?何の用があって」
ガリーナも負けずに応戦する。
「ルウィ・ガモフ。モスクワの中央委員会から派遣されてきた。正真正銘あんたのダンナの仲間だ」
ルウィは再び視線をユリウスに戻し、近寄った。
「なぁ、別嬪さん。あんたアレクセイ・ミハイロフのオンナなんだろ。なのに何で侯爵家にいたんだ?あの男に、侯爵をたらし込んでこいと言われたのか?」
「アレクセイはぼくにそんな事は言わない」
「へぇ‥‥そうかい。アレクセイ・ミハイロフと侯爵は繋がっているんだろ?あいつらは貴族同士だ。オレたちなんかが予想も出来ねぇところで繋がってやがるからな。ヤツは自分のオンナを侯爵にあてがい、その代償に自分の減刑をはかった。そしてあんただけじゃなく、おれ達の情報をも提供していた。違うか?」
「バカな!そんな事をアレクセイがする訳がない!それに……ぼくはアレクセイのオンナではない!」
「へぇ、あんたはそんな風に思ってるのか。そりゃアレクセイ・ミハイロフも可哀想に。ヤツはあんたに惚れてるのにな。ま、あんな豪奢な邸で何不自由無く暮らし、毎夜侯爵に抱かれてりゃぁ、反逆者の男なんざ眼中になくなるよな」
マフラーの奥の顔がいやらしく笑う。
ユリウスの体に力が入ったのをガリーナは感じた。
「何か勘違いしてないか?ぼくとレオニードはそんなんではない!」
「口ではなんとでも言えるさ!退廃した貴族どもが口を揃えて噂しあってたぞ。あの氷の刃を溶かすとはたいしたもんだってな。なぁあんた、なんて言って侯爵に近寄ったんだ?アレクセイ・ミハイロフの命とひきかえにその躰を差し出したんだろう?」
「貴様……」
「まぁ、なんでもいいや。さぁ、行くぜ!あんた、おれと一緒に来てもらうぜ」
「なんだと?」
「あんたをモスクワの幹部に突き出して、アレクセイ・ミハイロフと侯爵の関係を立証する。あんたを介して侯爵と繋がっていたあの男は、今度こそ終わりだ!」
マフラーの下で面白そうに笑うルゥィにユリウスもガリーナも薄気味悪さを感じた。
それでもユリウスはルゥィに迫った。
「貴様何を言って……。アレクセイはレオニードとはなんの関係もない!バカな事を言うな!」
「へぇ、本当にそうかい?じゃぁなぜ侯爵はあいつの除名嘆願を書いたんだ?あんたがアレクセイの命を受けて、侯爵に近寄り色仕掛けで書かせたんだろう?あんたはアレクセイ・ミハイロフとドイツで知り合い、あいつを追いかけてロシアへ来たんだ。それほどまでに惚れ抜いた男に命じられれば……まぁ、従うよなぁ。そしてアレクセイはあんただけじゃなく、仲間の秘密も侯爵に売った。例えば……ゲオルギー・バザロフの事とか。なぁどうなんだ?」
「きさまぁっ!」
ユリウスが拳を震わせルウィに向かって進もうとしたのをガリーナが必死に止めた。
「ユリウス!落ち着いて」
「ガリーナっ!」
ガリーナはユリウスの腕をギュッと掴み、勇気を振り絞った。
「あなた、ルゥィ・ガモフさん。どうぞもう出て行って!」
「出て行くさ。この別嬪さんを連れてな」
ユリウスの手を掴もうとしたルゥィの手をガリーナは素早くはたき払った。
「……って!!」
「触らないで!この人は清らかであなたなんかが触れていい人じゃないわ!この人に触れていいのはアレクセイだけだわ!」
「ガリーナ……」
「この人は一途にアレクセイだけを見つめアレクセイだけを愛しているわ。昔も今もよ!侯爵と関係などあるはずがないわ。わたしにはわかるわ!」
「ふん!あんな商売してたから解るとでも言いたいのか?」
「……!」
「同じような事してた者同士かばい合えばいいさ。おれには関係ないね。おれは、侯爵の愛人がアレクセイ・ミハイロフのオンナだったという事実だけが必要なんだ」
再び手を伸ばしてユリウスの腕を掴もうとしたルゥィ。ガリーナがユリウスを守ろうと二人の間に入ろうとしたが、ルゥィは小さな彼女の身体を床に弾き倒した。
「ガリーナっ!!」
「さあ、行くぜ!」
ルゥィに腕を掴まれたユリウスはキッと睨みつけ手を跳ねのけた。
「ぼくにさわるなっ!」
「ユリウスっ!!」
ユリウスの右の拳が、まっすぐルウィの腫れた左頬をとらえたのと同時に玄関のドアが勢いよく開いた。
慌てて飛び込んできたのは、汗だくで厳しい顔つきをしたアレクセイだった。
その瞬間、ガリーナは緊張の糸が切れたのか、体中の力が抜けて行くような感覚にとらわれた。