サヨナラのウラガワ 9
「仕方がない、などと……、そんなにもあっさりと諦めるのですか?」
「遅かれ早かれ、私もアーチャーと同じ結論に辿り着いたと思うの。衛宮くんをこのままにはしておけない。いくら自分で足を突っ込んだことだっていっても、やっぱり私、衛宮くんにあんな暗い顔していてほしくないもの……」
「凛……」
セイバーの怒気はしぼみ、前の勢いが失われた。
「私も士郎にはきちんと話すつもりでいる。寝耳に水で、今は納得できないとは思う。だが、いつまでもこんな状態ではいけないと士郎も思うだろう。なにも今すぐに、というわけではないのだ。凛も準備に時間が必要らしいし、それに、士郎の気持ちが固まるのを、私は待つつもりでいる」
アーチャーの言葉も行き当たりばったりなのではないとセイバーは理解したのか、ふ、と小さなため息をこぼす。
「そうですか……。では、私からシロウに話してみます。凛もアーチャーも、ただシロウのことを考えているだけだと」
「……頼めるか、セイバー」
「もちろんです。……その、記憶を消すという話は、シロウの身体に負担がかかるということはないのですね?」
「ええ、大丈夫よ。それは私が保証するわ」
凛が振り返ってセイバーに答える。
「それが、シロウのためになる、と?」
「その方法しかないと思っている」
今度はアーチャーがはっきりと頷いた。
「では、後ほど、きっちりとシロウに説明してあげてください、アーチャー。やはり、自分のことを勝手に決めつけられるというのは、誰しも嫌なことでしょうから」
「ああ、わかっている」
「凛も、シロウから求められれば、必ず説明してあげてください」
アーチャー越しにひょいと顔を覗かせたセイバーに、凛は苦笑いを浮かべながらも頷く。
「仕方がないと思ってるわ。このままじゃ、どうすることもできないし……。でも、セイバーは嫌よね? だって、セイバーと契約したことを衛宮くんは忘れちゃうんだもの」
申し訳なさそうに言う凛に、セイバーは、にこり、と笑んだ。
「私もアーチャーと同じ意見ですよ、凛。シロウが苦しむだけだというのなら、そのような記憶など、ない方がいい。それに、記憶は消えても、我々は消えません。シロウとは、また新たな記憶を刻んでいけば良いと思っています」
「……セイバーは、ほんっと、前向きよねー。さすがは王様だわ。私のサーヴァント、最高!」
うんうんと頷いて凛は自慢げに胸を張る。
「では、これからシロウに話してきますので! あ、アーチャー、夕食は残しておいてください。あとで食べますから!」
そう言い残し、セイバーは士郎の部屋に消えた。
「士郎もセイバーみたいに、前向きになってくれればいいんだけど」
凛の呟きが聞こえていたが、アーチャーは何も言えず、ただ物言わぬドアを見つめていた。
◇◇◇ ◇◇◇ ◇◇◇
記憶を消すって、なんだよ!
勝手にそんなこと、本人を抜きに話し合うな!
……だけど、どうして急に記憶を?
俺がこんなだから?
守護者の記憶があるとダメだから?
普通に生活することができないから?
人混みにいられないから?
買い出しもできない役立たずだから?
いつまでも一人で何もできないから?
「確かに……、ダメだもんな……」
よくよく考えると、何もかもがダメだ。
一人で外に出られないから、家事も半端だし、掃除とか洗濯はできるけど、買い物もできないから炊事はアーチャーに任せっぱなしだ。
それに、市場で投影しそうになった。
守護者でもないのに、人を殺そうとした。
遠坂たちがああいう結論に至ったのは当然のことなんだろう……。
「シロウ、いいですか?」
静かな声に顔を上げる。同時にノックが聞こえた。少し隙間が開いたドアから、金の髪を揺らしてセイバーが顔を覗かせている。
「入っても、いいですか?」
再び許可を請うセイバーに、顎を引いて頷いた。
「シロウ、凛もアーチャーも、貴方のことを思って――」
「うん、わかってる」
ベッドに腰を下ろす俺の前に立つ彼女は、俺を説得に来たみたいだ。
セイバーも記憶を消した方がいいって、思っているのか……。
味方はいない。
いや、べつに、敵ってことじゃないんだけど……、なんだか、俺の意を汲んでくれるような存在がいないと思う。三対一の多数決で、俺の記憶を消すってことは決行されてしまう。
「シロウ?」
「わかってるんだ。二人の言っていることは、正しい。びっくりしてさ……、それで、怒鳴ってしまった……」
「そうだったのですね……。貴方が苦しむ姿を見ているのは、私たちも苦しいのです。ですから、アーチャーは解決策を探し、凛もそれに協力すると言ったのです。順番が逆になってしまったのは、おそらく、シロウに余計な気を遣わせまいとして――」
「わかってるよ、セイバー。ありがとな。セイバーの方こそ、気を遣ってくれてるだろ? 落ち着いたら夕飯食べにいくよ。セイバーは、先に戻ってくれ」
「ですが、」
「うん、大丈夫だ。ちょっと、怒鳴ったりして、恥ずかしいからさ、あとで食べるよ」
「わ、わかりました。では、お先に」
おずおずとドアの方へと戻っていくセイバーを、片手を上げて見送る。申し訳ないけど、今は独りになりたい。適当に誤魔化したりするのは、本当は嫌だけど……。
「……あ、そうだ、セイバー」
「なんですか?」
「セイバーは、忘れてほしいか? 俺に」
「いいえ。決してそのようなことはありません。ですが、シロウにとって忘れることが最善であれば、致し方ありません」
セイバーははっきりしているな……。
「そっか……。じゃあ、アーチャーは……」
「はい?」
呟いた声はセイバーには聞き取れなかったみたいだ。
「あ、いや、なんでもない。ありがとな、セイバー」
「では。シロウも早く出てきてください。アーチャーのご飯が冷めてしまいますから!」
穏やかな笑みを残して、セイバーはドアの向こうに消えた。閉まったドアをしばらく見つめていたけれど、そんなことをしていても、望む者が現れるわけもない……。
ベッドに仰向けに転がった。
「はぁ……。忘れてほしいのか……」
そういうことなんだろう。
アーチャーが俺の記憶を消した方がいいと提案したってことは、それしか考えられない。
「迷惑なら迷惑だって、はっきり言えばいいじゃないか……」
好きだと思うことすら許されないなんて、悲しい。受け入れてくれなくていいからって、想うだけだからって……、そういうのも、ダメだったのか。
記憶を消すって、単純に忘れるってことなんだろうか。聖杯戦争の記憶も消すって言っていたから、高校生の時の記憶が途中までになってしまうんだろうな。
まあ、もともと三年生の最後くらいから、俺は人間としての記憶がないんだけど。
「…………っ……」
全部、忘れろって……。
何もかも忘れてくれって……。
そう思ってるんだよな、アーチャーは。
「ひどい奴……」
アーチャーを想って熱くなる胸の内も、その姿を見ているだけでうれしいのに胸を絞られるような苦しさも、全部全部、忘れてしまうのか……。
だけど、アーチャーがそれを望むんなら、受け入れるしかない。
横向きに寝返って身体を丸める。
作品名:サヨナラのウラガワ 9 作家名:さやけ