サヨナラのウラガワ 11
アーチャーのことを考えているふうを装って、実のところ自分のことしか士郎は考えていなかった。アーチャーにはいい子に見られていたいという己の小賢しさに士郎は愕然とする。
「こんなの、最低だ……」
アーチャーの存在自体を踏みにじっているような状況で、好きだのなんだのと、そんなことが言えるわけがない。
「藤ねえ、やっぱり、無理なんだよ……」
幸せを感じてほしいと言った姉代わりの言葉には、やはり応えられそうにない。
「もう、アーチャーを解放しないと……」
いつまでも縛りつけてはいけない。アーチャーとの契約を解消しなければならない。
「もう少し、一緒に、いたかったなぁ……」
思わずこぼれた本音は、雫とともに机に落ちていった。
◆◆◆ ◆◆◆ ◆◆◆
士郎が部屋に閉じこもり、結局、凛とセイバーと三人だけでの夕食となった。誰も声を発しない、テレビの音だけが垂れ流されているこの空気は、士郎が私の代わりに消えてしまった直後に似ている。
「アーチャー、頼むわよ」
静まりかえった居間で、口火を切ったのは凛だった。
「当然だ」
何を、という言葉がなくてもわかる。士郎のことを頼むという凛に否やはない。士郎のことは、凛に頼まれなくとも、私が一手に引き受ける心づもりだ。
「憎まれ役をかって出たのですね、凛」
次いでセイバーが微笑を浮かべながら凛に話しかけた。
「うーん、まあ、成り行きでね」
「大河との話、聞こえていましたか?」
「セイバーを通して、ある程度はね……」
「おい、なんの話だ」
「こっちのことよ。アーチャーは衛宮くんをどうにかすることだけ考えていて」
「む……」
何やら蚊帳の外だ。
虎と何を話していたのだ、士郎は。
凛とセイバーはいったい、何の話を……?
凛と二、三、言葉を交わしたあと、黙々と夕食を食べるセイバーに目を向けると、す、と茶碗を差し出される。
「アーチャー、おかわりをお願いします」
通常運転のセイバーに、少々脱力しそうになりながら、茶碗を受け取った。
夕食の片づけを終え、士郎の分のおかずが残っていないことに気づいた。士郎の分を取り分けておくのを忘れていたことに今さら気づいても遅い。
「まったく……」
セイバーの食欲は相変わらずだ。魔力は足りているはずだというのに、なぜああも、燃費が悪いのか……。
そんなことをつらつら考えながら、残ったご飯でおにぎりを作る。
「アーチャー、手が空いたら、ちょっといい?」
ちょうどおにぎりを作り終えたところで凛から声がかかり、台所から居間に戻った。
「何か用でも――」
「あの赤い痕が傷痕だっていうのなら、傷痕を消すっていう魔術を使えばいいと思うわ」
「は? 傷痕を、消す?」
「そうよ」
いきなりの話で、つい、なんのことかと訊きそうになったが、士郎のあの傷痕のことだ。そういえば、夕食後には凛からやり方を指南してもらうという話になっていたのだった。士郎のことですっかり頭の中から消えてしまっていた。
「傷を癒す、ではなく、消す、のか」
忘れていたことなどおくびにも出さず、座卓につきながら訊けば、こくり、と凛は頷く。
「まあ、同じようなものだけど、少し違うの。傷を塞いだりすることは、あなたにもできるわよね? あれは表面を魔力で覆って傷口を貼り合わせていくような感じだと思うのだけど……」
「ああ、そういう感覚だな」
「やり方は変わらないんだけど、もっと深く魔力を送るのよ」
「深く……?」
「そ。手を貸して」
凛は差し出した私の掌に自らの手をかざし、魔力を送ってくる。
「こういう感じよ」
何かが入り込んでくる感じがするが、質量を持つものではなく、それはどこか……、熱、いや、温もりのようなものだ。
「今夜にでも試してみて」
「今夜?」
「悠長なことは言っていられないでしょ? できるかどうか試してみて。アーチャーにできないようなら、私が時間を作ってこっちに来るけれど……」
仕事があるから、それほど頻繁には難しい、と凛は言う。
「では、私がやるより他ないな。だが、私にそんな器用な真似は……、いや、それよりも、魔力量に余裕があるかどうか……」
「そうだったわねー。アーチャーの魔力量には限りがあるものねぇ……。まあ、一気には無理だろうから、少しずつ消していくしかないわよね。ところで、アーチャーの魔力って、今、何割くらいなの?」
「君のサーヴァントでいたときを百にするならば、」
「ちょっ、ちょっと! 私との契約を秤に使わないでよー。今、あなたがどの程度の満腹状態かで言わないと、士郎が可哀想よ」
「あ、ああ、そうか。……わかりやすいかと思ったのだが」
「逆にわかりにくいわよ。私を基準にして比べてどうするのよ。アーチャーのマスターは衛宮くんでしょ?」
「そうだな」
凛の指摘に素直に頷き、自身の魔力量を考えてみる。
「七割強、といったところか」
「ふーん。腹八分なのね。案外、そのくらいの方が調子がいいんじゃない?」
「何を言うか、満腹の方がいいに決まっているだろう」
少し呆れながら答えれば、そうね、と凛は笑う。
「じゃあ、アーチャーは、常に小腹が空いている状態なのね」
「まあな」
「それを、食事とかで賄う感じ?」
「そうだな」
「あわよくば、衛宮くんからもらえたら、って思っていたり?」
「ああ、そ――――、いや、それは、」
「チッ」
「……おい。今、舌打ちをしたか?」
「あらぁ、なんのことー?」
おほほほ、とわざとらしく笑う凛は、目を据わらせる私など気にする様子もなく、そろそろ家に帰ると言う。
「泊まらないのか?」
「ええ。明日の夜から仕事なの。準備しないとね。しばらく日本にはいるけれど、……冬木に戻るのは少し先になりそう。だから、今夜試してみて、無理だったら午前中に連絡してよね」
そう言って、セイバーとともに玄関に向かった凛は、不意に生真面目な顔で振り返った。
「アーチャー」
「な、なんだ」
思わずたじろげば、
「素直に、ね!」
念を押され、反射的に頷く。
「衛宮くんはなんだか思い込んでいるっていうか、どこか、変なのよね」
「変、とは……?」
「違和感があるの」
「違和感?」
「だって、アーチャーと一緒にいると喜ぶはずじゃない。なのに、衛宮くんは離れたそうにしている気がするのよね」
「離れたい……」
「あーっと、本心からじゃなくって、だけどね」
「は?」
凛の言っていることがいまいち理解できない。
士郎は離れたいと思っている。だがそれは、本心からではない。
ということは、離れたくないと思っているということなのか?
単純にそう考えてもいいのだろうか?
「衛宮くんが素直に胸襟を開かないなら、アーチャーが開くしかないでしょ? 二人して頑なになっていたら、話し合うこともできない。それはもう、大丈夫よね? アーチャーは二度と衛宮くんを手離さない。そうよね?」
何度も念を押して確認を取る凛に、苦笑いしか浮かばない。
私は、いや、我々は、相当、凛に心配をかけているようだ。
「恥も外聞もなく、士郎に相対すると誓う」
そう、二度と手離さないために。
私は踏み出さなければならないのだ、何もかもかなぐり捨ててでも。
作品名:サヨナラのウラガワ 11 作家名:さやけ