サヨナラのウラガワ 11
そう答えることしかできなかった。
言葉を濁してうやむやにするしかない。
こんなふうに“はい”とも“いいえ”とも言えないときは、なんて言えばいいんだろう。
「シロウ」
申し訳ない気分で何も言えなくなっている俺をセイバーの声が呼ぶ。
「そろそろ夕食の準備をしなければならないのではないですか?」
振り返れば、藤村のじいさんと話し込んでいたはずのセイバーが、ひょっこりと顔を出している。
「あ、ああ、そうだな。藤ねえ、そろそろ帰るよ。えっと、今日は晩飯食べに来るのか? だったら多めに作るけど?」
「うーん、行きたいところなんだけどねー、今夜は予定があって、無理なんだー」
「そっか。じゃあ、また、今度」
玄関まで見送ってくれた藤ねえに、なんだか後ろ髪を引かれる気がした。
藤ねえにちゃんと答えられなかったことが、すごく心残りだった。
Back Side 30
士郎が藤村邸からセイバーとともに帰宅すれば、すでにアーチャーが台所に陣取っていた。
「夕食はアーチャーが担当してくださるようですね」
心なしかワクワクしているセイバーを、士郎は少しむっとして振り向く。
「アーチャーのごはんはおいしいですからね!」
邪気もなくそう言われてしまうと、士郎は文句を言う気も失せてしまった。
「そうだな……、うん、アーチャーのご飯、おいしいもんな」
「あら、衛宮くん、今日は素直なのね」
「む。いつもは素直じゃないみたいな言い方しないでくれ」
「ふーん……」
「な、なんだよ? 俺はひねくれてないだろ?」
誰を目安にしているのか丸わかりの言葉に、
「そうかしらねー?」
ちらり、と凛が台所に目を向けた。
士郎は少しバツが悪い思いをしながら座卓につく。
アーチャーが台所にいるので、士郎は台所に入れない。記憶が消えていたときは、手伝うためと主導権を得るために、ためらいなく台所に入っていたのだが、記憶を取り戻してしまった士郎には、そんなことはできない。記憶が戻った事態はどうしようもないことなのだが、戻ってしまったものは仕方がない、と、すぐに割り切れるものではなかった。
「それじゃあ、素直な衛宮くんに私から質問。これから、どうするの?」
「へ?」
「記憶が戻ってしまったでしょ? このままじゃ、日常生活に支障が出るんじゃないかしら?」
「ちょ、遠坂! アーチャーは、何も――」
「知っているわよ」
「え……」
「てっきりそういう話し合いの途中だと思っていたから、ぽろっと、ね」
「ぽろっと……、って、えっ?」
士郎は、記憶が戻ったことをアーチャーに言わず、このままアーチャーに気づかれないように過ごそうと思っていたのだ。
記憶の消えたフリでどうにか誤魔化して、アーチャーのためにまたマンションでも借りて、と考えいた。だが、アーチャーは士郎が記憶を取り戻したことを知っているという。
「……なん、で…………、言うんだよ……」
「いけなかった? どのみちアーチャーにはバレるでしょ。時間の問題よ。それよりも、これからどうするのかってことの方が大事じゃない」
凛の言うことはいちいちもっともだ。だが、士郎は少し時間が欲しかった。いずれわかることだとしても、覚悟を決めて、自分の意思を自分の口で伝えたかったと思ってしまう。
「な……なんでも、かんでも、勝手に決めてしまわないでくれ! 俺にだって、いろいろ――」
「いろいろ、なあに?」
鋭い視線を向けてきた凛に、はっとして士郎は勢いを失くす。
「い……、いろいろ、その……」
「この際だから、はっきり言ってほしいわ。あんたはどうしたいのよ!」
凛の平手が座卓を打つ音に、士郎は僅かに肩を揺らす。
「どう……って……」
「いつまでウジウジしているつもりよ! 私たちも暇じゃないの! もうアーチャーと契約を続けられないっていうのなら、さっさと解約してしまいなさい!」
「な! か、解約って! そんな、なんでアーチャーとの契約を解消する話になるんだよ!」
「必要ないんでしょ?」
「え……」
「聖杯戦争でもないんだし、アーチャーと契約している意味なんてない。そもそも、士郎がアーチャーと契約した理由は何よ? 消えそうだったから手を伸ばした? アーチャーにしてみれば、確たる理由もないままあんたに引き留められて、いい迷惑なんじゃないの?」
「そ、それ、は……」
「アーチャーだって暇じゃない。ここにいる以上、守護者っていう契約が頓挫したままなのよ。それはアーチャーを、一人の英霊を、侮辱しているのと変わらないんじゃないの?」
「侮辱……」
その言葉が持つ威力に士郎は衝撃を受け、二の句が継げない。
確かに士郎は、アーチャーに契約を続ける理由を話したことはない。記憶が消えていたときは仕方がないにしても、五年前には話す時間は山ほどあったはずだ。しかし、士郎はそれを曖昧にして、代わってやる、などという浅はかな言葉を吐き、守護者という任を背負った。
アーチャーのおかげか偶然かはわからないが、再びこの世界に戻ってきた士郎は、自身の肉体に戻り、アーチャーとも契約が続いている。
記憶が戻っているのならば、この先、この契約を続けるのかどうかを含め、アーチャーと話し合わなければならないはずだ。
それを士郎はすっ飛ばし、再びアーチャーが住めるようなマンションを探そう、などと考えはじめていた。
またしても、アーチャーの都合や言い分も聞かず、同じ轍を踏もうとしていたのだ。
「凛、そのくらいにしてやってくれ」
静かな声が頭上から降ってくる。
「話し合おうと私も考えている。もう少し、士郎が落ち着いてからでいいだろう?」
「そうやって、アーチャーが甘やかすから、衛宮くんは逃げることばっかり考えるのよ」
凛の苦言に、苦笑いをこぼしたような気配を感じ、士郎はいたたまれなくなって立ち上がる。
「士郎?」
アーチャーに答えることなく、士郎は居間を出た。足早に自室に向かい、部屋に着くと、障子を閉めきって机の前に座り込む。
「アーチャーとの……契約を…………」
解消する、など考えてもいなかった。
アーチャーがこの家に居づらいと言うのならば、アーチャーには、またマンションに移ってもらえばそれでいいと、甘いことを考えていた。
「俺は……侮辱していた……のか?」
自問してみる。
――――そうなのかもしれない。
アーチャーを引き留め、無駄に契約を続けていることに今さら気づく。それどころか、アーチャーを縛り付けていたことさえ失念していたと気づいた。
確かに、アーチャーが誰とどんなふうに過ごそうとも、契約さえしていれば、己との繋がりは切れることはない。
誰のところに行ったとしても、時が経てば士郎の許に戻ってくるだろう、という期待と打算の上で己はアーチャーとの関わりを続けるつもりでいたのだと、ようやく士郎は自身の身勝手を認めた。
「ずるい、よな……俺……」
アーチャーには己に縛られることなく過ごしてほしいと思いながら、完全に誰かのものになってほしくはない。かといって、己の想いに応える気がないのなら契約を解消してやる、とも強気に出られない。
作品名:サヨナラのウラガワ 11 作家名:さやけ