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地中海で大量の沈没船が見つかる、ギリシャ沖 紀元前からローマ時代後期まで2週間でなんと22隻 東地中海における交易ルートと航海技術の発展 エーゲ海東部のフルニ島周辺 2015年。今回の発見では、積荷である「アンフォラ」という陶器の壺しか残っていない場合が多かった。だが、考古学者はアンフォラの中身を調べることで、船が運んでいた交易品、出港地、沈没時期などを特定できる。22隻の沈没船 最も古い沈没船はアルカイック期(紀元前700~紀元前480年)のもので、最も新しい沈没船は中世後期(16世紀)のものだった。古典期(紀元前480~紀元前323年)やヘレニズム期(紀元前323~31年)の沈没船もあったが、多く(22隻中12隻)はローマ時代後期(300~600年)に使われたものだった。(参考記事:「南仏で発見 古代ローマの沈没船」)研究チームはフルニ島の沿岸の5%しか調査しておらず、地元の漁師からはもっと多くの情報が寄せられているからだ。今回発見された船はいずれも商船で、アナトリア、サモス島および黒海地方までを、ロードス島、キプロス島、さらにはエンジプトと結ぶ交易ルートを往復していた。「同じような沈没船や陸上の遺跡から、オリーブオイル、ワイン、魚醤の3つが主要な交易品だったことが分かっています」と言う。(参考記事:「300年前の沈没船から財宝、王室献上コインも」)ジャム、果物、ハチミツ、ヘーゼルナッツ、アーモンドのほか、香料などの贅沢品は、小型のアンフォラに入れていたようだ。古典期の商船には10~15人の船員が乗り組むことが多かったが、ローマ時代後期には、船の前後方向に張る大三角帆が発明されるなど航海技術が発達し、船員は5~7人ですむようになっていた。古代ギリシャ・ローマの船といえば3段オールのガレー船が有名だが、小型の商船は帆船だった。「沈没船遺跡の分布を調べることで、船に何が起きたかを推測することができます」と言う。「一部の沈没船は、北西の風を避ける崖の前に錨泊していたところ、南風に押されて崖に激突してしまったようです」。沈没船の乗組員が生き残った可能性は低い。「私たちが調査した22隻の沈没船のうち、泳いで岸にたどり着ける可能性がある場所に沈んでいたのは4隻だけでした。ほとんどの沈没場所は、切り立った崖のすぐ横でした。嵐の中、こんな場所で海に投げ出された人が生き延びられたとは思えません」とキャンベル氏は言う。特に目立つのはローマ時代後期の船の多さだ。研究チームは、この時期の船の突出した多さは、4世紀のコンスタンチノープルと東ローマ帝国の興隆と関係があるのではないかと考えている。彼らは、今回の調査によって、古代の海洋交易網をめぐるさまざまな疑問や、東地中海の政治構造の変化との関係が解明されることを期待している。(参考記事:「沈没船が明らかにする奴隷貿易の変遷」)「地元の人々が強い関心を持って遺跡保護に携わるのが、最も望ましい形なのです」とキャンベル氏は言う。ヘレニズム期の沈没船はピトスと呼ばれる大甕を輸送していたが、その中身は長い歳月の間に失われてしまった。この小型のアンフォラは黒海で製作されたもので、高級ワインや調味料などの贅沢品が入っていたようだ。ローマ時代のアンフォラを慎重に引き上げる考古学者。このアンフォラはアテネのギリシャ海洋考古学研究所で科学的に分析され、保存される。