長き戦いの果てに…(改訂版)【3】
たまたま席を外していたルートヴィッヒが部屋に戻って慌てて止めた時にはすでに遅く、部屋の扉を開けたマテウスが端然と立ったまま、黙ってルートヴィッヒを睨んでいた。3人にはまだ記憶に新しい話だ。
「お屋敷の中にこんな部屋があったんですね」
「ああ、本来ここは来客を入れるような部屋じゃないんだが……」
ルートヴィッヒが言い淀むと、ハンスがまたすかさず突っ込んだ。
「要は使用人が飯を食う部屋っすね、隊長」
「んー……まあ簡単に言ってしまえば、そうだ」
今までよっぽど気にしていたのか、ルートヴィッヒは急に吹っ切れたような表情になった。
「そのかわり今日は、何も気兼ねせずに騒いで大丈夫だ!ただし料理はほとんど俺が作ったもんだから文句を言うんじゃないぞ」
「イエッサー!」
呆然とするヨハンを前に、ハンスとテオドルの嬉しそうな合唱が響き渡った。
「ご自身で料理をされるんですか?」
アルノーが遠慮がちに聞くと、ルートヴィッヒはやや照れたように答えた。
「ん~……まあそのだ、多少はな」
「隊長は何でもできるんですね、すごいや!」
ヨハンが素直に驚いたのを見ると、ルートヴィッヒはまんざらでもなさそうな顔になった。
「今日は誰もいないからな、お前たちも手伝え」
ルートヴィッヒは4人に手伝わせて、すぐ隣にある厨房から用意しておいた料理を運ばせた。
ブルストにローストビーフ、じゃがいもを使った各種の料理、スープにパン、チーズにハム、付け合わせになくてはならない酢漬けのキャベツと素朴ながらも良い材料を使った料理が次々と、ふんだんにテーブルの上に並べられていく。食卓には不可欠のビールに至っては驚くほど大きな樽で用意してあった。
窓の外には重苦しい鉛色の空が広がって小雪がちらつき、世界は絶望の淵に沈んだかのように息を潜めてまっ白に凍てついていたが、部屋にしつらえられた大きな暖炉には、たっぷりの石炭が赤々と燃えている。
最初はおずおずとした様子だったヨハンも、みんなと一緒に料理を運んだり、食器を運んだりするうちにだんだん慣れてきたようで、硬かった表情が次第にほぐれて一緒に楽しそうに歌ったり笑ったりするようになった。
いよいよパーティーの準備が整うとルートヴィッヒが号令を掛けた。
「それじゃ始めるか!お前たち遠慮なんかするんじゃないぞ!」
「イエッサー!」
ハンスが早速ふざけて勢い良く立ち上がり敬礼してみせる。
「お前は遠慮した事なんかないだろ」
間髪入れずテオドルが突っ込んでも、ハンスも負けてはいない。
「俺がまず見本を示しとかないと、ヨハンがやりにくいだろうからな」
思わぬ飛び火にヨハンが目をぱちくりする。
「お前らいい加減にしろよ、ヨハンがびっくりしてるじゃないか」
ルートヴィッヒがあきれ顔でそう言うと、アルノーが笑って年長者らしく場をまとめた。
「いつまでも遊んでないでそろそろ乾杯しませんか?ヨハンも腹が減って待ちくたびれてますよ」
「えっ、いや、俺はそんな……」
「遠慮すんなって、ヨハン!」
テオドルが勢いよくヨハンの背中をどやしつける。
「そうだな、みんな腹が減ったろう」
ルートヴィッヒはみんなの父親になったように優しい笑みを浮かべて、部下たちが楽しそうにはしゃぐ様子を見ていたが、やおらジョッキを上げると乾杯の音頭を取った。
「俺たちのすばらしいクリスマスに乾杯!」
「乾杯!」
にぎやかにジョッキを鳴らすと、喉を鳴らして一気にビールを流し込む。
ちょっと早めのクリスマスパーティーが始まった。
普段は羽目を外す事のない彼らもこの時ばかりは寒々しい外の世界を忘れ、大声で笑って、思い切り飲んで騒いで、若者らしく冬の宴を楽しんだ。
「うわぁ……!俺、こんなうまいもの食べた事ないよ」
一口料理をほおばったヨハンが感に堪えないように声を上げる。
「そりゃ材料が違うからな。さすが隊長だ、味は素朴だけど材料は一級品っすね」
とは口の肥えたハンスの言。
「確かに軍で出る食事にはこんな良い材料を使ってはくれませんね」
そう言ってアルノーが笑う。
「それは誉めてるんだろうな、ハンス?」
「もちろんっすよ!隊長」
ルートヴィッヒが皮肉混じりに聞いてもハンスは悪びれもしない。
「……弟や妹たちにも、いっぺんでいいからこんないいものを食わせてやりたいなァ」
テオドルがぽつりと言った時、全員がはっとした表情になった。
「やだなあ~みんな何見てんだよ!冗談だよ、冗談。ヨハンの顔を見てたら弟を思い出してさ」
テオドルは大げさに手を振って笑って見せた。
「テオ、クリスマス休暇は家に帰るんだろう?今の季節なら大丈夫だ。長期間保存できる物を用意するから家族へのみやげに持って行くといい」
「隊長、いくら何でもそこまで甘えるわけには行きませんよ!」
テオドルがまじめな顔で断ると、ハンスがわざと混ぜっ返した。
「何だ、お前でも遠慮することがあんのかァ?」
「ひでぇな、そこまで言うか」
二人の掛け合いに全員がひとしきり笑った後、アルノーがテオドルの方を見た。
「あなたにはまだ家族がいるんだから大事になさい。せっかくの隊長の好意なんだ、ぜひ受けるべきですよ」
見つめる仲間たちの顔をテオドルは黙って見渡した。
「……ありがとうございます隊長、喜んで受けさせていただきます」
見守っていた仲間たちから一斉に拍手がわき起こる。
「よっしゃ!よく言った」
「良かったなあ、テオ!」
「クリスマス休暇が今から楽しみですね」
「それじゃ、またさっきの続きと行くか!」
ハンスはそう言うとさっそくジョッキを持ち上げた。再びにぎやかなパーティーが始まった。
楽しい時間が経つのは早いもので、飲んで歌ってゲームをやり、にぎやかに騒いで過ごすうちに冬の陽はあっと言う間に傾いて、外が薄闇に包まれ始めた。
テオドルはすっかり酔っぱらって、いつの間にかテーブルに突っ伏していびきをかいている。
「ん……アデル……ユーリ……兄ちゃん今行くから…待ってて……」
夢を見ているらしい。寝言で口にしたのは彼の弟妹の名だ。
両親を早くに亡くしたテオドルたち3人は子供のいない叔父夫婦に引き取られたが、そちらとて決して裕福とは言えない家庭だった。
叔父夫婦はそれでも彼らを実の子のようにかわいがって育ててくれた。年長のテオドルは、少しでも役に立とうと、幼い弟や妹の面倒をみながら早くから叔父の仕事を手伝った。
そして入隊可能な年齢になるのを待ちかねて軍に志願した。軍ならば衣食住全ての面倒を見てくれる上、叔父に仕送りできるだけの収入を得られるからだ。
そんなテオドルは非常に面倒見が良く、入隊したてのヨハンが右も左も分からず苦労していた頃、最初に声を掛けてくれたのも彼だった。
物心付いた頃から施設で過ごしていたので処世術なども一通りは心得ているつもりだったが、軍の中は一般の常識が通用しない特異な世界だった。独特の慣習。そこでしか通じない隠語。新兵をいたぶるのを楽しみにしているロクでもない古参にも事欠かない。テオドルは毎日のように苛めにあうヨハンにそれとなく注意を向け、何かにつけて助けてくれた。
作品名:長き戦いの果てに…(改訂版)【3】 作家名:maki