再見 五 その一
藺晨は初め、この連中が『大・大・大』嫌いだった。
ま、出会いの顛末は、ゆるりと語るとして。
藺晨の父親が、この連中を連れてきた。
夏が終わる頃から、大渝に動きがあり、秋が深くなった頃、梅嶺が俄に騒がしくなり、そして大きな戦さになった。
長蘇とその配下達は、父親がその梅嶺で救った、赤焔軍の兵士達だと言う。
梅嶺から来た数十人の殆どは、長蘇と別れ、廊州に極秘に作られたという、調練所に向かった。
不思議な事に、梅嶺から琅琊閣までの道程を、全く追われる事無く、穏やかに移動することが出来たという。
梁の朝廷は、赤焔軍を全滅させたと思い込んでいる。あの地獄を生きて出られた者はいないと。だから追跡が無かったのだ。
そして、長蘇の治療の為に、藺晨の父親と共に来た、数名の配下達。
琅琊閣に来たこの連中の、一番偉い奴が、全身に白い毛を生やした、この白ザルの様な珍獣。しかもこの珍獣、元々は、『人』だったと言うから、藺晨には驚きだった。
藺晨は、この白ザルの事を父親から、『天下の奇毒、火寒の毒に冒された者』と、教えられた。
藺晨には、初めて見た症状の者だった。梅嶺で雪蚧虫に噛まれると、体内で火寒の毒が作られ、全身に、このような白い毛が生えてくるという。
この治療法も、奇妙なことに、『全ての毒を解かず、毒と共存させるのだ』と。体内に毒がある限り、白い毛は抜けず、舌は硬いままで、言葉もままならぬが、生きるには支障が無く、天寿を全う出来るのだそうだ。
だが気の毒にも、この白ザルの毒は多く、そして毒が深く、体内の毒の制御が難しかった。その為、時折、酷い発作を起こした。
白ザルが発作を起こすと、白ザルの子分の連中が、大騒ぎになる。
藺晨の父親は、ひとまず、出来るだけ毒を解いたが、あとの発作の処置は、藺晨に任せていた。
藺晨は、白ザルは父親の友の息子と聞いてはいたが。
藺晨に、医者としての経験を積ませる為に、父親が珍しい症例の患者を、任せているのだろうと思っていた。藺晨自身も、父親の期待とその責任を負って、発作の治療をしていたのだ。
主に日々の状態を診ていたのは、藺晨だった。白ザルの主治医は藺晨と言って良い。
よって、ほとんどの治療にあたる、藺晨に向かって、この白ザルの手下の連中は、『早く治せ』だの『ヤブ医者』だの、口汚く罵るのだ。
甄平という奴が、特に酷い。噛みつき方が尋常ではない。
これには藺晨も腹が立ち、ある日、白ザルが発作を起こした時に、数刻、連中に見つからぬ様に、隠れてやった。
《如何に私が白ザルを助けているのか、知るがいい。》
「若閣主が雲隠れした!!!。早く探さねば、発作が治まらぬ!。若閣主を探して連れてこい!。」
白ザルの配下が、大騒ぎで琅琊閣中、藺晨を探し回るうち、藺晨はこっそり白ザルの様子を見に行った。
白ザルは体を縮めて、声も上げず、苦しさに耐えていた。
誰もいない部屋の隅で、非常に苦しそうに、耐えていた。
その様が、あまりに孤独で哀れで、藺晨は出ていかぬ訳にはいかなかった。
白ザルは、板張りの床の上に蹲(うずくま)り、体中に力を入れて、ただ発作が過ぎるのを耐えていた。体は震え、白い毛の隙間に見える肌は、血の気が引いて、真青だった
《これ程、我慢をしていたのか。》
藺晨は些か反省し、白ザルに点穴で、体の緊張を解いてやった。呼吸までも止めていた様子で、白ザルは大きく息を吸った。
「今、鍼を打ってやる。それで楽になるだろう。」
白ザルの衣を解き、胸や背中に順番に鍼を打った。
背中に針を打つと、少し痛がる様子を見せた。
打った鍼を抜き治療が終わると、白ザルの皮膚には、徐々に血の色が戻り、体にも温かみが戻っていく。
白ザルはふぅっと大きく息を吐くと、藺晨に拱手をし、礼をとる。
「なぁに、礼は要らぬ。《ま、元々は私が意地悪をしたのだからな、、、》」
手を下ろし、白ザルは大きな黒い瞳で、藺晨を真っ直ぐ見た。
《、、、、、なんて瞳だ。》
涼やかで曇りがなく、藺晨を見つめる眼に、吸い込まれそうになる。
白ザルの眼には、高貴さを匂わせるものがあった。ただのその辺の庶人ではない事が、この瞳や、堂々とした物腰から容易に理解ができた。
《そう言えば、父が、この者は、梁の公主の息子だと言っていたな。》
その澄んだ眼(まなこ)に、釘付けにになった。
「疲れたろう、少し寝ていろ。」
藺晨が言うと、白ザルは素直にこくりと頷いた。そして人懐こく微笑むのだ。
《なんと素直な。梅長蘇なぞ、どのような人物が知らぬが、、、こちらが守りたくなってしまう雰囲気を持っている。甄平とやらが、ああ煩く騒ぎ立てるのも無理はないか。
、、ま、どうせ、御曹司に忠実な輩なのだろうが。》
今までの治療では、常に甄平と黎綱が側に居り、この二人が全ての対応をし、白ザルの治療が終われば、甄平が、掃き立てるように、藺晨を部屋から追い出すのだ(藺晨が白い毛に興味津々で、白ザルを『検体』としてジロジロと見るため、甄平は気に入らなかった)。
藺晨が、白ザルの事を、まともに見たのは、これが初めてかもしれない。
いくらもせぬうち、ばたばたと、足音がして、騒がしい一団が部屋に入ってきた。
「小帥!!。」
「若閣主!、こんな所にいた!!。琅琊山中を探したのですよ。」
また甄平だった。その仰々しいもの言いに、藺晨はかちんとくる。
「またお前は大袈裟な!。私を悪者扱いか?。大事な主を放っておいて。発作は鍼で、とうに治まった。」
だが甄平も負けてはいない。
「私達が、方々、どれ程探したか。一体どこに居たのですか。所在を明らかにしておいて頂かないと!。」
たが藺晨の口は、更に甄平の上をいく。
「ハン?。また噛み付くか、そんなに噛み付くならば、お前の主を助けぬぞ。」
「何っっ!!。」
甄平が藺晨に、飛び掛りそうになるが、白ザルが「ヴッ」と低く声を上げると、甄平は飛び掛るのを止めた。
《ほう!、白ザルはほんとにコイツらの親玉だ。
ふふふ、甄平に勝った勝った。》
「あはははは、、そうだぞ、主の言う事はよく聞けよ。」
藺晨はそう言い捨てると、からからと笑いながら部屋を出て行った。
振り返りはしなかったが、甄平の悔しそうな顔が、想像できた。
何となく、藺晨の気持ちが晴れた。
《、、、、全く、小煩い連中だ。
藺晨は、大梁の政局なぞに、興味は無かったが、どういう経緯で白ザルは、梅嶺の雪蚧虫なぞに、噛まれる羽目になったのか、些か興味を持った(いや、些か所か興味津々)。
私とて琅琊閣で育った。そして医師である。
さらにはここには、国の内外の、些細な情報までが管理されている。
、、、、、、ふふふふ、、、あ奴らの弱みまで、握ってしまうやも、、、な、、、。 ニヤ 》
琅琊閣は天下の知恵袋、分からぬ事なぞ何も無い。妃嬪の黒子の数まで分かるとか、、、。
琅琊閣には各所の鳩坊から、天下の動きが集まってくる。それは、ほんの些細な噂話まで、、、。
藺晨は、琅琊閣に来た密書を、保部する部署へ行く。
だが、何処を探しても、、、。