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長き戦いの果てに…(改訂版)【1】※年齢制限なしver

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 内側から蝕まれて次第に空洞になっていく。どす黒い鉤爪のように魂に食い込んだ不安が消えない。ローデリヒだけが虚ろになった心を満たし、千々に引き裂かれ粉々に砕けてしまいそうな自分をかろうじてつなぎ止めた。

 彼は何から逃れようとしているのか──
ルートヴィッヒはひどく取り乱していた。不安がないといえば嘘だった。
 だが何があろうと彼を愛している。こんな状況でさえその気持ちは変わらない。たとえ本当に殺されても彼の手にかかって死ぬのなら本望だ。

* * *

 やがて潮が引くように自然に嵐は静まっていった。
 始めは自分がどこで何をしていたのか、どうなっているのかも分からなかった。 じっとしていると、深い海の底からが浮かび上がるように緩やかに意識が戻ってきた。
どのくらい時間が経ったのだろうか。
秋の日は傾き、穏やかな日差しがレースのカーテンを通して柔らかに差し込んでいる。眠っていたのだろう。
「俺は……何をやってるんだ」
隣から溜息混じりに少し怒ったような声がした。
「どうやらだいぶ寝過ごしたようですね」
 笑いながらそう答えると彼は不満そうだった。
「何がおかしいんだ」
「いえ……あなたが昼間こんな風に寝過ごすなんて見たことがありませんでしたから」
 そう答えながらまたローデリヒの頬が緩んだ。
 私は幸せだ……ほんのちょっと前にこの人に首を絞められて殺されそうになったというのに。
「どうやらよく眠っていらしたようですね。ずっと……眠れなかったんじゃないですか?」
「なぜそんな事が分かる?」
 今度は少し尖った声になる。
「何となくですよ。恋人のカン、といいますか……ふふ」
 目の下にできたクマを見れば誰だって疲れていることぐらい気づくだろうが、激戦から帰還したばかりでは誰も不思議には思うまい。
本当の理由を知るのは私だけだ。
そして彼は誰にも悟られまいとずっと神経を尖らせていたに違いない。
「何をバカなことを」
「私は馬鹿ではありませんよ」
 答えながら、思わずまた笑いがこぼれた。
「少しは落ち着きましたか?」
「ああ……そうだな……」
 先ほどの嵐と共に、彼が心の奥に溜め込んだ鬱屈を少しでも吐き出すことができたなら、自分は彼の役に立てたと言えるのではないか。ぜひそうあって欲しかった。

 ルートヴィッヒはまた溜息をついた。深い苦悩が顔を覆っている。
「なぜ、こんな事になった?俺は……お前をもう少しで手に掛けるところだった。もし、兄さんがいなかったら──」
 顔を覆い、かすれた声でそう呟く。
「兄さんに何て言えばいいんだ」
 何を言っても言い訳にしかならない。兄さんは女々しい言い訳など聞く耳を持つまい。こんな役立たずの見苦しい弟の顔など見たくもないだろう。
 なぜ自分はおめおめと生きて帰ってきてしまったのだろう──思考は螺旋を描いてそこに戻っていく。

「ルート……昨夜お話ししたことを覚えていますか?」
 答えはない。
 ローデリヒは話を続けた。
「その胸の傷は癒えても、あなたが負った心の傷はそう簡単に癒えるものではないでしょう。長く背負って行くことになるかもしれません」
 ルートヴィッヒは黙ってうつむいている。
「あなたの気持ちは私にも分からないこともありません。覚えがありますから……」
だが本当の意味で理解することは私にもできないのだ。二人はどれだけ近づいても決して一人の人間になることはできないから……
「誰もあなたを助けることはできません、自分で受け止めなくてはならないのです。二度と思い出したくないような事であったとしても」
 聞いているのかいないのか身じろぎひとつしない。
「だけどこれだけは分かって欲しいのです、ルート。私はあなたの手助けをすることはできます。いえ、手伝わせて欲しいのです。ギルも心配していますし──」
「兄さんが……ああ、俺の言動が怪しいからだろう。そんなことを心配してるわけじゃあるまい」
 ようやく返って来たのはそんな言葉だった。
相変わらずこちらを見ようともしない。だが今はこれ以上言ってもいっそう追い詰めるだけろう。
「私はあなたの助けになりたい、あなたがその重荷を背負うお手伝いをさせて頂きたいのです。少しでもその痛みを分けて欲しい、喜びも苦しみも全てをあなたと分かち合いたいのです。お願いですからひとりで苦しまないで、私にも話して頂けませんか」
 待つ時間は果てしなく長く、自分を取り巻く世界が重くのし掛かってくるように感じられた。
秋の陽が見る見る内に傾き、薄ら寒い風が吹き始めると、ルートヴィッヒがようやくこちらを向いた。青い瞳は鈍い光を湛えてじっとこちらを見ている。
「……こんなことはあり得ない、本来あってはならないことだ」
 ルートヴィッヒはささやくように話し始めた。
「俺は何とか自力で解決しようとした。出来るはずだ、できなくちゃならないんだ。自分の始末もひとりで出来ないなど許されない……」
 言葉はそこで途切れたが、ローデリヒは黙って続きを待った。
「俺がこんな惰弱な奴だと知れたら、俺を育ててくれた兄さんに傷が付く。何があろうとそんなことは許されない」
「いけません、そんな風に自分を追い詰めないで。あなたは惰弱などではありません。これは誰にでも起こること。私にも、あなたにも、そしてギルにだって。恥ずべきことなどありません。あなたも一人の人間だった、ただそれだけです」
祈るような気持ちも通じなかったのか、見つめる青い瞳は次第に光を失った。
 ルートヴィッヒの心は、肉体にも精神にも大きな傷を負ったあの日に、これまで生きてきた歳月へと戻っていった。
 普通の人間から見れば気が遠くなるような時の流れの中で、共に生き、戦った多くの戦友や部下たち、そこで見てきた光景をルートヴィッヒは思い出していた。
婚約者を国元に残して戦場に赴いた者もいれば、年老いた父母や妻子を守るために戦いに出る者もいた。名誉を求めて戦場にでる者もいれば、単に金欲しさで軍に入る者もいたし、戦い自体を欲するような者もいたが、誰もみな生き延びるために必死で戦っていた。戦場では生と死は常に隣り合わせだった。
 ほんの昨日、下らない冗談を言い合い、笑って酒を酌み交わした仲間が、翌日の戦場では物言わぬ骸となった。生まれてくる子供を守るために戦うのだと言って、厳しい表情の中にも幸せそうな微笑を浮かべて家族の写真を見ていた男が戻らぬ人になる。そんな事は日常茶飯事だった。
国の化身とは言え、自分の肉体は生身の人間とそれほど違いはない。彼らの気持ちも分かっているつもりだった。
だがあの日、自分は何も分かっていなかったのだと気付かされた。仮に肉体を失っても国が存続する限り、自分は何度でも戻って来られる。しかし彼らはそうではないのだ。
「隊長がうらやましいです。だって国家様なんだから何があっても死ぬことなんかないんですよね」
 ヨハンはごく軽い気持ちでそう口にしたのだろう。
 だが自分のミスで部下を失い、自らも生死の境を彷徨った時、ルートヴィッヒは改めてその言葉の意味を突きつけられた。

 ルートヴィッヒが前線で負傷し撤退してから丸二日。