サヨナラのウラガワ 11
ひゅ、と息を飲み、アーチャーを直視できずに頷きながら俯く。今朝、セイバーに止められたあの状態のあと、初めてアーチャーと顔を合わせているのことを思い出し、恥ずかしさから項垂れて、士郎はぎゅっと瞼を瞑る。目を閉じたからといって何が変わるわけでもないが、ただ目の前にアーチャーがいるという事実からは逃れられる気がした。
「問題は、ないのか?」
アーチャーの言う問題とは、おそらく他人に対しての反応だろう。
――――どうして……?
己を心配しているような口ぶりなのかと、アーチャーの真意を量りかねる。
「だ、ダメだとは、思う。でも、アンタには関係がないことだし、どうにかするから。それよりも、アーチャーは、」
「どうにかする、とは? 具体的な策があるのか?」
策などない。出任せになるような案もない。だが、これ以上アーチャーとの契約を続ける資格は己にないとわかっている。
「明日はバイトだろう? どうするつもりだ。ホームセンターなど嫌でも他人に会う。動けない店員など邪魔なだけだろう」
反論する余地もなく、士郎は頷くだけだ。
「辞めるのか?」
「たぶん」
「ずいぶんと曖昧だな」
「だって、急に辞めたりしたら、」
「他人の心配をしている場合か?」
確かに他人のことを気にかけている場合ではない。だが、いくらアルバイトとはいえ、いきなり辞めるなどという勝手はしたくないと思ってしまう。
いや、そもそもアルバイトの話など、今はどうだっていいことだ。士郎は、なぜアーチャーとアルバイトのシフトについて云々しなければならないのか、という疑問で頭がいっぱいになってしまう。
「はぁ……。では、私が出向こう」
「……え?」
思わず顔を上げてアーチャーを見る。鈍色の瞳と目が合って、心臓が跳ねた。
「お前の代理ということで私が店に話す。お前はしばらく家から出るな」
――――何を言っているんだろうか、アーチャーは……?
疑問ばかりで、呆けてしまう。
「……そ、そんなこと、できるわけない! 仕事の内容だって、アンタにはわからないだろ!」
やっとのことで声を発したが、アーチャーは片眉を上げただけだ。
「わからなければ思念を飛ばす。お前はそれに答えればいい」
「し、思念、って……」
「わからないことは、念話でお前に訊く」
「だけど、アンタは、英霊で、」
「この五年。お前の身体でバイトをしていた。サービス業も経験済みだ」
「でも、」
「つべこべ言うな。とにかく、今のお前には無理だ。したがって、私が代わりを務める。五年前、お前がやったように」
まるで、責められているようだと士郎は感じた。守護者が未熟者に務まるものではないと、言外に言われているような気がする。
確かに、守護者として士郎はロクに働けていないために、アーチャーに責められても仕方がないとは思う。だが、士郎とて慣れない務めを果たそうと必死に頑張った。だから、責められるのは、やはり辛い。
「お、俺だって、どうにかしようって、……い、いや、違う、違うって! バイトのことなんて、どうでもいい! アーチャー、契約を――」
「明日のバイトはどうするんだ」
「だ、だから、」
「次のバイトが見つかるまでのことだ」
ぴしゃりと言われて、士郎は、ああ、そうか、と納得した。アーチャーとて単純な善意でアルバイトに行くのではないということがわかった。シフトに穴を開ける心苦しさをアーチャーも知っているので、店に迷惑をかけないよう士郎の後任が決まるまでの期間限定で代わってやろうとアーチャーは言っているのだと気づく。
「……ごめん」
「何を謝る?」
「何っていうか……、何か一つや二つじゃなくて、全部だと思う。アンタの代わりなんて、できっこないのに、俺、」
「そうだな。お前には無理だ」
ぐ、と詰まった士郎は、項垂れてしまう。アーチャーには認められない守護者であったことは間違いないのだ、落ち込んだところで仕方がない話だが、士郎の気持ちはますます沈む。
「無理をして、無茶をして……」
ため息をつきながら、アーチャーは士郎の手を掴み、両手で包み込んでくる。反射的に士郎は顔を上げた。
「ちょ……と、なに、す、」
「こんな傷まで作って……」
「え? 傷?」
まるで労わるように士郎の手を撫でさするアーチャーに、士郎は困惑気味に訊く。
アーチャーは何も言わず、士郎の手を自身の口元へと持っていった。
「あの、アーチャー?」
されるがままにアーチャーに口づけられた手を引くこともなく、呆然とその様を見ていた。
――――なんで……?
ずっとそんな疑問だけが頭の中にある。
「こんな傷を残したのは、お前自身だ。が、半分は私の責任だと思っている。私が守護者であることをお前がどれほど気にかけていたかということを、身を以て知る羽目になった」
「な、え? アーチャー?」
「私の歩んだ道程を見てしまったために、お前はそこから私を掬い出そうとしたのだろう。お前の想いは、私が想像だにしないほど大きなものだった。だからあのとき、代わってやる、などという言葉が出たのだろう? 私は何も気づけなかった。こんな傷を作らせてしまうことになるとは、思ってもいなかった。……悔やんでも悔みきれない」
「な、に? 傷って、なんの――」
「お前を毎夜苛む、悪夢の元凶だ」
「な、なに言ってるんだ、傷なんて、どこにもな……」
アーチャーが掴んでいる自身の手に目を剥く。
「ぁ……」
手の甲に菱形のような赤い痕がある。
――――これ、は……?
貫かれた痛みが急激に思い出され、身体が跳ねた。
「ぅ、ぁ、あ――――、っ」
「士郎?」
槍の穂先が掌を突き抜けた光景が脳裡を駆ける。
「っ、う、痛……っ」
実際に痛みが走ったわけではない。が、痛みから目を逸らすように空いた手を見れば、その指先は赤い。これは潰されたからだ。
拷問なんてものを受けたときに、爪を剥がされ、終いには潰され、一本一本切り落とされていった指。
急速に脳裡に蘇っていく傷つけられたときの記憶が士郎を蝕んでいった。
「ッヒ! い、嫌だ! 死にたい! もう、死にたい!」
片腕で頭を抱え、わけのわからない悲鳴を上げ、涙があふれ、浅い呼吸で喘鳴し、身を固くしてうずくまる。
「士郎! 落ち着け! お前は守護者ではない!」
アーチャーの声は聞こえていても理解できず、士郎を宥めようとするその声にすら耳を塞いでしまいたかった。
誰にも何にも救われることのない守護者という存在に、絶望しか見出せなかった。それを続けてきたアーチャーの運命が何にもまして不憫でならなかった。自身がその道を歩むとわかって歯の根が震えたのも事実。これから座に還ったアーチャーが、また、あの歯車にすり潰されていくのだと思うと、この身を切られるよりも痛い。
「いや……だっ、…………アーチャーが……しゅご、しゃに……」
少しの間でいいから休息をと思った。膨大な記録の中の、ほんの一瞬のような時間であっても、好きに生きてほしいと思った。
誰かを好きになって、幸せだと感じてくれればと、浅はかな考えだと嗤われても、士郎はそうしてほしいと思ったから……。
――――なのに、アーチャーを侮辱していた……!
作品名:サヨナラのウラガワ 11 作家名:さやけ