サヨナラのウラガワ 10
「まあ、なんというか、……膝枕だ」
「っぶ! な、なに、言って、っ」
吹き出した士郎の頭を軽くぽんぽんと叩き、アーチャーは本当に眠らせようとしているのか、そっと撫でてくる。
「う、うー……、えっと……、かたい枕だなぁ……」
起き上がることを諦めて、士郎は何か話をしなければ、と焦る。が、たいした話も思い浮かばない。
「文句を言うな」
静かな声が心地好い。
眠気が全くささなかったというのに、瞼が重くなる。うとうととしはじめた士郎は、何か暖かいものに包まれたのを感じたが、それが何かはわからなかった。
◇◇◇ ◇◇◇ ◇◇◇
「ん……」
明るい気配に目を擦った。
ぐっすり眠れたと思っていたけど、寝起きはいつも通りで、身体を起こすのが億劫だ。
時計を見ると十時を過ぎていて、ずいぶんと寝坊してるなぁ、って考えながら、ごろり、と寝返る。
「あれ?」
掛け布団の下に一枚布地があることに気づいて、重い身体に鞭を打って起きてみた。
「これって……」
昨夜のことを思い出す。確か、アーチャーに膝枕してもらって……。
そのまま眠ったからだろう、赤い布が掛け布団と俺の間に挟まっている。縁側から部屋の布団にまで運んでもらったのだと思い至り、申し訳なさでいっぱいになる。
「アーチャーの、だよな?」
その見覚えのない布を布団の中から引き出して、きちんとたたんだ。のそのそと布団から出て、赤い布を片手に、重い頭をもう一方の手で支えるようにして歩き出す。頭痛まではいかないが、頭が重くて何かを考えることがとても億劫だ。
ずっとこんな感じだから、こういうものだと慣れはしたけど、すっきりしないのはちょっと堪える。それが毎日だと、余計に疲れみたいなものが蓄積されていく気がする。
「えっと……、アーチャーは……」
たぶん、台所だろう。俺が休みの日でも、アーチャーは毎日家事を率先してやってくれている。なんだか英霊の無駄遣いのような気がするから、俺がやるって言ってるのに……。
アーチャーは、俺には寝ていろって言うばっかりだ。心配してくれているのはわかるし、俺がこんな状態だからダメなんだとはわかっているんだけど……。
ちょっと、過保護なんじゃないかと思うんだ。俺だって、ずっと家のことをやっていたんだ。今さらできないなんてことはない。ここ最近の記憶はなくても、高校生までの記憶はあるんだ。だから、家事だってこなせる。
今日こそ言わなければ。もっと俺にも家事をやらせろって。
とりとめもなくいろいろと考えているうちに、結局、頭痛がしてきてしまって、だんだん剣呑な気分になってくる。それでも、洗面を済ませ、居間に入ってアーチャーを探せば、案の定、台所に立つ後ろ姿があった。
「起きたか」
振り向きもせずに俺が入ってきたことを察知されてしまう。まあ、俺が部屋を出てきたのもわかっているんだろうな、英霊だし……。
なんだか、思うことが卑屈っぽいな、俺。
「マスター?」
俺が何も言わないからか、アーチャーは振り返って呼びかけてきた。
「あ、う、うん。ありがとな、これ」
赤い布を持ち上げて見せれば、アーチャーは頷く。
「いつになく、ひどい顔色だな……」
呆れた口調で言いながら、アーチャーはカウンターを回って俺の目の前に来た。
何してるんだ、俺……。
ぼーっとアーチャーを見上げて……。
早くこの布を返して、ここを離れないといけないのに。
って、あれ?
なんだって、ここを離れないと、なんて考えてるんだ?
いや、それにしても……、ち、近いな……。
目の前にアーチャーがいる。
手を伸ばせば触れられる、というか、伸ばさなくても、肘を曲げればアーチャーに当たる。
「あ……、の……」
なんで、うまく声が出ないんだ?
喉が詰まったみたいで、発声が難しい。
と、とにかく、赤い布、返さなきゃ!
「これ、あり、あ、ありがとっ!」
「ああ」
持ち上げた赤い布をアーチャーに突き出して、後退ろうと思ったのに、アーチャーは布ごと俺の腕を掴んだ。
ひゃっ!
声こそ出さなかったけど、確実に身体が跳ねてしまった。
両腕を掴まれてしまって逃げられない。
い、いや、逃げることなんて考えなくっていいはずなのに、なんで俺、逃げようとしているんだ?
こわいわけじゃない。
嫌なわけじゃない。
なのに、なんで、心臓がめちゃくちゃに鼓動を打ち鳴らしているんだ?
顔は赤くないだろうか?
生唾を飲み込んだのを見られただろうか?
吐息が震えるのはどうしてだろう?
少し見上げたところに鈍色の瞳があって、目を逸らすことができなくて、瞬きするのももったいないなんて思ってしまって……。
なんで、胸が苦しいんだろう。
どうして、鼓動が速いんだろう。
「ぁー……ちゃ……」
声が掠れてしまって、うまく呼べない。手を離してほしいって言わないとダメだ。でなきゃ、どうにかなってしまいそうなのに。
頭痛がするからとか、適当なことを言ってでもここから出なければ。アーチャーの射程距離から逃れなければ……。
でも、頭痛がするなんて言えば、またアーチャーは気を遣うんだろう。
その気遣いは、俺と契約をしているから、なのか……?
一気に気持ちが沈んでしまう。
なんだって、俺はそんなことが気になるんだ?
わからないことばっかりだ。
どうして? なんで? ってずっと考えている。
記憶がないからなのか?
記憶のない間、俺はアーチャーとどんなふうに接していたんだ?
アーチャーに訊けば、教えてくれるんだろうか?
遠坂からは事情を説明してもらった。だけど、俺たちのことは、何も言わなかった。
記憶を失くした人に、その周りの人は思い出してほしくて、これまでのことをいろいろ話すんじゃないんだろうか。
だけど、アーチャーは何も言わない。
もしかすると、思い出してほしくない、のか?
セイバーはたくさん話してくれたけど、アーチャーは全然だった。
それって……?
なんだろう……、急に悲しくなってきた。ドキドキとうるさい鼓動は今も続いているけれど……。
「マスター? どうし――」
「なんでだろう、アーチャー。俺、あんたが近くにいると、心臓が誤作動……起こしてる、みたいだ……」
「誤作動?」
「運動したあとみたいに、すごく激しく動いて、なんていうか、このへんが、苦しいみたいで……」
だから、あんまり近くに来ないでくれって言った。アーチャーが悪いんじゃなくて俺が悪いんだけど、今はどうにも自分で身体がコントロールできないから、アーチャーに離れてくれるように頼んだ方が早い。
胸元を押さえたまま視線を落とす。アーチャーは気分を害しただろう。心配してやっているのに、なんだその言い草はって怒るかもしれない。
「ごめん、なんでだか、身体がおかしくなるんだ。だから、近いのは、――――っ」
声が喉に詰まった。
何が起きているのか、すぐに理解できなかった。
ぎゅう、と主に上半身が締めつけられて、ばさり、と音がした。
温もりに包まれている――――。
そんなことが起こっている、と次第に頭が判断していって、今までで一番速い鼓動を感じている。
「士郎」
作品名:サヨナラのウラガワ 10 作家名:さやけ