長き戦いの果てに…(改訂版)【4】
そう叫ぶとヨハンは狂ったように暴れ始めた。先ほどまでの抵抗とはわけが違う。どこにこんな力を隠していたのかと思うような馬鹿力だ。
桁はずれな力自慢のルートヴィッヒを除けば、まともに戦える相手など存在しないギルベルトでさえ抑えつけるのに一苦労するありさまだ。金切り声もまだ断続的に続いている。これはどう考えても普通ではない。
こいつはマズイぞ、このままだと……
「やめろヨハン、落ち着け、暴れるんじゃない!落ち着くんだ、深呼吸しろ!」
ギルベルトがそう言った矢先、動きが急に止まったかと思うとヨハンは全身を激しく痙攣させ、白目をむいてそのまま意識を失った。
「くそっ!鍵が掛かってる、いったい何をやってるんだ!」
「ギルベルト様が誰も入れないようにとお申し付けになったんです。部屋にはお客様が……」
恐る恐るといった様子でメイドがルートヴィッヒに説明する。
屋敷中に響き渡るぞっとするような叫びを聞きつけて、誰よりも早くその部屋へ駆けつけた。昨日の事件以来ずっと部屋に引きこもっていたが、ただならぬ叫び声に、考えるより先に身体が動いた。
「兄さん!いるんだろう、ドアを開けてくれ!」
ドアを叩いて呼びかけるが何の返答もない。
「ルートヴィッヒ様、マテウスさんが鍵を取りに行っています」
別の召使いがこれも控えめに申し出た。
「何が起こっているのか分からん!待っている暇はない、みんな下がってろ!」
ルートヴィッヒはそう叫ぶと、周囲の人間が慌てて引き下がるのを待つのももどかしく部屋の扉に強烈な蹴りを見舞った。
すさまじい一撃でひとたまりもなく扉が破壊されると、邪魔になる扉の残骸を押し退けてルートヴィッヒが室内に飛び込んだ。
ベッドの上にヨハンとギルベルトの姿が見える。
「何をやってるんだ、兄さん!」
ルートヴィッヒが語気荒く叫ぶとギルベルトが振り返った。
「馬鹿野郎、そんなことは後だ!すぐに医者を呼べ!」
ギルベルトは横たわるヨハンに人工呼吸と心臓マッサージを繰り返していた。
「こいつ、息をしてない!」
そう言うとすぐにまた人工呼吸に掛かる。
「早くしろ!急げ!」
ルートヴィッヒが慌てて医師を呼ぶように召使いに命じると、それを見送る暇もなく再び兄の声が飛んだ。
「ぼうっとしてないでお前も手伝え!」
ヨハンの胸を圧迫する手を休めず、ギルベルトはそう叫んだ。
「わ、分かった!」
医師がようやく館に到着した頃、兄弟が懸命に施した心肺蘇生術のおかげでヨハンはどうにか息を吹き返していた。
「先生、ヨハンは……」
ルートヴィッヒが診察した医師におそるおそる声をかけると、
「安心してください、患者は落ち着いています。もう大丈夫でしょう」
ミュラー医師は笑顔を浮かべルートヴィッヒを見あげた。
「本当ですか、良かった」
ルートヴィッヒは心の底から安堵したような溜息をついた。
「処置が早かったので、後遺症の心配もなさそうです。よくここまでやりましたね」
「……無我夢中だったよ」
少し離れて様子を見ていたギルベルトが答えた。
「俺はこういうのは初めてじゃないからな……こいつ、急に引きつけを起こしたんだ。戦場でも時々こういつ奴がでる」
「確かに一時的なショック症状のようですね。それにしても、特に外傷もないのにどうしてこんな……以前からこういうことがあったんですか?」
今度はルートヴィッヒが答える。
「いや、入隊以来、そんな話は聞いたことがないな」
「何か精神的に大きなショックを受けた可能性が考えられますね」
ミュラー医師は二人の顔を代わる代わる見渡した。
「何か心当たりがありますか?発作を起こす直前は何をしていたんですか?」
それを聞いてギルベルトが少し戸惑ったような顔をした。
「ああ、その……俺とヨハンとはちょっとした話し合いをやってたんだ。そうしたら急にあいつの様子がおかしくなって……凄まじい叫び声を上げたと思ったら、引きつけを起こしてだな……」
「……兄さん、あの時、何をしてたんだ?ヨハンにいったい何をした!」
ルートヴィッヒの目の色が変わった。
「何をって、お前──」
「ヨハンはあの時、服を着てなかった。それにあの叫び声──」
「ああ…その、俺はただ……あいつと話合いをだな──」
「裸にしてか」
「いや、だからだな……」
ギルベルトは次第にしどろもどろになり、ルートヴィッヒが更に兄に詰め寄ろうとするのを見て、医師が慌てて割って入った。
「お二人とも待ってください、ここは病室だ、患者の前ですよ、話し合いなら他でやってもらいましょう」
すごすごと引き下がる弟を前に、ざまあみろと言わんばかりの表情を浮かべたギルベルトだったが、
「直前に患者と一緒だったのはギルベルト様ですか。それではご当主、詳しくお話をうかがいましょうか」
ミュラーにそう告げられ、再び表情が険しくなった。
「患者も今は落ち着いているし、目を覚ました時にそばで彼のことを話しているのに気がつくと、また悪い影響があるかもしれません。ここは弟様にお任せして場所を移した方が良いでしょう」
ルートヴィッヒがじろりと兄を睨みつける。
「ああ…そうだな、場所を変えるとしよう」
ギルベルトは医師に告げると、弟にちらりと目をやった。
「後は任せた。俺は先生と話してくる」
そう言って立ち上がった。
「後で俺にも聞かせてくれるんだろうな、兄さん」
「……その言葉、そっくりお前に返すぜ」
弟と一瞬にらみ合った後、ギルベルトは医師を伴って部屋を後にした。
後には眠るヨハンとルートヴィッヒの二人が残された。
「ヨハン……何があったんだ、何でこんなところに……兄さんも兄さんだ。よりによって、なぜこんな時に……」
事態の深刻さに腹立たしさを覚えると同時に、ルートヴィッヒは戸惑っていた。
──兄さんの趣味は分かってるし、軍の中でも手を付けられた者は少なくない。今更珍しい事でもないが、なぜ今わざわざヨハンを?
ルートヴィッヒの思いはそこで堂々巡りになる。
「う…ん……ああ……隊長──」
眠っていたヨハンの呼ぶ声を聞き、ルートヴィッヒは現実に引き戻された。
「どうした、ヨハン?」
意識が戻ったものかと思ったが、目は閉じられたままだった。夢でも見ているのか、うなされている。
「すみません、隊長……許して…ください……」
「……何だって?」
閉じた瞼の下から涙が流れ落ちるのを見てルートヴィッヒは息を呑んだ。
「俺が……悪かった…です……あんな…こと、言わなければ……みんな……死なずに…済んだ……」
「あんなことって何だ?何を言ってる?」
見る間に呼吸が浅くなり、額にはじわりと汗がにじんできた。せっかく良くなった顔色もまた青白くなってきた。
「起きろヨハン!目を覚ませ、しっかりしろ!」
あわてて2~3回頬を叩き、肩を掴んで揺さぶってみたが、目を覚ます様子がない。まだ何かしゃべり続けているようだが、切れ切れな言葉の羅列でまるきり意味を成さないうわ言だった。
とにかくこのままではまずいと、ルートヴィッヒは慌てて兄と共に別室へ移った医師を呼びに走った。
「……ああ、なるほど……そういうことでしたか」
ギルベルトと医師が話していると突然、ルートヴィッヒが乱暴に扉を開けて飛び込んできた。
「どうした!」
作品名:長き戦いの果てに…(改訂版)【4】 作家名:maki