彼方から 幕間4 ~ エンナマルナへ ~
乱れた髪をそっと整えてやりながら、アゴルは背中をゆっくりと移動してゆく、エイジュの手の平を感じていた。
……少し、背中がむず痒く感じる――
別に、会話を必要とはしていないのだが、必然的に流れてしまう沈黙に、やはり、気まずさを感じる。
意味も無く、何度も娘を見やってしまう……
――どうする、アゴル……
ジーナの言葉が脳裏を過る。
『お父さん――急に、倒れちゃった……から……』
『エイジュはね、寝ているだけだから大丈夫だって』
つまり……
倒れるように眠りに落ちた――と言うことだろう。
――エイジュの加勢で安堵したとはいえ
――まさか、眠ってしまうとは……
重臣方を護りながらのグゼナからの逃避行……かなり気を張っていたことは確かだ。
特に野営時の夜の見張りでは、皆よりも長く、その責に就いた。
傭兵時代……そんなことは多々あった。
だから、他の面々よりも慣れているはずだ――
そう、自負していたのだが……
――自分で感じる以上に
――心も体も、疲労を抱えていた、いうことか……
エイジュと言う申し分のない戦力が加わったことで、張っていた気が緩み、体が勝手に休息に入ってしまったのが良い証拠だ。
バーナダムや左大公の息子たちの言葉が、皆の心遣いが身に沁みる。
同時に、己が情けなくも思えるのだが……
一つ――
気になることがある。
眠ってしまった自分を、誰がどうやって運んでくれたのか……だ。
何しろ、『倒れた時』の『記憶』が、判然としない。
彼女に何か、言葉を掛けられたような気がするのに、全く、思い出せない……
その直前まで、エイジュと話をしていたのだから、彼女に訊けば応えてくれるのだろうが……
少し、憚られる。
理由は、分かっている。
護衛をする為に来たと言ってくれた、エイジュに対する自身の態度と言葉を、殊の外、良く覚えているからだ。
勿論、その時の彼女の言葉と態度も…………
互いに、己の意志に基き言い合っただけなのだから、謝ることではないと思えはするが……
あそこまで、ムキになって言い合うことも無かったように思う。
それだけ……精神的に余裕がなかっただけなのか、或いは……
彼女のあんな『一面』を、見たくなかっただけなのか――
――何にしても
――器の小さい男だな……
――おれは
思わず、自虐の言葉が頭に浮かぶ。
こちらが気に留めるほどには、エイジュ自身、気に掛けてなどいないかもしれないと思いつつ……
一つ、訊ねたいことが思い付くと、『あれもこれも』と、訊ねたいことが山ほど出てくる。
それを今、訊いて良いものかどうかという『迷い』と、『躊躇い』から――
アゴルはどうしても、口を開けずにいた。
***
「――グゼナの兵なら、心配はいらないわ……」
「――え?」
右手の動きを止めることなく、エイジュが不意に、静かに……口を開く。
「今はまだ、あたしの氷槍で囲われたままでしょうけれど……それも、陽が昇ればいずれ、溶けてしまうでしょうから――」
「……エイジュ」
怪訝そうな声音を返してくるアゴルに、
「あたしに、色々と問いたいことがあるのでしょう?」
エイジュはそう、続ける。
その言葉に暫し、黙した後……
「ああ、そう言えば……あんたは人の『気』が、読めるんだったな――」
野営の夜のことを思い出し、そう得心する。
「ええ……まぁ……」
肩越しに見えるエイジュの顔に、微かに笑みが浮かんだ様な気がして、
「…………応えてくれるのか?」
アゴルはそう、確かめていた。
「今、応えられることだけで良ければ――」
「そうか……」
それでも、『応えてもらえる』のなら、それで良かった。
「この馬車とあの馬は、グゼナ軍のものか?」
「そうよ」
悪びれた風も無く即答され、アゴルは少し眉を潜める。
「元々、『あなた達』を運ぶために用意されていた物なのだし、ちゃんと目的通りに『あなた達』が使っているのだから、文句を言われる筋合いではないと思うのだけれど?」
続けて重ねられた彼女の言葉に、
「なるほど……」
アゴルは頷きながら、
「おれ達はザーゴ国から手配されているだろうし、その手配書も、グゼナに回っているだろうしな……それに、グゼナ国から手配されている二人の大臣も居る。捕えたら、城まで運ぶ『物』が必要なわけだ……その『生死に』係わらず――」
溜め息を吐いた。
「……その通りよ」
彼女の声に、密かな冷たさを感じる。
エイジュの、仄青い光に包まれている自分の手を見やりながら、
「あれは、本心なのか……?」
アゴルはそう、訊ねていた。
「何が、かしら……」
「――――『二者択一』の話だ」
「悪いけれどあたしは、本心よ」
彼女の返しに一切の淀みは無く、背に当てられている手の動きもまた……同じだった。
迷いのない応えに、言葉が継げなくなる。
また、沈黙が流れ始める。
その沈黙に耐え切れず、アゴルが何かを言おうとした時……
「けれどあの時、左大公方がああ言ってくれたのは……」
先に口を開いたのはエイジュだった。
アゴルの反応を待つかのように、一呼吸置き……
「戦う術を持たない、重臣方やゼーナ達がああ言ってくれたのは、あなたとあたしの言い合いを止める目的が半分――残りの半分は、そのくらいの覚悟が必要だと……自分に言い聞かせる為のようなものね」
そう、言葉を続ける。
「……あんたも、そう思うのか」
「ええ」
背中の中ほどにまで進んだ、彼女の右の手の平……
「だろうな……」
その動きを感覚だけで追いながら、アゴルは一つ、息を吐いた。
「だから……いざ、本当にそういう場面に出くわした時――相手の命を奪わなければ、『誰か』の、もしくは自身の命が守れない……そうなった時……」
エイジュは、アゴルの吐息を耳に留めながら、
「そんな時でも、彼らは恐らく躊躇うでしょうね――相手の命を奪うことを……」
半ば確信したように、言い切っていた。
「みんなで決めたと言う、その『決め事』を守る為と言うのもあるでしょうけれど、何より、他の人を慮ることの出来る人ばかりですものね……それが、敵であろうと、味方であろうと――」
続けて紡がれたエイジュの言葉に、
「……何か――」
ふと、笑みが零れる。
「『そんな覚悟も度胸も無い癖に、考えが甘すぎる』と、言われている気がするな」
それは、苦笑であり、自嘲であり……嫌味でもある――複雑で形容し難い、笑みだった。
彼の笑みの意を掬い取ったのか、
「そうね、否定はしないわ」
ふっ……と、息が抜けたような微かな笑みを浮かべるエイジュ。
「『戦士』である、あなた達を除いて――の、話しだけれどね……」
何かを促すかのように、語彙に意図を含ませ、彼女は静かに瞳を伏せていた。
「そうか……」
荒れ地の怪物に剣を向け、共に闘った面々の顔が浮かぶ。
彼女の口から出た言葉に、改めて自覚する。
「おれ達は、『戦士』なんだな」
その言葉が、何を意味するのか。
どんな役割を、担っているのかを――
作品名:彼方から 幕間4 ~ エンナマルナへ ~ 作家名:自分らしく