20xx
1歩後ろに下がって朱里は打ち返す。
(やっぱり、打ち下ろすような返し方はできないのね)
それを見た久石は、先程のラリーのときにもった疑問を確信に変えた。打ち下ろしができないのであれば自分が返し損ねることはない。であれば、負ける要素が一つもない。
(すぐに終わらせても良いのだけど、あれでもマハの奥さんだし。マハの印象が少しでも悪くならないようにもう少しつづけましょうか。なんなら、一点あげて…)
カーン。カーン…。
「久石クン、頑張れ〜。婦人部代表として負けるな〜」
そんなことを考えながらラリーを続けている久石に、桜井を始めとした婦人部が声援を送った。それは、元日という雰囲気の中で少し浮かれた、軽い気持ちからでたものであったが、それが後の惨劇につながるとは誰も予想だにしていなかった。
「っああ!!」
ドン!!
ガンッ!!
「えっ?!」
朱里は叫ぶとともに、頭上に来た羽に対して大きく踏み込んで打ち下ろした。踏み込んだときの大きな音と、頭上の羽を『上から』打ち下ろすように返した朱里の、今までとは違うスピードで足元へと落ちてきた羽を久石は態勢を崩しながらもなんとか返した。
「な、なんだ今の速さは。朱里クン、あんなに強く打ち返せたのか」
「いや、それよりもあの音はなんだ」
いままで、下から掬い上げることしかしておらず、その返し方もおっかなびっくりな感じで返していただけに、人が変わったような、朱里のなめらかな動きと速さ、そして踏み込んだときの大きな音にギャラリーがざわつき始めていた。
「な、何よ今の?」
「くたばれーっ!婦人部ー!!」
ドン!!
ガン!!
再び、地響きをさせながら踏み込み、今度はフォアハンドのように横から振り抜ぬいた羽子板で羽を打ち返す。その羽根は、目にも留まらぬ速さで、体勢を立て直したばかりの久石へと向かい、その腹部に突き刺るようにぶつかった。
「うぐぉえ」
変なうめき声を出して久石は蹲った。痛みもあったが、それよりも朝食に出た餅が喉へとせり上がってくるような感覚に、衆人環視の前に醜態を晒すわけには行かないと、涙目になりながら必死で堪え、なんとかソレを飲み込んだ。
「うぉっしゃー!」
羽を打ち返せずに蹲る久石を見て朱里は叫ぶ。その目からは先程まで見えていた自信の無さが消え、今では獲物を狙う猛禽類のようは鋭い光を放っていた。
「な、なんだ。朱里クンに何が起こったんだ?」
突然の朱里の変わりように、ギャラリーがどよめく。普段の彼女とは異なった、どこか攻撃的な雰囲気を放つ朱里の姿に誰もが言葉を失っていた。そして、誰よりも朱里を知っているであろう鉄男の方に自然と目を向けると、彼は顔を少しあげ、青空のその先を見るかのように、少し虚ろな目をしていた。
「さぁ、決着をつけようじゃないか。立て、『婦人部』代表」
「なっ…」
まだ、右手の羽子板を肩に載せ左手を腰にあてて、蹲ったままの久石を睨みながら朱里が再開を促す。その変わり様に怯えながらも、いつもは見下している相手に見下されていることへの怒りで久石は立ち上がった。
「こんなので私に勝ったと思わないでよね」
カン!
久石は今度は下から打ち上げずに、羽を自分の頭より高い位置に放り上げると、朱里の顔面を狙って叩きつけるように羽を打った。その羽根は、今までに見せたことのないスピードで朱里へと向かっていく。
「くっ」
その羽根を避けるような動きをしながら、なんとか打ち返す。地鳴りがするような強烈な踏み込みができないためか、先程のような威力はなく、ただ打ち返しただけの「普通の」放物線を描いて久石の方へと飛んでいく。
「貰った」
カン!
自分の頭よりも高いところにあるその羽根を、久石はジャンピングスマッシュのように打ち下ろす。今度は、朱里の手前、頑張れば手が届く場所、そこから返せたとしても、羽根を上に上げることしかできないそんな場所だった。
「まだ!」
狙い通り、朱里は地面につくすれすれで羽根を打ち上げた。これもやはり「普通の」放物線となる。
(やっぱり、そうだ。あの踏み込みができなければ、あの破壊力のある返し方ができないのね)
久石は、朱里の秘密に少しだけ気づいた。先程の、あの威力のある羽根は2回とも地鳴りのような踏み込みがあった。理由や原理は知らないが、あの足が壊れそうな音のする踏み込みをすると、思ってもいない威力のある打ち込みができるらしい。だったら、踏み込めないように前の方や、それができなければ後ろに下がらせたりすればよい。顔を狙って打つのが一番良いのだろうけど、対外的にはマハの伴侶だ。間違って顔を傷つけるようなことは避けたほうが良い。特に、自分のような立場であれば他の会員に誤解を生むようなことになりかねない。
そんなことを考えながら、今度は朱里の後ろを狙って思い切り羽子板を振り抜く。
「あー、やはり久石クンが勝ちそうですね。あれだけ、動かされたら朱里クンの体力がなくなりそうです」
「さぁ、それはどうかな?」
「おや、土山クンはそう思わない」
「いや、たしかに上田の言う通り、あのままなら朱里クンは負けるだろうな」
「それじゃあ、このままでは行かないと」
「土山はそう思うぞ」
朱里の前後へと羽根を打ち続けていた久石だったが、自分の思い通りに行かず、なお粘って羽根を打ち返してくる朱里に焦りと苛立ちを感じていた。それが、久石の手元を狂わせたのか、後ろに上げるつもりで打ち返した羽根に力が乗らず、朱里の前に落とすような形になった。
(拙い。アレが来る)
久石の打ちそこねた羽根を見逃さず、朱里は三度地響きのなる力強い踏み込みで羽根を打ち返す。
「ガッ」
その羽根は、久石の予想を超えるスピードで持って迫り、久石の眉間へと吸い込まれるようにぶつかった。
「ふしゅるるるる〜」
久石が立ち上がって来ないのを確認すると、朱里は久石のそばへと歩み寄り、しばらく見下ろしているとそばに落ちていた羽根を拾い上げた。その暴力的な決着の付き方にギャラリーたちは息を飲み、恐ろしいものを見るような目で朱里を見つめていた。
「よし!」
そんなギャラリーたちの中にあって、土山だけが驚きを見せず、どちらかといえば理論通りの実験結果を確認できときのような表情で右拳を握っていた。
「つ、土山クンはなにか知っているのか?」
そんな、土山の姿を見た上田が尋ねる。
「ん?何か、とは何だ。その質問では曖昧すぎて答えられないぞ」
「あー、土山クンは朱里クンあの変わり方について原因を知っているのですか?」
「『震脚』だよ」
「なんですか、その『震脚』とは」
「足を強く踏み込むことによって得た地面からの反動を力に変えることらしいぞ。多分」
「多分って…」
「実際に朱里クンが見せてくれたのだからそういう理解をするしかないだろう」
「それは、まぁ、そうなるのかな?」