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サヨナラのウラガワ 10

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 そんなことをつらつら考えている間にアパートが見えてきて、無事に帰宅した途端、ソファに身体を預けた士郎は、五分も経たないうちに寝入っている。
 ずいぶんと我慢をしていたのだろう。昼中から堂々と昼寝など、衛宮士郎ならば絶対にやらないことだからな。
「ずっと言えず、堪えていたのか……?」
 記憶を消してから一週間が過ぎている。あれから毎日、人混みの中で問題がないかを確かめるために私が外に連れ出していたため、士郎は休むこともできず、無理をしていたのかもしれない。
 ブランケットをかけてやるときに気づいたが、うっすらとクマができている。
 こんなことにも気づかなかったとは、余程、私は余裕がなかったのだろう。サーヴァント失格だな……。
「はぁ……」
 ため息のつき通しだ。
 士郎と出かけることに舞い上がっていたのだろうか、私は。
 この世界に戻ってきた士郎とはできなかったことを、今の士郎と満喫しているのだろうか。
 いや、そういうことでは……。
「やはり、違う。私は、うれしいのだ、士郎とともに過ごすことが。たとえ恋人であった記憶がなくとも、ただただ士郎といられるだけで私は……」
 これでは、小中学生と変わらない気がする。仮にも英霊である己が抱いていいような気持ちではないだろう……。
 少し、自分の行動に頭痛がしてしまい、ソファで眠りこける士郎の傍らに座り込んで、その脇腹あたりに頭を預けた。



「なあ、アーチャー」
 夕食の支度をしていると、洗濯物を片づけた士郎が歩み寄ってくる。
「なんだ」
 身構える素振りを見せずに心構えをするというのは、なかなかに難しい。何気ないふうを装うのは、本当に苦労する。
 士郎はもう、私へ向ける特別な感情を失っている。私だけが以前のままで応対するわけにはいかない。そんなことをすれば、不審に思われるだろう。
 わかっているのに……。
 気の緩みなのか、気を張り続け過ぎた反動か、昼下がりに失敗をした。
 ソファで眠る士郎の傍で私も寝入ってしまっていた。英霊にあるまじき失態だ。
 士郎に頭を撫でられて目を開けたときのいたたまれなさといったら……。
 思い出しただけでも顔が熱くなる。
 さいわい、士郎は私が疲れてうたた寝をしてしまったのだと勘違いしてくれたから良かったものの、凛やセイバーがその場にいたら何を言われるか……。
 だが、本当は、望んでいるのだ、……ああいうことを憚ることなくできる関係を。
 しかし、そんなわけにはいかない。心苦しかろうが、遺憾であろうが、士郎に疑問を抱かせてはいけない。
 “疑問を抱く”という思考は、何かを起こすきっかけとなる。すなわち、私の言動を不審に思い、疑問を持ちはじめてしまえば、一気に記憶消去のことに気づきかねない、というリスクがあるのだ。
 そんな事態になってしまえば元も子もない。せっかく凛が骨を折ってくれたのだ、士郎はこのまま聖杯戦争も守護者もきれいさっぱり忘れているに限る。
「あのさ、俺って、どんなマスターだった?」
 私が思案に暮れていることに気づきもせず、士郎はそんな質問を私に投げかける。
 返答に窮した。
 下手をすれば、芋づる式にいろいろなことが明るみになってしまう。答えを間違えてはいけないというプレッシャーが、知らず、喉をカラカラにしてしまう。
「どんな、とは……、曖昧な質問だな」
 まずは厭味で返して様子を窺った。声が掠れたことには気づいていない様子なので、大丈夫そうだ。
「うーん……、そうだなぁ……、えっと、」
 このまま思い当たらず、諦めてくれればいいが……。
「ちゃんと、マスターだったか?」
「…………」
 これもまた曖昧だ。こいつには学習能力がないのか。それとも、語彙力が足りないのか……。
「お前、今、すっごくバカにしてるだろ」
 じとり、と私を睨めつける士郎の言葉に、胸のあたりがざわつく。不覚にも、同じようなことを言って頬を膨らませていた姿を思い出してしまった。
 ああ、もう二度とあんなふうには…………、触れ合うことはないのだ……。
 直接供給など必要のない現状で、どう転んでもセックスをする仲になど、なることはないだろう。
 今さら失ったものの大きさに気づくとは、鈍いにもほどがある。
 なぜ間に合う時期に気づけなかったのだろうか。
 どうしてもっと士郎に己のことを理解してもらおうとしなかったのだろうか。
 手遅れになってから、なぜ私は気づくのだ。もう手遅れなのだから、気づかずにいられなかったのか。どうして今になって……。
「あの、アーチャー? どうした? なんか、えっと、調子が悪いか?」
「……いや」
 額を押さえるふりで、目元を隠した。士郎の顔をまともに見られない。どんな顔をすればいいのかもわからない。さらには、何を言えばいいのかもわからない。
 今さら訴えたところで仕方のないことを、士郎にぶつけることなどできるわけがない。それに、士郎にぶつけたところで、いったいなんの話だと切り返されるだろう。
「アーチャー、ちょっと、」
 ぐい、と腕を引かれ、面食らったまま士郎に引っ張られていく。
「ほら、ちょっと休憩しろ。あとは俺がやるから」
 ソファに座らされ、身体を倒されて横になったところへ、ブランケットを掛けられた。これは……、昼中とは逆の状態だ。
「ちょっと、これじゃ足りないけど、上の方だけでもいいよな」
 そう言いながら、私の首元と肩をメインにブランケットを巻きつけるようにしている。
「マ、マスター? これは、どういう――」
「今日は台所は俺が預かるから、アーチャーは寝てろ。ずっと働きづめだろ? 寝なくても平気なのはわかってるけど、サーヴァントでも、やっぱり休息が必要だと思うからさ。今日は甘えておけよ。昼間も限界だったみたいじゃないか」
 唖然としたまま、反論が浮かばない。
 いったい、何を言っているのか、士郎は……。
 サーヴァントに休息など必要ない。働きづめだとしても、なんら問題はないのだ。だというのに、こいつは……。
 私の言い分も聞かず、士郎はさっさと台所へ行ってしまう。
「は……」
 ため息だか、笑いだかが、口からこぼれた。すでに台所で夕食を作っている士郎は気づいてもいない。
「なんだというんだ……」
 この不平はきっと、士郎の変わらない態度に対してだと思われる。五年前の士郎も、セイバーだけでなく、私に対しても一定の気遣いを見せていた。
 サーヴァントを人と同じように扱い、その私と恋人などという関係に陥り、結局、心に傷を負い……。
 馬鹿だな、士郎は……。
 だが、その馬鹿さ加減が愛おしい。
 この想いは、どこへも向かうことができず、どん詰まりで腐っていくものだ。
 だというのに、どんどん湧いてきてしまう。
 この先、滔々と湧き上がるこの想いは、いずれ溢れて、それから、どうなるのだろう……?
 両手で目元を覆う。
 この苦しさは、私が踏み出さなかった代償なのだろうか。
 士郎の想いに胡座をかいて放置したツケなのだろうか。
「しろう……」
 口内で呟く。士郎には聞こえない声で。